通信制 青木奈緖さんのエッセー講座第5期第1回

エッセー作品「札束の寝心地」二峰仁美さん

公開日:2022.12.06

「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。二峰仁美さんの作品「札束の寝心地」と青木さんの講評です。

「札束の寝心地」
「札束の寝心地」二峰仁美さん

札束の寝心地

私が人生で一番困っている迷惑な家族とは主人である。
自己中心的で他人には一切配慮せず、人に迷惑をかけているという自覚がまるでなく、常に自分に真っすぐである。
この欠点とも長所とも取れる性格のおかげで、普通はなかなか経験しないような事も、私は主人と一緒に極普通の事として接してきた。

あれは、今から40年近く前、まだ新婚ホヤホヤの時。
当時主人は入社4年目にして自ら顧客を開拓し、億を超えるほどの大口顧客を何人も担当するキレキレの証券マンだった。
夜な夜な北の新地に、自分のお客様や同僚友人達と繰り出して、繰り出した先の店々までも、自分の顧客にしてしまうような男であった。

ある晩、今日も遅いなあと思っていると、電話が鳴った。主人の大口客の1人からだ。
「仕事の話や。ダンナと連絡つけてくれ。事務所で待ってる」という内容だ。
40年前にケイタイは無い。何故私に電話がくるのだと思いつつ、会社に電話をしてみると、唯一残っていた同僚につながり、事情を話した。
「奥さんも大変やなぁ」と言って引き受けてくれた後は、どうやら主人の行きそうな店へ片っ端から電話をかけまくり、最後は路上で顧客と一緒に次の店へとタクシーに乗り込む既のところで、主人を捕まえたらしい。
そんな事は知らされていない私は、ヤキモキしながら待っていた。
再び、「まだ捕まらんか」と電話が入り、私はひたすら電話機に向かって頭を下げた。

どのくらい時間が経っただろう。
深夜に車の止まる音がして、見事な酔っぱらいの主人が、しっかりとデパートの紙袋を抱えて帰ってきた。中身は帯封のかかった札束の山だ。

「さあおまえ、こんな事はめったにない。いや一生無いかもしれんぞ。客から預ってきた金だ。無くならんように俺は布団の下に敷いて寝る。おまえも残りは枕の下にでも敷いて一晩寝ろよ」

と、それだけ言うと、主人は大イビキをかき始めた。
あれだけ気をもんで心配した私は、気が付けば1人ポツネンと布団の上に正座している。
言われたようにオロオロとしながら、残りの2、3束を枕の下に入れて、横向きに枕を抱えて寝てみた。

でもその瞬間カチンと頭がはじけた。
「バカバカしい」と思うが早い。
私は飛び起きて、隣りで寝ている主人を転がしてどけ、布団の下の帯封をすべて回収し、自分の分と一緒に私の布団に引き取った。
敷布団は2枚重ねである。1枚目の布団の上にきれいにお札の束を並べて、2枚目をそっと掛け、私は寝た。

翌朝、無い無いと騒ぐ主人の声で目が覚めた。「おまえ知らんか」と大あわてである。
私は布団の横に正座して、おもむろに敷布団を跳ね上げた。
「あっ、おまえという奴は……どうだった札束の寝心地は」と急にやんちゃな顔になりせまってきた。
「時間は大丈夫?」という私の言葉を待っていたように電話が鳴った。マンションの下で総務課長が待っているという。
「早く着替えて、おまえも来い」
「エッ私も」
結局私が先に着替えて課長さんの所へ行き、ついでに事の顛末を聞いた。

昨晩の電話の客は2ヵ月程大金(?)が遊ぶ事になり、銀行に預けるよりは「これを元手におまえの才覚で儲けてみろ」と、主人に言う為にワザワザ呼んだそうだ。
まるでバクチのような話で、とても私には信じられなかった。
そんな思いが顔に出たのか「大丈夫だよ、奥さん。私も証券マンをやって長いが、こんな汗かかされるのはこいつが初めて。ホンマこいつはムチャクチャですわ」と課長さん。
どこが大丈夫なのかフォローになってないよ。

さてその主人、今は起業して日本中を飛びまわっている。
そんな彼の口癖は常に「ママはどこ?」と、私の所在確認をすることである。

青木奈緖さんからひとこと

文句なしに楽しい作品です。こんなエピソードがあれば書くのに困りませんね。料理にたとえるなら、素材が良いので、塩胡椒だけで充分美味しさが引き出せるというわけです。

執筆時、著者には当時のことがありありと思い浮かんだことでしょう。
読者はそれと同じ記憶の画像を見ることはできませんが、作品を読みながら「この旦那様はお布団を引きはがされてもそのまま寝つづけたのかしら」などと、読者は読者なりに楽しく思いめぐらせます。

個人的なエピソードがエッセー作品として独り立ちする瞬間ですね。

ハルメクの通信制エッセー講座とは?

全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。講座の受講期間は半年間。

現在第5期の講座を開講しています(募集は終了しました)。次回第6期の参加者の募集は、2022年1月を予定しています。詳しくは雑誌「ハルメク」2023年2月号の誌上とハルメク365WEBサイトのページをご覧ください。

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