俵万智さん 黒い感情を詠んだ歌が人を救うこともある

更新日:2025年02月04日 公開日:2025年02月02日

「サラダ記念日」から38年。歌人・俵万智さん 60代になってわかったこと

軽やかな口語調で日常を詠った『サラダ記念日』から約40年。恋愛、子育て、自らの病、老親との暮らし……その時々の瞬間を短歌にしながら年を重ね、還暦を過ぎた歌人の俵万智さんに今の思いを伺いました。

俵万智さんのプロフィール

たわら・まち
1962(昭和37)年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。高校の国語教諭として4年間勤務。87年第一歌集『サラダ記念日』刊行。同歌集で現代歌人協会賞受賞。96年より読売歌壇選者。歌集に『かぜのてのひら』『チョコレート革命』『プーさんの鼻』(若山牧水賞)『オレがマリオ』『未来のサイズ』(迢空賞、詩歌文学館賞)『アボカドの種』。評論に『愛する源氏物語』(紫式部文学賞)『牧水の恋』(宮日出版文化賞)など。2023年紫綬褒章受章。

50代、60代――その年齢でしか詠めない歌がある

――新刊『あとがきはまだ 俵万智選歌集』は、俵さんが24歳のときに刊行して大ベストセラーとなった第一歌集『サラダ記念日』から、還暦前後の歌が収録された第七歌集『アボカドの種』までを網羅するセレクション歌集です。年代順に歌を読んでいくと、その時々の俵さんの日常や時代の空気が色濃く伝わってきます。
 

短歌ってなかなか時をさかのぼっては作れなくて、それぞれの歌集に自分の年齢が刻まれているなと感じますね。

今振り返ってみると、第一歌集『サラダ記念日』には歌を作り始めた20代の頃の青春が刻まれているし、第二歌集『かぜのてのひら』は、高校の教員として働いていた時期から教員を辞める時期までが重なっているので、生徒たちを詠った歌が愛おしくて、たくさん入れた記憶があります。そういう若い頃の歌は、もう今の自分には作れない。

一方で、50代後半から60歳の頃の歌を入れた第七歌集『アボカドの種』には、30年ぶりに元カレと再会する歌〈三十年の時の人混みかき分けて元カレのいる居酒屋へ着く〉があったりして、それって30年しか生きていない人には絶対に詠めない歌なんですね。

その年齢でしか詠めない歌があるからこそ、二度とこない今を言葉でつかまえて大切にしたいという気持ちになります。

老いや病、入院……そんな日常も歌にして

――俵さんはこれまで恋愛や子ども、子育てなどを短歌の大きなテーマにしてきました。50代、60代と年を重ねて、歌にどのような変化がありましたか?
 

『アボカドの種』は、自分の体のあちこちにガタがきて1か月くらい入院したり、息子が大学生になって巣立っていき、子育てが一段落したなと思ったら、今度は両親が高齢になってきて日常の暮らしのサポートが必要になったり……そういう時期の歌集です。

だから、老いや病、入院をテーマにした歌もあるんですけど、そんなに湿っぽくない。私はもともと「ものごとのいい面、明るい面を発見していきたい」という気持ちが強くて、それが自分の持ち味だと思っているんですね。

例えば病院のコンビニに行ったとき、お酒が売っていないのは当たり前として、ノンアルコールも売っていないんだなと発見したり、街中のコンビニと同じように見えて、片隅にカツラのコーナーがあることにハッとしたり。実際に病院で暮らしてみないと見えないような発見を大切にしたいと思って歌を詠んでいました。

私だって死のカードを1枚持っている

――日々の発見を歌にする一方で、不安や怒り、悲しみなどネガティブな感情を歌にすることもありますか?
 

