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- 作家・寮美千子が少年刑務所で見つけた言葉の可能性
作家の寮美千子さんは、奈良少年刑務所の少年たち186人に出会い「言葉は音」と感じたと言います。教育者でもなく刑務所関係者でもない彼女が、2007年から9年間「絵本と詩の教室」を行い、どんな経験をしたのでしょうか。心を揺さぶるエピソードです。
奈良少年刑務所との出合い、通うようになったきっかけ
実にひょんな出合いでした。
2006年、神奈川から奈良に越してきて間もない頃、夫と二人あちこち自転車を走らせていたときに見た、赤レンガの壮麗な建物。それが奈良少年刑務所で、近代建築ファンの私はひと目で魅せられました。
でも中には絶対入れない……そう思っていたら、2か月後、年に一度の「矯正展」が開かれるといいます。刑務所製品や作品を一般に向けて販売・展示する会だと知って、さっそく出掛けました。
体育館に展示された絵や陶芸作品、詩、俳句はどれも繊細な出来栄えで、「振り返りまた振り返る遠花火/夏祭り胸の高まり懐かしむ」という句に私は立ち止まってしまいました。
しかし、これを書いた子も、何か重い罪を犯したのです。戸惑いながらも私は思わず、そこにいた刑務所の教官に「こうした句を、彼らに声に出して読んでもらってください。きっといい効果があります」と話しました。
私は絵本や詩を書きます。長い間ラジオに、朗読するための詩を書いていたこともあり「言葉は文字ではない、音だ」という実感を強く持っていました。ただ活字を見るだけでなく、声に出すと、その音が新しい意味を持つ――そう思って言ったひと言が、私の人生を変えることになるとは思いもしませんでした。
刑務所の教育プログラムの講師に抜擢
10か月ほどたったある日、刑務所から「社会性涵養(かんよう)プログラム」なる新しい教育プログラムにおける言葉の講座の講師になってほしいという依頼が来たのです。月に1回を6か月。仰天しました。
朗読のワークショップの経験はありましたが、いったい何をどのように教えればいいのか。しかも相手は殺人、放火、レイプ、覚せい剤……といった重い罪を犯した17歳から25歳までの男子です。尻込みする私を説得したのは、電話をかけてきた教育統括担当の細水令子さんの「この子たちに美しい言葉を、寄せては返す波のように聞かせてあげたいのです」というひと言でした。
涵養という言葉は耳慣れないですが「水が染みこむように育てていく」という意味で、社会になじむことが困難なタイプの子、軽度の知的障害や精神疾患を抱えている子に、会話や絵画、言葉を通して内面を豊かにしようという教育プログラムなのだそうです。マニュアルはないのですか? と聞くと、「寮先生のお心のままにどうぞ」。余計に面食らいましたが、とにかく一人で行くことが怖かったので、夫と一緒なら、という条件で承諾しました。
初めての授業で見えた、子どもたちの変化
初めての授業は8人の少年に、私と夫、刑務所の教官が2人、そして細水さんが参加しました。ふんぞり返っている子、目が宙を泳いでいる子……正直「無理! 交流不能だ!」と思いました。でも引き返すわけにもいきません。
私が用意した題材は自分が書いた絵本『おおかみのこがはしってきて』でした。「絵本なんて女子どもの読むもんだ」「馬鹿にしてんのか」と彼らが思わないように、絵本は大人だって読むということ、絵本を作るのは小説を書くより難しい場合もあるということ、みなさんがいずれ社会に戻って父親になったとき、子どもに絵本を読んであげられるお父さんになってほしいということを一生懸命伝えました。
この絵本はアイヌのお父さんとその息子の対話でできています。アイヌの民話を元にしたお話で、この世で一番偉いのは何か――おおかみなのか、氷なのか、お日さまなのか、人間なのか、何なのか、子どもの質問にお父さんが答える形で話が進みます。
この対話を少年たちに朗読してもらいました。小道具として、アイヌ風の鉢巻きやはんてん、付けひげも用意しました。教官に促されてトップバッターを務めてくれた少年2人は緊張してカチコチ。聞いている方も2人に感情移入してハラハラ。だから2人が最後まで読み切ると、「よかった! すごい!」と教官も少年も一斉に拍手喝采です。
