樋野興夫さん|自分が、家族が「がん」と診断されたら
2024.09.162023年08月29日
がん哲学外来・樋野興夫「がんとともに生きる」#3
樋野興夫さん|がんになっても後悔を残さないために
樋野興夫さんは「がん哲学外来」の活動を通して、患者さんの悩みの多くは、がんや病気ではなく、生き方そのものへの迷いや不安だと気が付いたといいます。樋野さんが伝えたいどんなに大変な状況でも、心を少しラクする心の持ち方と心に効く「よい言葉」とは?
樋野興夫さんのプロフィール
ひの・おきお 1954(昭和29)年、島根県生まれ。順天堂大学名誉教授。新渡戸記念中野総合病院 新渡戸稲造記念センター長、恵泉女学園理事長。米国アインシュタイン医科大学、米国フォックスチェイスがんセンター、がん研実験病理部部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を設立。著書に『いい覚悟で生きる』(小学館刊)、『がん哲学外来へようこそ』(新潮社刊)他。
現実を受け入れ、そこでできることを探してみる
今でこそ、日々、患者さんやその家族と対話をしている私ですが、実は社交的でも話し上手でもありません。むしろ超がつくほどの口下手です。そんな私が、なぜ現在の活動を続けられているのか、最初に少しお話をさせてください。
私は島根県出雲市大社町の鵜峠(うど)――日本海に面した人口40人ほどの無医村で生まれ育ちました。父は船乗りで不在が多く、体が弱かった私を、よく母は背負って坂道を越え、隣村の診療所まで駆け込んでいました。
それで3歳のとき、母の背にゆられながら、医者になると決心しました。村には小学校も中学校もなく、近所に一緒に遊ぶような同世代の友達がいなかったので、いつも一人、丘の上で読書をして過ごしました。
でも、そのおかげで若い多感な頃に、周囲の目を気にすることより、書を読み、考え、自分自身にとことん向き合うという経験ができたのだと思います。
その後、医師を目指し大学に進学しましたが、どうにも出雲弁が抜けず、問診が苦手という理由で臨床医をあきらめて病理医の道に進みました。こうしてシティボーイになれなかったからこそ(笑)、病理研究の中でアスベスト問題に出合い、今に至るのです。
こうして振り返ると、一見理不尽に感じる環境すら...