私らしく、美しく。
西村宏堂「比べる美はコンプレックスを生み、私らしい美は自分を幸せにしてくれる」
西村宏堂「比べる美はコンプレックスを生み、私らしい美は自分を幸せにしてくれる」
更新日:2025年02月18日
公開日:2025年01月21日
「私らしく」生きられず、“あら探しマスター”だったあの頃
――自ら施したメイクとブラックの衣装を身にまとい、カメラをまっすぐ見つめる西村宏堂さん。その姿は、美しく自信に満ちあふれている。けれども、かつては自分らしさを押し殺し、劣等感にさいなまれ続けた苦しい日々があったという。

私はずっと自分のことが嫌いでした。自分が“普通じゃない”ことに罪悪感と劣等感を持ち、他人に笑われたり批判されたりすることにビクビクしながら、20年以上生きてきました。
私は同性愛者です。子どもの頃からお姫様ごっこが好きで、幼稚園ではシンデレラごっこをよく友達に教えてあげていました。自分のセクシュアリティが他の人と違うことはわかっていましたが、当時はテレビなどで“オカマ”“ホモ”などとからかわれたり、気持ち悪がられたりしているのを見て、男性を好きな自分は恥ずかしい存在なんだと思い込んでいたのです。
本当はおしゃれが大好きで、メイクもしてみたかったんですが、化粧品コーナーに行くと「いらっしゃいませ、お母様にですか、彼女さんにですか?」と聞かれてしまい、自分のファンデーションがほしいとは言えませんでした。それに10代の頃はアトピーがひどくて。顔が真っ赤で、手の皮膚からは汁が出ている。気持ち悪い、汚いって思われるんじゃないかと心配したり、なんだか心まできれいじゃないようにも思えたりしていました。
自分のことが嫌いだと、他の人も嫌いってなるんですよね。あの人だって、こんなことができてない、なんであんな無責任なことを……などと、悪いところにばかり目が行く“あら探しのマスター”になっていました。すると自分の悪いところもまたたくさん見えてきて、もっともっと自分が嫌いになってしまったんです。
「私らしく」を手に入れてから人生がカラフルに!

そんな私の人生が上向き始めたのは、20歳でニューヨークの美術大学に進学した頃から。LGBTQであることを隠さず正直に生きている人たちをたくさん見たからです。例えば大学の学部長がゲイで、そのパートナーも同じ大学にいる。学生もそれを普通に受け入れている。街のショップでは、男性の体で生まれた人がバチバチにメイクをして堂々と化粧品を売っている……。私も隠さなくていい、劣等感を持つ必要なんてない、自分に正直に生きていいんだ、と思えるようになってきました。
そして24歳のとき、一大決心をして両親にカミングアウトしました。母は私が子どもの頃から「もしや」と思っていたそうです。父はいつものように淡々と「わかった。宏堂の人生だから自分の好きなように生きたらいい」と。両親がありのままの自分を受け入れてくれたことで、モノトーンだった人生がカラフルに輝き出したかのようでした。
私はお寺に生まれましたが、僧侶の父や母から「お寺を継ぎなさい」と言われたことは一度もありませんでした。私自身はというと、仏教やお坊さんを毛嫌いしていたんです。でも、よく知らないまま批判だけするのはよくない、自分のルーツでもある仏教ときちんと向き合おうと思い始め、僧侶の修行を受けることにしました。
そこで気付いたのは、仏教は2000年以上も前から私のことを守ってくれる教えだったということ! 「自分の気持ちに嘘をつくのは罪である」という戒めを知ったときは、ハッとしました。私はずっと自分の心に嘘をつき続けてきたから。
また『阿弥陀経』という経典には、「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光(しょうしきしょうこう、おうしきおうこう、しゃくしきしゃっこう、びゃくしきびゃっこう)」という一説があります。青い蓮の花は青く光り、黄色の蓮の花は黄色く光る。それぞれの花がそれぞれの色で輝いていることが素晴らしいという意味です。みんな、自分の色で生きていい、自分の好きな自分で正々堂々と生きていい。誰もが平等である、と。
おしゃれだって勧めています。『華厳経』という経典には、「ボロでは人は話を聞かないだろう。優れた高徳は優れた容姿があってこそ」という一説もあります。観音菩薩をじっくり見るとわかりますが、きらびやかな衣を身にまとい、冠やピアスなどの装飾品も身に着けていることが多いのです。
自分に正直に生きる、セクシュアリティに関係なくみんな平等、おしゃれは大切――。まさか、子どもの頃から身近にあった仏教が私をずっと応援してくれていたとは! ずっと毛嫌いしてたのに、ちょっと悔しい!(笑)
――留学をきっかけに「自分らしさ」を解放し、人生が色づき出したと語る宏堂さん。自分と向き合い続け、そして仏教の教えを学んだ宏堂さんだからこそ辿り着いた「美しさ」「美しい人」とは?今日から誰もが意識したい、美しく生きるヒントがそこにあった。
自分を好きになって大切にできると、美しさが生まれる

