「種種雑多な世界」水木うららさん
2024.11.302021年01月21日
通信制 山本ふみこさんのエッセー講座第4回
エッセー作品「臍(へそ)」いぬい みきさん
随筆家の山本ふみこさんを講師に迎えて開催するハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から山本さんが選んだエッセーをご紹介します。今回募集した作品のテーマは「背中」です。いぬい みきさんの作品「臍」と山本さんの講評です。
臍(へそ)
「背中」について書くことになる。
背中、背中。何も思い浮かばない。ノートの真ん中に大きく「せなか」と書いてみる。亀の甲羅。ヤドカリの殻。……なにか違うな。エステを受ける無防備な背中。バレリーナの贅肉のない背中。大きく背中のあいたセクシーなドレス姿。「せなか」からいくつもの矢印が四方八方に散ってゆき、思考もどんどん広がっていくのだが、どうもその次への矢印が出てこない。
この1か月の間に1枚目で書き止まりしている原稿はいくつになるだろう。秋が、止まりかけたオルゴールのように思考停止を連れてきたようだ。大好きなメロディーも今はすでに別物に聞こえる。いけない、いけない。私はもう一度しっかりとネジを巻いてみる。お、今度はうまくいきそうだ。メロディーは池の端の小さな神社へと飛ぶ。
興福寺の52段の階段を下りると猿沢の池がある。
その西の端にひっそりと佇むのが采女(うねめ)神社である。その昔、帝の寵愛を受けられなくなった采女が悲しみのあまりこの池に身を投げた。
彼女の霊を鎮めるために神社を建てたのだが、お社はなぜか池や鳥居に背を向けて建っている。ふしぎな建て方なのだが、実は采女の霊が、身を投げた池を見るに忍びないと自ら背を向けるようになったらしい。元に戻しても、翌日にはまた背を向けるのだそうだ。
采女伝説は奈良時代の話だから、1300年もの間彼女は苦しみ続けているわけである。愛がその形や深さを変えるのは仕方のないこと、若い女性にはつらい日々だったのだろうが、生き方を変えてみるという発想が生れなかったのは本当に残念なことだ。
生きる年月が増えることは逃げ方がうまくなることなのではないか、たくさんの経験から、道がいくつも見えることではないか、と私は思う。若いうちには見えなかったいくつもの道が、生き進んでいくうちにだんだんはっきりした形を成してくる。図太いとか、心臓に苔が生えているとか、これらは決して悪口ではないと思う。生き方の臍を固めるということなのだ。
ついてこい、私の過去。
山本ふみこさんからひとこと
後半、とくに読ませます。
「ついてこい、私の過去」
ひゃー、かっこいいこと!
ここに向かって書かれたんだなあ、と読者としても晴れ晴れとした気持ちになります。若いひとにも、読ませてあげたいですね。
通信制 山本ふみこさんのエッセー講座とは
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回出されるテーマについて書き、講師で随筆家の山本ふみこさんから添削やアドバイスを受けられます。講座の受講期間は半年間。
次回の参加者の募集は、2021年6月に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始予定。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから
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