岸田ひろ実さん「いつか美しくなる、今」

障害者はこうあるべき、というのは私の思い込みでした

公開日:2019.11.10

障害のある方と接したことはありますか? そのときに生じる躊躇やとまどい、思い込みとどのように向き合えばいいのでしょうか? 自身も車いすユーザーであり、ダウン症の息子がいる岸田ひろ実さんはどのように考えているのでしょうか。

障害者だから、かわいそう?

障害者だから、かわいそう?

車いすで生活するようになり、もうすぐ12年がたちます。今となっては、歩けないことが辛いとか、情けないとか、感じることは無くなりました。

でも、やっぱり、歩けない自分を受け入れられなかった時期もありました。

当時は、人と会うたびに「大変でしょう」「お気の毒に」「かわいそう」と声を掛けられました。その都度、同情はいらないから、私のことは見ないでいてほしい、ととがった感情を持っていました。

しかし、私が歩けないという事実、そして他人の受け取り方を変えることは、簡単ではありません。ならば、私自身が変わるしかないと思いました。

それは、かわいそうな私を、やめることでした。

私がまず、歩けない自分を受け入れようと、向き合いました。いつも笑顔でいよう、オシャレをしよう、出かける機会を増やそう、仕事を増やそう、と自分を好きになるために思いつくことを片っ端からやってみたのです。

すると、少しずつ、同情の声を掛けられることが減りました。

「かわいそうに」と言われても、落ち込まずに、あえて「私のためを思って言ってくれた優しさなんだ」と捉えられるようになりました。

障害者だからかわいそう、というのは、他の誰でもなく、私自身の思い込みだったのです。

ダウン症の息子が、一人の人生を変えた

ダウン症の息子が、一人の人生を変えた

ダウン症の息子は、小学1年生の頃から、地域のサッカー教室に通っていました。サッカー教室のコーチは最初、障害のある息子への対応に戸惑っていたそうです。

でも、大人よりも、子どもの方が素直で単純でした。

教室の子どもたちが、息子に友人として自然と接してくれ、気を使ったり手助けを押しつけたりしない姿を見て、コーチの迷いは無くなったと言います。

障害者だからこうしなければならない、という思い込みが、コーチにはあったようです。

このことがきっかけで、コーチは、もっと子どもたちに多様性との向き合い方や受け入れ方を教えたいと思ったらしく、小学校の教員を目指し、念願叶って教員として採用されてから、もう10年目になります。

こうあるべき、というのは自分の思い込みに過ぎません。それよりも、自分がどうなりたいのか、どう向き合いたいのか、を意識することの方が大切なのだと思います。

 


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■岸田ひろ実さんの半生を知りたい方は「第1回「死んでもいいよ」から新しい人生が始まった」をお読みください

 

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撮影=山下コウ太

岸田 ひろ実

きしだ・ひろみ 1968(昭和43)年大阪市生まれ。日本ユニバーサルマナー協会理事。株式会社ミライロで講師を務める。27歳、知的障害のある長男の出産、37歳夫の突然死、40歳、病気の後遺症で車いすの生活に。自身の経験から、人生の困難や障害との向き合い方を伝える。

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