自分のセクシュアリティに問題はないんだって思えるようになってからは、アトピーもすごくよくなったし、健康にも気を遣うようになりました。以前はチョコレートチップが入ったチョコレートマフィンとチョコレートミルクをお昼ご飯にしたりして、結構めちゃめちゃなことをしていたんです。自分のことが好きじゃなく、ストレスが溜まっていたから、そういう選択をしていたんですよね。
でも、自分に正直に生きられるようになったら、自然と食生活も健康的になり、肌もきれいになってきました。自分のことを好きだという気持ちから、自分を大切にしたいという気持ちが生まれ、それが健康や美しさというものにもつながっていったのだと思います。
――とはいえ、すんなりと自分を好きにはなれないかもしれない。そこでメイクアップアーティストでもある宏堂さんが教えてくれたのは「メイクの力」で自分に自信を持つ方法だ。
私がメイクの道に足を踏み入れたのは、美大3年生の就業体験のとき。ミスユニバースのメイクをされていたメイクアップアーティストの方に弟子入りし、5年間アシスタントを務めた後、私もチームに加わりました。
メイクには人を変える力があります。私自身、細い目にコンプレックスがあり、アイプチで二重にして目を大きくしていた時期もありました。でも、「コウドウの目はきれいね」と褒めてくれる人が何人もいたりして、自分の目の特徴を生かしたメイクを工夫するようになりました。アイラインを長く引いて、切れ長の目を逆に強調するんです。かつてはコンプレックスだった目が、今では自分らしさをアピールできる武器になっています。
メイクって“魔法”みたいです。自分をもっともっと素敵にしてくれる、何かに挑戦してもいいかもと思わせてくれる、もしかしたらこんなことができるかも、あんな世界に行けるかもと思わせてくれる。そうして自分に自信がついて、自分のことが好きになったら、メイクをしていない素の自分のことも好きになるんです。私は今、すっぴんの私も好き。そう、すっぴんでいても魔法は解けない! いつだって“魔法の杖”は持ってるぞ、という気持ちなんです。
「あなたには価値があるよ、美しいよ」って思わせてあげられる人になりたい

実家のお寺には、こんな言葉を記した掛け軸があります。
「花も美しい 月も美しい それに気づく心が美しい」
鎌倉の円覚寺の偉いお坊さんの言葉です。私は小さい頃から、この掛け軸を見てきましたが、今になって「そうだよね」としみじみ感じ入っています。
美しさというのは、自分の心が美しいと感じられるかどうかが大切だと思うんです。みんなが決めた美しさだけじゃなく、何かに対して怒る、その情熱だって美しいし、失恋した寂しげな情景も美しい。もしかしたら花や月を見ても美しいと感じられないときもあるかもしれないけど、それもまた人間らしくて美しい、と。すごく懐の深い美しさ。そういうところにも美しさを見つけられる、そんな自分でいたいなと思います。
私はこれからも僧侶として、メイクアップアーティストとして、「自分らしく」生きようとしている人を応援していきたいと思っています。例えば自分が信じる宗教ではLGBTQが認められていないと悩んでいる人がいたら、「私が学んだ仏教では、みんな平等に救われると習ったよ」と伝えるだけで、ちょっとは気が楽になってもらえるかもしれません。それが私のお坊さんとしての役割だと思っています。

また外見は自分の内側を映し、自分らしさを伝えるメッセージだと思うから、そこも応援できたらって思っています。私自身、コンプレックスまみれだったときに「頭の形がきれいだね」とか、「所作が美しいね」などと言ってもらえたことで、どれだけ救われたことか。自分が思っていた自分より、もしかしたら自分は素敵なのかも、と思えるきっかけにもなりました。
誰かと比べる美しさはコンプレックスを生むけれど、誰とも比べない美しさ、私らしい美しさは、自分を幸せにしてくれます。
美しい人って、「あなたには価値があるよ、美しいよ」って思わせてくれる人でもあると思うのです。願わくば、私もそういう人になりたいと思っています。




