「さつまいもの天ぷら」横山利子さん
2024.09.302021年03月24日
通信制 青木奈緖さんのエッセー講座第5回
エッセー作品「心のゆたかさ」岡島 みさこさん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。岡島みさこさんの作品「心のゆたかさ」と青木さんの講評です。
心のゆたかさ
母は女学校時代、アンドレ・ジッドやヘルマン・ヘッセの翻訳本を乱読する文学少女だった。
三児の母となってからは育児と家事に追われていたが、末っ子のわたしが1歳のころ、近くの集会所で俳句会があることを知り、乳母車にわたしを乗せて見学することにした。
その頃奈良に住む叔母へ近況を知らせるハガキを出したようだ。
叔母は母の父親の弟、豊次郎と大正6年(1917年)結婚し、父母の結婚式にも参列をしていた。
49歳で豊次郎が他界したので(叔母の多佳子38歳のとき)、母の父親は何くれとなく暖かい手を差しのべていた。
やがて叔母は俳句結社「七曜」の主宰者として多忙な日々を送るようになり、母はその叔母から届いたハガキを大事に残していた。
「あなたによろこんで頂きたいと思ってお知らせします。奈良文化賞を受けることになりました」、そして「あなたも俳句をなさいませ。」とそっと母の背中を押してくれた。
母は、常々自然から詩的な何かを感じられること、それだけでじぶんはしあわせであると、わたしに語ってくれた。
俳句結社「白扇」の宝塚市仁川支部の句会に母は通い始めた。
和やかな雰囲気で落ちつく場所だった。やがて母の心からあふれる詩情の火がともり、その一端を表現することができる俳句に魅せられていった。
先生は母の俳号を第一印象がとても初々しいからと「早苗」と名付けてくださった。38歳のときである。
はじめて総会員の句集が単行本として発刊された時、母の句も掲載された。
「つつましく火鉢押合う句会かな」「療養所の母を見舞うや月見草」純真な母の思いが表現されていた。
ほかに「野草つむ聖書にありし心もち」「夫のむく林檎素直さ取りもどす」など17文字の世界で自分の詩情を表すことに磨きをかけていった。
いつも小型の手帳と短めの鉛筆を持ち歩くようになっていた。
家計は父が握っていた。
母は精一杯生活を切りつめる日々を重ねていた。
時には味噌メーカーの試供品モニターをすると粗品をもらえ、わたしもいっしょに味見を楽しんだ。
市場での買い物ではシールがもらえ、それを規定の用紙に貼って数がそろうと景品が当たるというので、わたしは母の手をギュッと強く握りしめて、わくわくしながら市場にむかったものだ。
七五三のお祝いをする年齢になり、娘を持つ親として立派なひな壇や着物を買いそろえるゆとりはなかったようだ。
つぎの句が句会で特選になった。
「七五三せめてリボンは大きめに」これは〈先生の1票を得るために、わざとなみだをさそった句でしょう〉と他の人から批評されたらしい。
わたしは幼くて意味はわからなかったが、ピンクの大きなリボンが嬉しくて心は満たされていた。
高価なものを手にすることはできなくても、母のほほえみとやさしい心づかいが、どんな時にもみんなにしあわせな思いをあたえていた。
母は心のゆたかさを教えてくれたとわたしは思っている。
青木奈緖さんからひとこと
控えめながら一つ一つ丁寧にお書きになる筆致が岡島様の持ち味です。
静けさの中にお母様の俳句が散りばめられ、作品の世界観が豊かに広がります。俳句からお母様のお人柄が想像でき、とても味わい深く拝見しました。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。講座の受講期間は半年間。
次回の参加者の募集は、2021年7月に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始予定。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから。
■エッセー作品一覧■
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- 青木奈緖さんが選んだ3つのエッセー#5
- エッセー作品「時の流れ」加地由佳さん
- エッセー作品「心のゆたかさ」岡島みさこさん
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