車いすジャーニー~ゆっくり歩けば遠くまで行ける~

第2回「2億パーセント大丈夫」が、現実になった瞬間

岸田 ひろ実
2018/08/29 86

ダウン症である長男の誕生、夫の突然死、そして自身も40歳の時突然の病気によって、車いす生活となった岸田ひろ実さん。セラピストとして再び歩み始めた岸田さんに、娘から力を貸してほしいと依頼されたのは、自分の経験を話す講演会の仕事でした。

岸田ひろ実さん
【目次】
  1. セラピストとしての日々
  2. 人前で話すということ
  3. 娘の会社に入社
  4. 娘の言葉「2億パーセント大丈夫」が現実になった日

セラピストとしての日々

前回の記事を読んでいない方はこちら第1回「死んでもいいよ」から新しい人生が始まった

 

私はセラピーの活動を行い、多くの患者さんと向き合うことになりました。

私のセラピーの手法は、相手に寄り添い、丁寧に話を聞くという単純なものです。患者さんの思っていること全てを吐き出してもらいました。「おかげで元気になることができました。本当にありがとうございます」この言葉がうれしくて、一人でも多くの患者さんと向き合いたいと思っていました。
 

人前で話すということ

岸田ひろ実さんセラピスト時代
セラピストとして働いていた頃​​

 

ある日、セラピーの手法を教えてくれた恩師から、こんなことを言われました。

「目の前の1人の人に対して岸田さんのメッセージを伝えるセラピーも良いと思うけど、もっと多くの人に岸田さんの経験を伝えてほしい。それがあなたの使命なんじゃないかな」

恩師の言葉には、今一つピンときていませんでした。私は偉い人ではありません。何も成し遂げてはいませんし、ただ死なないという選択肢を選んできただけにすぎません。そんな私の話を聞きたいと思う人もいないだろうし、私が話せるわけがないと思い込んでいました。

「岸田さんだから話すことができました」

ある日、患者さんからこんな言葉をいただきました。私だからってどういうことだろうと、不思議に思い、聞いてみました。

「岸田さん自身に大変なことがたくさんあったのに、キラキラ輝く岸田さんに生きる勇気をもらったからです」

患者さんの言葉に、ただただ私は驚きました。

笑顔でいることは心がけていましたが、輝いているなんて自覚はなかったからです。相手の話に耳を傾けることだけではなく、私自身のことを話すということで、他の誰かを元気づけることができるのかもしれない。思いもよらぬ気づきでした。そしてその日から、私に何が話せるのか、何を伝えられるのか、考え始めました。

娘の会社に入社

「ママのために新しい仕事をつくる」

そう言う娘が大学1年生の頃、垣内俊哉と民野剛郎と出会い、ミライロという会社を設立しました。

垣内氏の起業
左から、娘、ミライロ社長の垣内俊哉、民野剛郎。
2013年、ビジネスコンテストで最優秀賞を受賞したときの写真。
まだ、みんな20代です。

 

ミライロの企業理念は「バリアバリュー(障害を価値に変える)」主な業務は、高齢者や障害者など、誰もが利用しやすいユニバーサルデザインのコンサルティングです。

多くの人たちにミライロの思いや、障害のある人々への向き合い方を伝えるために力を貸してほしいと娘から言われました。本当に私なんかで大丈夫なのか。いろいろな迷いがありましたが、「とにかく、やってみよう」と決め、その日から、ミライロの社員として、講師としての第一歩を踏み出すことになりました。
 

娘の言葉「2億パーセント大丈夫」が現実になった日

岸田ひろ実講演
講演中は、笑顔をキープすることを意識しています。
周りの人に悲しい気持ちになってもらいたいわけでも、
かわいそうと思ってもらいたいわけでもなく、
ただ元気にしたい、少しでも役に立ちたいと思って講演しています。

 

最初は、レジャー施設のスタッフに向けた15分の講演でした。内容は、自己紹介と車いすに乗っていて困ること。資料や原稿づくりも初めてで、原稿の暗記にも苦労しました。失敗は許されないというプレッシャーに押しつぶされそうになりながら精一杯の準備を行いました。

本番当日、経験したことのない緊張感に包まれながら話しはじめました。そして、なんとか無事に講演を終えました。

講演後、受講者の方が「お話に感動しました。岸田さんのようなお客様に楽しんでいただくお店をつくりたいと思います」と涙ながらに感想を伝えにきてくれました。その姿を見て、嬉しくて、今まで感じたことのない達成感で満たされました。

車いすに乗っていてよかった、初めてそう思うことができました。そんな機会をつくってくれたのは娘。「2億パーセント大丈夫」が、現実になった瞬間でした。

そして私は今、日本全国各地や海外で、年間180回以上の講演を行っています。私に起こった出来事は「不幸」と形容されるかもしれません。しかしどんな不幸も、その裏側で気づけた幸せがたくさんあり、多くの人に伝えることで「ありがとう」の声をいただくことができました。

これからも、この先の未来に目を向けて、前へ、前へと歩んでいこうと思っています。

次回は「第3回 ユニバーサルデザインが解消する3つのバリア」について、お伝えします。

 

岸田 ひろ実

きしだ・ひろみ 1968(昭和43)年大阪市生まれ。日本ユニバーサルマナー協会理事。株式会社ミライロで講師を務める。27歳、知的障害のある長男の出産、37歳夫の突然死、40歳、病気の後遺症で車いすの生活に。自身の経験から、人生の困難や障害との向き合い方を伝える。

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