クイズ:お箏の絃は何本でしょう?
2021.07.022021年06月19日
クイズ好きでも「どっちだっけ~」と迷いがちな史実
教養として知っておきたい、ややこしい日本史 長崎編
クイズです! 江戸時代に長崎の出島で218年間活動していた国は? え~と、ポルトガル、オランダ、どっちだっけ? 分かるようでいて実は曖昧な知識ってありますよね。今回はそんなアヤフヤになりがちな日本史の一例を挙げ、学び直しをしたいと思います。
クイズ:「ポルトガル? オランダ?」
安土桃山や江戸時代におけるポルトガルやオランダとの関係、
問題1「日本にキリスト教を伝えたのはイエズス会ですが、その布教活動を命じたのはどこの国?」
問題2「合羽(かっぱ)、天ぷら、金平糖、
問題3「(当時)同じキリスト教国でも、ポルトガルはカトリックの国でしたが、
問題4「長崎の出島で、
問題5「1820年代にオランダ人と偽って出島に出入りし、出島の外に鳴滝塾を設けたドイツ人は誰?」
答え合わせ:ほぼ二択ですが正解は?
1:ポルトガル キリスト教カトリック教会修道会であるイエズス会は、ポルトガル国王の命によりアジアで布教活動をしていました。
2:ポルトガル パン、カルタ、煙草などの言葉も、南蛮貿易によって日本にもたらされました。
3:プロテスタント 新教とも(カトリックのことは旧教とも)。
4:オランダ 当初数年間はポルトガルが、鎖国令発令後はオランダが出島に居住。
5:シーボルト 「オランダ語が下手なのは山オランダ人だから」とごまかしてドイツ人であることを隠していました(オランダの山地出身という意味だが、実際のオランダは低湿地帯であり山地はない)。
長崎貿易の主はポルトガルからオランダに
信長治世はキリスト教に好意的でした。が、次の秀吉治世、ポルトガルが貿易と布教を一体化して行ったため、秀吉は貿易で得られる利益を望みつつも、
令自体は「個人の信仰は自由」という寛容な内容でしたが、10年後秀吉はキリスト教関係者に「日本二十六聖人殉教」と後に呼ばれることになる迫害(処刑)を行います。
徳川の治世になると、1612年に禁教令、1630年代には鎖国令が複数回発令されます。幕府は、1636年にキリスト教布教阻止のためポルトガル人を出島に収容しますが、1637年に島原の乱が起きるとキリスト教勢力に対する警戒心を一層強め、1639年に出島及び国内からポルトガ
そうした背景があり、布教を伴わない貿易を約束したプロテスタントのオランダが、幕府に貿易を認められて1641年に出島入りし、以後長崎における貿易を独占していきました(その一環により独人シーボルトも、オランダ商館医員として来日したのです)。
しかし幕末になると、黒船来航により鎖国が解かれ、1859年長崎が自由貿易港として開港。スコットランド出身のグラバーに代表される外国人たちが長崎居留地を拠点に貿易をすることとなり、出島はその役割を終えます。
1864年には居留地に外国人のための礼拝堂として大浦天主堂が建立されますが、そこには、秀吉治世に行われた「聖人殉教」を悼むという目的も含まれていました。
※文中にはポルトガルとオランダの二国しか登場しませんが、実際には鎖国令発令までは他国や他修道会も来日していました。また、宗教改革や大航海時代という世界史の重要な背景もありました。当コラムは内容の煩雑化を避けるため、あえて周辺情報を端折り、二国のみの対比で単純化してまとめています。
オランダ由来の言葉
クイズではポルトガル由来の言葉をとりあげましたが、オランダ由来の言葉もたくさんあります。ランドセル、ポン酢、ガラス、スコップ等が有名ですが、「どんたく」もその一つです。
「どんたく」:オランダ語で日曜日や休日の意味があり、40代以上ならご存じの「半ドン」は「半分ドンタク」の短縮形といわれています。かつては土曜日が半ドンのことが多かったですね。
また、野菜名にもオランダがつくものが多く、オランダガラシ(クレソン)、オランダ菜(キャベツ)、オランダみつば(セロリ)などがその代表例です。
今回はクイズというよりは歴史の勉強のようになってしまい、申し訳ありません。
ただ、長崎に限らずどこかお出かけの際にはこうした史実を知っておくと、旅がより一層興味深いものになると思います。
奇しくも、今年はポルトガル船が長崎に来航してちょうど450年。コロナ禍で現地訪問は難しい状況ですが、せめて彼の地に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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