「種種雑多な世界」水木うららさん
2024.11.302020年12月28日
通信制 青木奈緖さんのエッセー講座第2回
エッセー「ワニ革のハンドバッグ」田久保ゆかりさん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。田久保ゆかりさんの作品「ワニ革のハンドバッグ」と青木奈緖さんの講評です。
ワニ革のハンドバッグ
「山男と株をする男、歌う女の後ろで踊る男と結婚してはいけない」というのが明治生まれの祖母の教訓だった。山男は危険を伴う仕事をする男で、株をする男は賭け事をする男のことだと理解できるが、3つ目の歌う女の後ろ云々が謎で何を根拠にしていたのか聞いておけば良かったと今は思う。
祖母が30代半ばの昭和9年、9月の室戸台風で祖父が殉死した。当時10才だった私の母と生まれたばかりの叔母がいた。最大瞬間風速60メートル以上のその台風の朝、大阪で教師をしていた祖父は同僚が止めるのも聞かず、児童を助けていて校舎の下敷きになったと聞いている。山男説はそこから来ているのかもしれない。曾祖父も私が生れた時は既に亡くなっていたが、株で苦労していたようだ。
早くから未亡人になりしっかりしないといけないという意識と、私の両親が働いていたので孫を預かっているという責任感も強く、私にはきついイメージの祖母だった。戦争でしかたなく高知県の田舎にあった家に暮らし始めたが、戦後の農地改革で土地を失い「戦争が終わってうちは貧乏になった」といつも嘆いていた。
しかし、私がひとり暮らしをするようになってからは、時々来る手紙にいつも小遣いを同封してくれたし、親に反抗して関係が良くない時期には「親の恩は子に返したらいい」と言って心を軽くしてくれた。
教訓を聞きながら育ったのにも関わらず、私の結婚相手はジャズピアニストで、歌う女性の後ろで踊りはしないが、歌う女性の後ろで伴奏をすることもある男だったが、その頃祖母は80才を超えていたので、もう難しいことを言わなくなっていた。当時は大相撲の千代の富士関のファンだったので、夫には「小遣いをくれる面食いの優しいおばあちゃんやった」という印象しかなかったようだ。
結婚して4年後、夫とピアノパブを開業することになった昭和60年、祖母は86才で亡くなった。祖母に言われたことを忘れずに、恩を返す気持ちで子育てをして、娘も2才になっていた。
今、私の手元には祖母のワニ革のハンドバッグがある。私が小中学校に通っていた頃の参観日にはもちろん、雨になりそうな午後は私達姉妹の傘を学校へ届けるため、又、毎年冬になると中耳炎になる私を早退させ隣町の病院へ連れて行くために、キリッとした眼鏡を掛けた和服姿で田舎道をどれだけ沢山歩いてくれたことだろう。その時いつも持っていたハンドバッグである。
青木奈緖さんからひとこと
冒頭の「つかみ」が秀逸です。この作品にはほとんど手を入れていません。何をどう書くか、しっかり構成が考えられ、着地点まで決めて執筆されたのでしょう。身近な家族間では「聞いておけばよかった」ということが起こりがちで、そのあたりも含め、人のめぐり合わせとは、面白いものと思います。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。第1期が2020年9月にスタート。講座の受講期間は半年間。
次回の参加者の募集は、2021年1月12日(火)に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始予定。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから。
■エッセー作品一覧■
- 青木奈緖さんが選んだ5つのエッセー#2
- エッセー作品「一滴の水になっても」浅野智予さん
- エッセー作品「カズコさんの夢」宇野百合子さん
- エッセー作品「今は昔のお正月」小嶋千賀子さん
- エッセー作品「ワニ革のハンドバッグ」田久保ゆかりさん
- エッセー作品「赤ちゃんは、愛のかたち ―息子の誕生―」松本宏美さん