演じた2人はきょとんとしていました。本を読んだだけで、こんなにみんなが心からの拍手をしてくれる。そんな経験は、彼らは生まれて初めてなのです。そして全員の表情が変わってきました。
後に教官に伺うと、刑務所の少年たちは、子どもの頃からろくに学校に行けず、学芸会にも参加したことがない子が大半だそうです。親から罵倒され、否定され続けてきた子も多い。そんな彼らが、言葉を声に出すことで、みんなに真剣に耳を傾けてもらえた。それで彼らの中に、自己肯定感が芽生え、教室の雰囲気ががらりと変わったのです。
こんなにうまく行くなんて――ビギナーズラックかしらとも思いました。でも、私はその後9年間、186人の少年たちと向き合いましたが、この授業をして、一人として変わらない子はいませんでした。
最初の授業は、この朗読を順繰りにやってもらうだけ。いかつい少年が、子ども役をやりたい、と志願してくれたことがありました。お父さん役は、きゃしゃで細身の少年。逆じゃないかなと思いつつ演じてもらうと、強面の少年は大柄な体を小さくしてかわいらしい声を、きゃしゃな少年は精いっぱい低い太い声を出すのです。みんな、あっけにとられました。でもすごくよかった。きゃしゃな少年はお父さん役を堂々と演じ切ったことで自信が生まれたのか、晴れ晴れとしていました。
強面の少年は――授業後、刑務所の教官が私に言いました。「彼にやらせてもらえてよかった。あの子は小さいときから大変な成育環境で、親に甘えられるような家庭ではなかったんです」と。彼は後でこっそり教官に「先生、僕、先生にお父さんをやってほしかったな」と言ったそうです。
自己表現をしても誰からも傷つけられない
2回目の授業では『どんぐりたいかい』という絵本を題材にしました。6人のいろんなどんぐりが集まって、誰が一番偉いかを競う、というコメディで、最後はみんなで根性を競い合ってぐるぐる回って、回り過ぎてぱたんと倒れて「つづきはまたらいねん!」でおしまい。
今度は集団劇です。コミュニケーションが苦手な彼らは、声をそろえるシーンでもなかなかタイミングが合いません。でも、上手に演じることが目的ではないのですから構いません。自由にくるくる回って、言葉を声に出せれば、それでいい。
やっぱり「言葉は音」なんです。
文字を黙読するだけなら、そこで完結してしまいます。でも彼らは、同じ絵本でも読み手が変わると、全然違うものになることを実感し、言葉を音に返すことで自分を表現できる、と気付きました。また、これまで自分の考えを言うと、ぶん殴られたり、罵詈雑言を浴びせられたりしてきた子たちが、自己表現しても誰からも傷つけられないことに気付いたのです。
私は、なぜ細水さんが「夫も参加させてほしい」という私の願いを快諾してくれたのか、その理由を後で知りました。授業中、私と夫は、それぞれ自分の思いを語りました。違う見解でも、夫は私に腹を立てたり、殴って言うことを聞かせたりしません。多くの少年たちにとって、それは初めて見る対等な男女関係だったのです。そういう多様性を彼らに見せられてよかった、細水さんはそうおっしゃいました。
さあ、これで彼らの心に下地ができました。「次の授業までに、自分で詩を書いてきてくださいね」。彼らが書いてきた詩がどんなものだったかは、次回にしましょう。
寮美千子さんのプロフィール
りょう・みちこ
作家。1955(昭和30)年、東京都生まれ。毎日童話新人賞、泉鏡花文学賞を受賞。2007~16年、奈良少年刑務所で、社会性涵養プログラムにおける言葉の講師を務める。絵本に『おおかみのこがはしってきて』(ロクリン社刊)、著書に『あふれでたのはやさしさだった』(西日本出版社刊)他多数。受刑者の詩をまとめた『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』はこの夏の「新潮文庫の100冊」に選ばれた。第2詩集『世界はもっと美しくなる 奈良少年刑務所詩集』(ロクリン社刊)には、「詩の教室を開く12のポイント」とベテラン教官に聞いた「子どもを追い詰めない育て方」を収録。
※この記事は、雑誌「ハルメク」2020年9月号を再編集しています。
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