日本のバレーボールブームにはまった人は見て

演出も働き方も懐かしさあふれる!映画「東洋の魔女」

公開日:2021.12.22

コラムニストの矢部万紀子さんによるカルチャー連載。今回は、2021年12月11日から公開中のドキュメンタリ―映画「東洋の魔女」を取り上げます。「東洋の魔女」だけでなく、「サインはV!」や「アタックNo. 1」が大好きだった人は必見です。

演出も働き方も懐かしさあふれる!映画「東洋の魔女」
(C)UFO Production、(C)浦野千賀子・TMS

フランス人監督が描くドキュメンタリー映画「東洋の魔女」

©UFO Production
(C)UFO Production

小学校3年生の時のクリスマスプレゼントは、バレーボールでした。すごくうれしかったのは、ドラマ「サインはV!」とアニメ「アタックNo. 1」が大好きだったからです。1969(昭和44)年のことです。

どちらのテーマソングも、今でも歌えます。あ、私も。そう思った方におすすめなのが、映画「東洋の魔女」です。1964年の東京五輪で金メダルを取ったバレーボール日本女子。あの頃の彼女たちと今とを描くドキュメンタリー映画に、「アタックNo. 1」の映像がふんだんに織り込まれているのです。監督は78年生まれのフランス人、ジュリアン・ファロさんです。

スポーツドキュメンタリーを手掛けるファロ監督、目にした「東洋の魔女」の記録映像が子どもの頃に見た日本のアニメ「アタッカーYOU!」(日本放映・84年〜)に似ていることに気付きます。「アタックNo. 1」も知っていた監督は、「東洋の魔女」を追うドキュメンタリー映画にその映像を重ねることを思いつきます。結果、東京五輪でメダルを獲るまでの記録映像、アタックNo. 1、そして彼女たちの今、三位一体となった映画「東洋の魔女」が出来上がりました。

スポ根作品のモデルになった「東洋の魔女」のリアルストーリー

(C)UFO Production

1964年の東京五輪開催時3歳だった私にとって、「東洋の魔女」は母親世代。ほとんど知らなかった彼女たちのすさまじい練習ぶりには驚きました。選手が倒れても、大松博文監督はボールをバンバン投げ続けます。泣きながら立ち上がった選手が、怒りの表情で監督に詰め寄る。そんなシーンもありました。五輪の決勝戦、ソ連対日本の試合も映ります。ソ連選手のスパイクなんて、監督の投げるボールに比べれば、ものすごく遅いです。

大松博文監督
(C)UFO Production

「サインはV!」にも「アタックNo. 1」にも、鬼コーチ(でも本当は優しく、選手思い)が出てきます。モデルは大松監督なんですね。そして「アタックNo. 1」のヒロイン鮎原こずえです。彼女のアタックもサーブも魔女たちのフォームです。原作者が映像や写真を研究したに違いありません。

見ているうちに、魔女たちが近しい存在に思えてきました。現在は、地域のバレーボールチームでコーチをしている人、スポーツジムですごくハードな筋トレをしている人、孫とカードゲームをしている人……さまざまですが、みんな元気です。中の一人が当時を振り返った言葉に、自分が重なったのです。

東洋の魔女の練習風景
(C)UFO Production

練習はすごくきつかったけど、慣れるとそれが当たり前になる。だから、「バレーボールをやめたら、なんて楽なんだろうと思った」と言っていました。私もそうでした。大学を卒業し、新聞記者になったのですが、最初はどうなることかと思いましたが、気付けば朝は6時に起き、日付が変わってから帰る。そんな日々が普通になっていました。

彼女たちも6時起きで仕事をし、午後から練習。午後11時までは当たり前、夜明け近くまで練習することもあったと言ってました。でも、やめようと思ったことはほとんどない、と。

練習の結果が出る。つまり勝つ。また練習する。また勝つ。だから楽しくなったのだと思います。私も記者の仕事が好きになり、気付けば長時間労働も平気になっていました。それが若さなのだと思いました。何かを徹底的にして、少しずつ結果を出し、それが当たり前になる。そのことが好きになる。そういうことを体感できるのが、若さの特権なのだと思ったのです。

スポ根はパワハラか?「必死さ」を共有していた時代と今

東京オリンピックの様子
(C)UFO Production

同時に感じたのが、時代も若かったということです。大松監督がしていたような練習は、今なら「パワハラ」と捉えられる可能性もあるでしょう。映画の中の「アタックNo. 1」では、コーチが厳しすぎると校長に咎められるシーンが流れました。現代を生きる観客への「当時もこういう視線はありましたよ」というメッセージでしょう。私の勤めていた会社も、働き方はすっかり変わったと聞いています。

ですが、東洋の魔女が金メダルを取ったのは、日本がどんどん成長していく時代でした。「敗戦国」から脱皮し、「先進国」の仲間に入る。その思いを国民が共有していた。そういう空気が、映画から伝わってきたのです。「必死」という日本語、その度合いが今と全然違う。それは監督も魔女たちも、そして日本全体も。そう思い、魔女たちの娘世代である自分の、ちょっと緩いけど、でもけっこうがんばった時代を思い出したのです。

映画のエンディングには「アタックNo. 1」の主題歌が流れました。「苦しくったってー、悲しくったってー」の、あの曲です。コートの中では平気、そうこずえは歌います。これは魔女たちの気持ちでもあり、「コート」を「取材」とでも置き換えれば、若き新聞記者だった私の気持ちだなーと思いました。

「長時間労働=ノー」となった昨今ですが、あの頃にはなかった複雑さが増しています。いろいろと考えられて、こずえにも会える映画です。ぜひ、行ってみてください。

■公開情報

『東洋の魔女』(原題:Les Sorcières de l’Orient / 英題:The Witches of the Orient)

2021年12月11日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開!
監督・脚本:ジュリアン・ファロ

 [2021年/100分/ドキュメンタリー/DCP/フランス] 
配給:太秦 宣伝協力:スリーピン (c)UFO Production (c)浦野千賀子・TMS
公式サイト:toyonomajo.com
公式Twitter:@toyonomajomovie

矢部 万紀子
1961年生まれ。83年朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』(幻冬舎新書)


■もっと知りたい■

矢部 万紀子

1961年生まれ。83年朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』(幻冬舎新書)

マイページに保存

\ この記事をみんなに伝えよう /

注目企画