落語自由自在(64)

ありがとう円楽さん

公開日:2022.11.25

10月1日、六代目円楽師匠の訃報を知り、呆然としました。同じ昭和25(1950)年2月の生まれで、若い時から親しみを感じていただけに、その直後は言葉も出ませんでした。今、ようやく想い出を辿る気持ちになりました。

六代目円楽師匠

円楽師匠は、テレビ番組『笑点』で、星の王子さまとして大人気だった圓楽師匠のお弟子さんです。円楽師匠の訃報と検索すると、五代目の事が出てくる場合もあります。五代目亡きあと、わずか13年ですから、いかに早過ぎる旅立ちかが分かります。

文化放送『楽太郎の美味しい朝だよ』

円楽を襲名する以前は、楽太郎としてテレビ番組『笑点』のレギュラーを務めるかたわら、1986年10月から1991年10月までの5年間『楽太郎の美味しい朝だよ』というラジオ番組で活躍していました。時々、番組に葉書を送ると、読んでもらえ、うれしかったのを昨日の事のように覚えています。

「銀座らん月」で、しゃぶしゃぶを楽太郎と一緒に食べようという番組企画に応募、夫と二人で参加したこともありました。それからビンゴゲームで遊ぼうにも当選、この時は父や母まで参加させて頂きました。

その際の楽太郎さんの、場を盛り上げる素晴らしい演出と進行ぶりに、目を見張ったものです。

文化放送『楽太郎の美味しい朝だよ』

寄席若竹

1985年4月、圓楽師匠が寄席若竹を建設、師匠と一門のリーダー的存在だった楽太郎さんが大活躍で、私も頻繁に通い、その溌剌とした高座に魅了されたものです。

楽太郎さんの出身校でもある東京都立深川高等学校の前を通り、若竹に行くのが当時本当に楽しみでした。

若竹は1980年に圓楽一門会が落語協会を脱退したため、寄席(鈴本演芸場・末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場)に出演できなくなり、そのため圓楽師匠が私財を投じて建設したものです。

年に数回『笑点』の収録会場になったりもしましたが、江東区・東陽町という立地もあり、1989年11月に閉鎖されました。

今でもビルはあり、セブンイレブンや、フィットネスクラブが入居しています。

寄席若竹

ありがとう円楽さん

その後も、春風亭小朝さんとの二人会や、歌丸師匠との会、円楽襲名披露興行等、数えきれない程、足を運びました。

2020年3月『桂文珍国立劇場20日間独演会』のゲストに、円楽さんが出演されるというので、駆けつけました。演目は桂枝雀作「いたりきたり」。

同じ年の7月円楽プロデュース『大江戸東京落語会』は、コロナ禍のためオンライン生配信。この時の演目は「ちりとてちん」で、元気な姿を見せてくれました。

若い頃、この仕事には定年はありませんと言って、舞台袖を指さし、そこからここまで歩ける体力さえあれば、いくつまででもできますと、よく言っていました。その体力がなくなり、最後の国立演芸場では、ここまで歩ける体力をつけたいと言っていました。

あまりにも早過ぎる旅立ち、残念でなりません。

「ありがとう円楽さん、今度は天国名人会に、活躍の場を移すのですね」

■もっと知りたい■

さいとうひろこ

趣味は落語鑑賞・読書・刺しゅう・気功・ロングブレス・テレビ体操。健康は食事からがモットーで、AGEフードコーディネーターと薬膳コーディネーターの資格を取得。人生健康サロンとヘルスアカデミーのメンバーとなり現在も学んでいます。人生100年時代を健康に過ごす方法と読書や落語の楽しみ方をご案内します。

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