STOP「おせち」にまつわる不毛な喧嘩!
「おせち」なんていらない!?台所で起きる正月恒例の戦い…母と娘の出した結論は?
「おせち」なんていらない!?台所で起きる正月恒例の戦い…母と娘の出した結論は?
公開日:2025年09月28日
今年も残り3か月。おせちの予約は年々前倒しになり、山場は10〜11月。早期特典が出そろうのも、ちょうど今頃。台所では「おせち、今年はどうする?」の会話がすれ違う…忙しさと伝統のあいだで揺れるある家族の、小さな葛藤と休戦の実話。
毎年恒例。年末のおせち喧嘩
実を言うと、以前までは、年末の帰省は気が重かった。理由は「いつも母の機嫌が悪くなるから」。
50歳になる私は、今まで働きながらバタバタと2人の子どもを育ててきたのに対して、母はずっと専業主婦。料理も掃除も得意で家事もテキパキこなす、いわば「主婦の鑑」のような人。私とは、いろいろと価値観が合わないのだ。
年末年始の喧嘩の理由は単純だ。母が毎年気合をいれて手作りおせちを準備するが、その準備のストレスからキツイ一言が飛び出し、くだらない理由から喧嘩に発展するというもの。
また、正月のテーブルを囲んでも、母は台所を行き来するばかりでちっとも団らんの輪には入れない。しまいに「疲れた。お正月の集まりなんて今年で最後にしたい」と子どものように弱音を吐いてふてくされてしまい、場がしらけるのが、毎年お決まりのパターンだった。
しかし、そこはお互い昭和生まれの女。母はストレスに感じながらも毎年おせちを準備し、私はいそいそ毎年帰省をする。そして喧嘩の繰り返し……だった。
初めて聞いた母の弱音「おせちの重圧」
ある年の年末。母は黒豆を弱火にかけ、鍋の湯気の向こうで時計を気にしている。私はスマートフォンを眺めて、仕事納めのメールを閉じた。祖母の代から伝わる重箱は食器棚の奥で、年に一度の出番を待っている。
「実はね、ずっとキレイなおせちを買ってみたいなと思ってたの。でも、おせちを手作りしないことに、なんだか罪悪感があって。でもね、お正月くらい、みんなと一緒に座ってゆっくり食べたいの」母はポツりと言った。
私は、その少し寂しそうな声にハッとした。高校生の娘は脇からのぞき込んで「おばあちゃん、急にどうしたのよ?」と茶化して笑う。
違うリズムで暮らす女3人が、同じテーブルに集まるための段取りは、いつも少し複雑だ。
母にとって、昆布締めを結ぶ指先は暮らしの記憶であり、晴れの日の支度そのもの。
普段忙しく働く私にとって、年末年始は休息の貴重なチャンス。おせちを煮含める時間や、出汁を引く手間も、今は「惜しい」。
娘にとって大事なのは、みんなで囲む賑やかさと、写真に残る「映える」華やかさだ。
どれも本物の“正月らしさ”。ただし、3人とも優先順位が違うだけ。
小さな休戦…“半分作って、半分は買う”
2年前、休戦は、私の一言で始まった。
「そんなことなら、こうしましょうよ!」私は仕事だと思い仕切ることにした。
黒豆とお煮しめは我が家の味として残す。昆布巻きは簡略化。伊達巻や栗きんとんは無理をせずに外から迎える。
盛り付けは娘の担当。重箱の角に、映える小さな達成感が積み重なる。
この年、いつもよりゆっくり過ごせ、例年のような喧嘩はおきなかった。
「あら、やだ!買ったおせちは少し味が濃いけどなかなかの味だねぇ」とブツブツ文句をいいながらも、母の穏やかな表情が印象に残った。
よし!親孝行なんて柄でもない私だけど、新たに提案をしてみた。
「来年は“おせちの贈りもの”を私にさせて!今ってすごいたくさん種類があるらしいよ」
その後、調べてみて驚いた。今は「おせち」といっても、素材にこだわった薄味の物、和洋折衷の物、オードブルもついたバラエティ豊かなもの……千差万別で選ぶのもうれしい悲鳴。
母や父の好みを聞きながら、どの「おせち」を選ぶかLINEでじっくり相談し、和洋折衷のオードブルメニューも入ったものを頼んだ。
その年、玄関に届いたおせちの箱を開けたときの、母のうれしそうな笑顔。今でも忘れない。作らないことは、手を抜くことじゃない。家族を想う、別の形かもしれない。
閑話:なぜ、秋に「おせちの話」をするのか?
気づけば、もう年内は3か月。実はおせちの予約は10〜11月がピークで、送料無料などの早期割引や特典もこの頃にそろう。なんと、人気のおせちは早々に売り切れてしまうこともあるんだとか…。
「今年はどのおせちを頼むか議論」が、我が家の新たな秋の風物詩となるかもしれない。
「おせち」はその家それぞれ。全部を作らなくていいし、全部を買わなくてもいい。家の味を一つ、写真を一枚、そして誰かが座って笑える余白をテーブルに残しておく。
それが、我が家の「無理をしない新しい伝統」。来年のお正月も楽しく過ごせそうだ。