もちろん負の感情も遠ざけることなく、見つめることが大事だし、そこで歌ができたら、「よし、一首収穫できた!」ってプラスな気持ちになれます。やっぱり表現する方法を持っていることは、生きる上で素敵なことだと思いますね。

私はさっき言ったように、だいたいものごとの嫌な面よりもいい面を見る性質(たち)ではあるんですけど、高齢な親のそばにいて、特に母親と日常を共にするようになると、ちょっと“黒い娘”が出てくるんですよ。離れていれば、“ホワイトなよき娘”でいられるのに、そればっかりじゃいられなくなる。

例えば母との会話の中でできた歌が〈切り札のように出される死のカード 私も一枚持っているけど〉。親ってすぐ「私はもう死ぬから」とか言って、もっと大事にしてほしいオーラみたいなものを出してくるじゃないですか。

死ぬって言われると、こっちはドキッとするし、ごめんごめんという気持ちになるんだけど、一方で「いや、私だって死のカードを1枚持っている」と思い、つい作ってしまった歌です。『アボカドの種』には、こういう黒い歌が結構あって、最初は何だか恥ずかしいし、読んでいる人が嫌な気持ちにならないかと心配しました。

でも意外と「いいことだけではない黒い歌に救われた」「俵さんもこんな感情を持つんだと共感した」と言ってくれる人が多くて。黒い歌にも人を救う力があるというのは新たな発見でしたし、私自身も逆に励まされました。
 

――短歌にすることで黒い感情が昇華される面もあるのでしょうか?
 

歌というフィルターを通して、“うわっ、黒い!”と自分の感情を客観視できるので、自分の中で1回落とし前をつけられるところがあると思います。

私はこれまで失恋の歌をたくさん詠んできました。失恋したときの負の感情も、私はじっくり味わわないと抜け出せない気がするんですね。そこから逃げているうちは終わらなくて、悲しみをしっかり受け止める時間を持つことで、自分の中で穏やかなものとして着地できる。それは歌を詠むことのよさだと思います。

慌ただしい毎日に少し立ち止まる時間を

――40年にわたり歌を詠んできた俵さんが思う、短歌の魅力とは?
 

歌を詠んでいるからこそ、日常の小さなときめきや発見に気付けるんじゃないかと私は思うんです。慌ただしい毎日を送っていると、「あっ」と何か思っても、思いっぱなしで通り過ぎちゃって、そのときめきや発見はどんどん流されていってしまう。

でも歌を作っていると、今のときめきや発見は何だったんだろうと、少し立ち止まる時間が生まれるし、言葉にするために味わい直す時間も生まれる。それは日常を丁寧に生きることにつながっていて、私が歌を作っていて一番いいなと思うことですね。

「あっ」と思う瞬間は、日常のあらゆる場面にあって、道を歩いているとき、スーパーでレジを待っているとき、野菜を炒めているとき……いつでも思いついたら言葉のかけらをメモするようにしています。
 

――短歌を作ってみたいという人に、俵さんからアドバイスするとしたら?
 

短歌を作るのに何も準備はいらないんです。例えば楽器を演奏しようと思ったら、楽器という道具がいるし、音を出すための技術も必要です。

でも短歌の場合、道具は言葉というみんなが持っているものだし、日本語で暮らしているなら、すでに音が出る状態なんですね。だから始めるしかない。決まりは五七五七七という型だけで、これを不自由な制約と思うかもしれませんが、実は型があるってとても便利です。

もし何文字でもいいよと言われたら、私はすごく困ってしまう。言いたいことをダラダラと書いてしまって、まとめきれないと思います。でも、とりあえず型にさえ合わせれば短歌らしいものができますので、安心して身をゆだねて言葉をのせていけばいい。季語も必要ないので、まずは作ってほしいですね。

例えば「来週までに3首」と自分に宿題を課してみると、その1週間、暮らしの中のときめきや発見に敏感になって、心の持ちようが変わってくると思います。すべての人におすすめしたいです。

『あとがきはまだ 俵万智選歌集』の編者であるYouTube出身の書評家・渡辺祐真さんと

俵万智さんの本『あとがきはまだ 俵万智選歌集』

著・俵万智/編・渡辺祐真/短歌研究社刊/1980円

歴史的ベストセラー『サラダ記念日』から最新作『アボカドの種』までを網羅するセレクション歌集。俵さん自身が、書評家・渡辺祐真(スケザネ)さんと一緒に選んだ220首を収録。80ページ超のスケザネさんによる鑑賞の手引き「俵万智の読み方」付き。


取材・文=五十嵐香奈(編集部)、撮影=中西裕人

※この記事は、雑誌「ハルメク」2024年7月号を再編集しています。

 

HALMEK up編集部
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