聡明な母が認知症に…桐島かれんさんの向き合い方は?
2024.02.15体温並の気温
今日の気温が37度。昨日まで36度、35度が連日のようにあり、私の体温だわ……と。思いつつ過ごしています。
クーラーですが、昔(私の子供の頃)家にはありませんでした。家の裏に幅3mの川があり、夏は透き通っていて、よく藻の間で泳いでいました。夜になるとホタルがいて、それはそれはきれいでした。
ザリガ二釣りを父親がしてくれて、おいしかったな。そうそう夏は毎日そうめんを食べていたっけ、近所にごま豆腐作っているところがあって大きくて……おいしかった。
よくお使いに行かされるんですが、ごま豆腐1個100円でした。10cm四方もありました。今とはなにもかも(値段、大きさ)違いますが。
家で鯨の刺身、鯨の竜田揚げ、安くておいしいものが多かったです。今では高級品です! スイカは畑に転がっています。ポンポン叩いて確認し、熟しているの抱えて、家の井戸水で冷やします。
なんといういい時代だったのだろうか。勉強していると、牛が近くにいてびっくりしたもんです。父親は、12頭乳牛を飼っていました。 スウェーデン製の自動水飲み器がありました。一頭ごとにありましたね。乳の出がよくなるからと、牛小屋はクラシック音楽がかかっていました。父親は新し物好きでしたねぇ。
私もその点似ていて、新しいのを見つけるとワクワクします。父親のことを、最近毎日のように思い出すんですね。いい思い出ばかりです。亡くなって2年経った今……。
暑さのせいか、母親が急に食べられなくなりました。医療設備がある所に入院。1か月間、点滴投与(ブドウ糖)を腕にしていたり足にしていたり。会いに行くと、注射の跡が黒くなってかわいそうでした。
1か月前「もう、長くないと思います」と担当医師が言うので、一応お別れの可能性もあるかもしれないと……。喪服の準備だけはしていたけれど。
誰も命のことはわからないんですね
その病院を出て、介護と医療のあるところに母親は転院しました。毎日50キロカロリーしか摂れなかったのに、1か月が過ぎて、なんと食べれるようになりました。やはり、一日でも長く生きて欲しい。これはあてが外れて良かったです。
「食べれるようになった、食べれるように」と、自分のことのようにうれしい出来事でした。
105歳で、一人暮らしの女性が身近に住んでいます。認知症状もなさそうです。母親はまだ10歳も若い。
お母さん先は長いよ。しっかり食べなっせ(食べなさいよ)
気持ちが第一、何事も。夏は食欲低下が当たり前。気にせず、無理せず、猛暑日を乗り越えましょう。
ハルメク通販で買った日野原重明 先生の『生きかた上手 3年日記 』。書き始めて2年目になりました。
去年の今頃は……。と思いつつ読むとコロナのことが、猛暑日も。あまり変わっていないんです。ワクチン接種の選択が増えましたが。
3年目はどうなることか……。
■もっと知りたい■