50代になった今こそ必要な啓発本
2022.02.272023年02月28日
「芸は身を助く」そんな結果を夢見ながら(2)
朗読の先生が「お坊さん」になりました
2021年12月、「お寺を継ぐことになったんだけど、直したい所がいっぱいあって…誰か大工仕事できる人いないかしら?」朗読発表会後、先生が困り顔で仰いました。チャンス到来! 言葉では言い尽くせないほど感謝している先生に喜んでいただけるなら。
「お寺に来ていただきご相談を」とメールが
お話を伺った時、「大工仕事は夫の趣味ですから、喜んでやると思います」と申し出ていたのですが、メールが来たのは4か月後。私の送り迎えでしか面識がない夫に本当に頼んで良いものだろうかと、迷っておられたのでしょう。
日程調節をしてお寺へ伺ったのは、5月2日。2022年のことです。お寺には清々しい「気」が流れていて、ここで大工仕事をするのは気持良いだろうなと感じました。
必要なのは、庭掃除の竹箒掛けとのこと。本堂を建てた時の物でしょうか、軒下には厚さ10cmもの立派な檜の板が4枚もあり、傷んでいる部分を切り取って角材にすれば、材料は一切買わずに作れそうです。
その日は、設置場所と大きさの希望を伺って帰り、夫は早速設計図に取りかかりました。「あるものを活かす」がコンセプトの夫にとって、願ってもない趣味の機会をいただきました。
そして、6月初旬3日間お寺に通い、檜の板から角材を切り出し、それを使って竹箒掛けを作り、大きな軒下に設置することができました。
私の朗読原体験―退職後の趣味となる―
「褒められた」体験は、生き方に影響します。小学生の頃から「音読」と「作文」だけは褒められ、それは私の自信となり、小学校ではずっと放送委員会に属していました。
子を持つ親となってからは、一緒にベッドに入って毎晩読み聞かせを続けていました。お話の世界に子どもと一緒に浸れるのは、仕事で疲れた私にとっても至福の時でした。
息子が1年生になってすぐ、私はC型肝炎で長い入院生活に入りました。小学生になってもまだ字が読めなかった息子は、学校の図書室で借りた本を持って毎日病室にやって来ました。持ってきたのは江戸川乱歩の『怪人20面相』。古い言い回しの長いシリーズ本でした。
来る日も来る日も、病室のベッドに並んで寝転がり、読み聞かせました。二人でその世界を共有するのが楽しく、苦しかった治療の合間の束の間の安らぎでした。ある時、隣のベッドから「テープを聞いているのかと思ったら、お母さんだったんですね」と声がかかりました。重い病の年配の方で、一緒に楽しんでいると仰るのです。
夏休みのある日、ボランティア活動の「星空映画会」で、「日本昔話」を上映していた時のこと、息子の友達が「あの声おばちゃんだね」というではありませんか! 何と、それは名優中の名優、岸田今日子さんの声!!
そんな体験から、退職後の趣味に朗読を選び、地元図書館主催の先生を招いての「朗読勉強会」に参加し始めました。ところが2016年11月、3回参加したところで脳出血を発症してしまい、「朗読」はおろか、発音するのさえ難しい状態になってしまったのでした。
障害がある私を受け入れてくださった先生
あれから6年経った2022年11月、私は、滋賀県のあるカフェの一室で、自作エッセイ「1冊の本との出合いから」を、10人余の聞き手の前で朗読していました。1冊の本とは、フクシマから滋賀県に避難してこられた青田惠子さんの詩と布絵のあの本『森の匂いは消えていった』です。
脳出血後遺症で喉が締め付けられ、思いどおりの表現にはほど遠かったのですが、その場に東北地方出身の方がおられたこともあって、みなさん涙ながらに聞いてくださいました。
「お坊さん」になったのは、声を出すことも難しかった私を「小さな発表会」に受け入れ、人前で朗読する勇気を持たせてくれた主宰者の先生、その方です。
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