「さつまいもの天ぷら」横山利子さん
2024.09.302021年10月22日
山本ふみこさんのエッセー講座 第6期第2回
エッセー作品「ゆで玉子」平木智子さん
随筆家の山本ふみこさんを講師に迎えて開催するハルメクのエッセー講座。教室コースの参加者の作品から、山本さんが選んだエッセーをご紹介します。第2回の作品のテーマは「卵」です。平木智子さんの作品「ゆで玉子」と山本さんの講評です。
ゆで玉子
冷蔵庫を開けるとドアの内側、丸い穴にちんまりと収まっている玉子を見ない日はない。
玉子は常備食品になっている。
時折玉子とじとか茶碗蒸しになって食卓にのぼって来るが、脇に廻った感がある。
しかし、かつては女王さまの様な食品だった。
私の小学校入学は昭和24年で、6年間がすっぽりと昭和20年代に収まっている。
まだ敗戦の傷あとが濃くのこり、特に前半は、主食や生活必要品の多くが配給制のもとにあった。
日本中が貧しかった。
ところが、4年生になると急に物が豊かに出廻って来た。
それまでは男女共通だった黒いゴム靴が、この年は赤むらさき色の女の子らしい靴を買ってもらえた。
とってもうれしかった。今でもそのデザインを覚えている。
今にして思うと、1950年、51年は朝鮮戦争が起こっている。米軍の全戦闘物資を供給した日本は、特需景気を受けていたのだった。しかし子供の私はそんな事は知るよしもなく、只女の子らしいクツがうれしかった。
食料の方は、どうだったろうか。
ナットー、野菜、イカ、ホッケ、さんま等の魚類を思い出す。
おやつは、いも、かぼちゃ、秋になると本州から入って来るさつまいもが加わった。北海道の子供にはこの甘いさつまいもはごちそうだった。
玉子は一般的にはまだ高嶺の花であった。農家の子がうらやましかった。
4年生の時の遠足の日のことを今もおぼえている。兄が6年生、妹が1年生だった。
母が用意してくれたおべんとう、おむすびなのはわかっていた。
その他に明治製菓の赤い箱のミルクキャラメル、きびだんご、そしてゆで玉子があった!
「ゆで玉子だからね、トントンとカラをたたいてからむいて食べるんだよ」
母の講釈を聞きながらうきうきとしてリュックにつめこんだ。
3人の小学生の遠足のために、近くの農家から調達してくれたのだろう。
全校生徒が校庭に整列し、校長先生のお話を聞いてから各学年が各々の目的地へ行進していった。
私は初めて遠足のおべんとうに加わったゆで玉子が気になり、校長先生のお話どころではなかった。
早く目的地に着いておべんとうが食べたかった。
行進中もおべんとうの中にゆで玉子があることをとてもほこらしく思っていて、皆のまえで早く出してみたかった。
おべんとうの時間がやって来た。
仲よしのレイコちゃんと並んですわった。
「わたしね、ゆで玉子があるんだよ」と、まちきれなくて発表した。
するとレイコちゃんは「私ももって来たよ」と普通のことの様に言った。
この日母さんがゆで玉子を入れてくれたことがとてもうれしくなった。
山本ふみこさんからひとこと
読ませていただけてうれしかったです、先輩!
と、思いました。
終わり近く、仲よしのレイコちゃんが云います。
「わたしも持ってきたよ」
ところがトモコちゃんは、つまらない打撃は受けたりせずに……。こういうところに、人柄が、魅力があらわれるのです。
どんな時代、どんなつらい事柄、きびしい経験でも、この書き手にかかれば、作品に光が射します。
山本ふみこさんのエッセー講座(教室コース)とは
随筆家の山本ふみこさんにエッセーの書き方を教わる人気の講座です。
参加者は半年間、月に一度、東京の会場に集い、仲間と共に学びます。月1本のペースで書いたエッセーに、山本さんから添削やアドバイスを受けられます。
現在第6期の講座を開講中です。次回第7期の参加者の募集は、2021年12月に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始予定。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから。
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