夫婦キャンピングカーの旅

突然訪れた母の看取り。1300キロを車で駆けつけて

公開日:2019.04.30

念願のキャンピングカーを購入した蒲池さんが、夫婦で日本全国をドライブして巡ります。今回はいつもの楽しい旅行の話はありません。母が病院へ運ばれたと連絡を受けた蒲池さん。東京から大分県までの距離を、車を走らせ向かった病院で目にしたのは……。

遅かった母との再会

病院に到着して部屋を開けたら顔には白い布が……。間に合うと思っていただけに、後から後から、あふれ出す涙。病気から解放された母は微笑んでいるように見えました。涙を拭い、頬にそっと顔を付けるとまだほんのり温かい……。
 

底冷えする1月のある日。車で遠い地の病院へ

3年前から母は難病を患って、たびたび入退院を繰り返していました。今回は喉に食べ物を詰まらせて病院へ運ばれたとのこと。何だか胸騒ぎが……。

「会いに行かなきゃダメでしょう!」の息子の言葉に押されて、出る準備を始めたものの、すぐに行ける場所ではありません、飛行機の手配をしなければ……。

すかさず、「早く準備しな。車で連れて行ってやるよ」と夫。嬉しかったのですが、実は前日に泊りがけの外出から帰ってきたばかりで、体は相当疲労しているはずなのです。いくら運転が好きでも東京から大分県までの1300キロ以上の距離は、あまりにも遠すぎます。そう思いながらも不安に押し潰されそうで、優しさにすがってしまったのです。

無事に病院へ到着しますように。

「ごめんね、今日はゆっくり休むはずだったのに……」
「いいよ、一緒にお母さんに会いに行こう」

心の中で夫に「ごめんね」を繰り返しながら、変わりゆく窓の風景をただただ眺めていました。ハッと気が付いた時には岡山のサービスエリアまで来ていました、ノンストップで。夫に感謝の気持ちを伝えて、少しでも早く疲れが取れることを祈りました。

翌朝私の携帯に病院から電話が入って、母の病状が急変したことを告げられました。

「ここは広島だからあと2時間位で着けるよ。急ごう」

私が眠っている間に距離を縮めてくれていたのです。嬉しい気持ちとは裏腹にほとんど寝ていないことへの不安が募りました。

お願い、無事に病院まで到着できますように……。

病院へ到着。ベッドの母へ

母親の看取りのイメージ
※イメージ

横たわる母に駆け寄り、温もりがわずかに残っている手を握って、語り掛けました。

「お母さんとはいっぱい話をしたよね、と言っても心配をかける話ばかりで、ごめんね。お母さんはとても強い女性だったから、この年までずっと甘えちゃった。薄れゆく記憶の中に三人姉弟の中で私の名前だけは微かに留まっていたよね。1週間前に電話で話を聞いてくれたときは、振り絞るような声で『いいと思う』と言われて奇跡かと思ったよ。これからアドバイスがもらえないのは寂しい……。そうそうお母さんの影響でおしゃれをするようになったよって書いた記事がハルメクで、アップされたから、ここで読むね」

文章を書くのが得意だった母から、どんな感想が聞けたでしょうか。

母と父、晩年の二人。理想の旅立ち

難病で日に日に身体が不自由になってしまったけど、父の優しさに包まれて幸せそうだった母。何かを語り掛けながら見せる穏やかな笑顔が、介護をする父の救いでした。そして食後、父が母の特製座椅子となって、お気に入りのビデオを見るのが二人の細やかな楽しみでした。

病院に搬送されるまで、母は普通にカートを押しながら、自分の足で歩き、食事をしていたのですから……。誰にも迷惑を掛けることのない理想の旅立ちです。

元気なうちにキャンピングカーに乗せることはできなかったけど、これからは一緒。大切にしていた母のネックレスを身に着けて、日本全国に出かけます。

蒲池さんの母の形見のネックレス
形見のネックレス。父から母への贈り物でした。

次回は、母の看取りと葬式を終え東京に戻る道中で起きたことについて、お話します。
「大分県から東京へ。帰路の途中に出会った母の恩返し」

蒲池 香寿代

大分県生まれ。小学校の時に恩師の先生との日記を機に何かしら記録することが習慣になっていました。結婚後は家計簿日記と運動不足解消の体操が日課になっています。元気なうちに念願のキャンピングカーで日本全国を横断するのが夢です。

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