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2024年06月25日
ようこそ読書の森へ(6)
ラジオから流れる歌を、浴びるようにして育った私の子ども時代。商店街にも歌が溢れていて、自然と耳に入り、いつの間にか歌えるようになっていたのです。
カルチャー・スクールでは「昭和歌謡案内」の講座が大人気で、この本はテキストとして買われているようです。
講師のタブレット純さんは、昭和49年生まれ。幼少期よりAMラジオで聴く古い歌謡曲が好きで、愛聴していたそうです。
講座の模様がYouTubeにあり、ギターを弾きながら、国宝級の美声で歌い上げていました。全部元歌を超えています(←すごい!!!)。
放送中の人気番組の書籍化です。半年間にわたるオンエア曲をテーマ別に編纂し、対談等を加え構成されています。レコードが手元にないと聞けない、埋もれた名曲の紹介もあり、読み応え充分です。
昭和35年「アカシヤの雨がやむとき」
この歌は、作詞の水木かおるさんが『巴里に死す』という芹澤光治良さんの小説をもとに書いたそうです。
私は、芹澤光治良文学館全12冊と、人間の運命全巻、晩年の神のシリーズも全部持っています。愛読者として、お別れの会にも列席しましたが、歌との関連は知りませんでした。
純さんは中古レコードの収集が止まらないと言っていましたが、気が付けば私は本の収集家でした。
純さんを知ったのはNHKの「演芸図鑑」でした。
桂文珍さんが車を運転中に、ラジオから聞こえきた純さんに魂を奪われ、思わず車を止めたそうです。そして、番組に呼んでくださったのです。
師匠の「ちょっと歌って」に応えて歌った、和田弘とマヒナスターズの「泣かないで」が素晴しかったのは、言うまでもありません。
小学生の頃から、和田弘とマヒナスターズが大好きで、メンバーになりたいと思っていたそうで、27歳で夢を実現。その劇的な経緯は『ムードコーラス聖地純礼』に記されています。
和田弘氏逝去後、ムード歌謡の貴公子として活動、またムード歌謡漫談という新分野で、お笑い芸人としても活躍中です。
毎年通っている「桂文珍大東京独演会」に、純さんがゲスト出演するというので、行って来ました。笑いのセンスも抜群で、心に響く歌声に感動しました。これは3月まで連載していた「落語自由自在」(休止中)に書くべきかと思いましたが、あくまで本の紹介ですのでご了承ください。
純さんのCD「銀河に抱かれて(ラジオ深夜便のうた)」「百日紅」「母よ(配信限定シングル)」もおすすめです。
原稿を書いている途中で、純さんの三大野望の一つ「笑点」出演決定(6月30日放送)のニュースが飛び込んできました。楽しみです。
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