「種種雑多な世界」水木うららさん
2024.11.302020年11月30日
通信制 山本ふみこさんのエッセー講座第2回
エッセー作品「逃げ足」三澤千惠子さん
随筆家の山本ふみこさんを講師に迎えて開催するハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から山本さんが選んだエッセーをご紹介します。今回募集した作品のテーマは「雲」です。三澤千惠子さんの作品「逃げ足」と山本ふみこさんの講評です。
逃げ足
夏の終わりに、見晴らしのいいところでコーヒーを飲もうと意見が一致して、夫と 2人で出かけた。車に登山用のボンベと水、コーヒー、カップなどを積んで。
高台のスポーツ公園は広大で緑が豊かだ。しばらく走ると、急に視界が開け景色のいい場所がみつかった。ここにしようと決めて車を停め、準備にとりかかった。見晴らしもいいし、人もいない。心地よい風が吹いている。
外でコーヒーを入れるのは夫の役目。ボンベに火をつけてお湯を沸かすのも楽しそうだ。私の脳は、もうおいしいコーヒーを味わう準備ができていた。
突然、辺りが暗くなった。本当に突然、目の前に真っ黒い雲が広がっている。頭上ではなく目の前に。高度が少し上がっただけで、雲がこんなに近いとは……。それは、巨大な黒いオムレツのような形でぐるりぐるりと回りながらこちらに迫っていた。
「えっ」「なに」「なに」とパニックに近い恐怖を感じるが早いか、私はとっさに一人で車の中に逃げ込んでいた。ふと見ると夫は、ボンベの片づけに手間取っていた。
夫が車に戻る前に、大粒の雨が車の窓をたたきだした。そしてやっとのことで夫も逃げ込むと、ザーッと降りだした。雨脚はいよいよ勢いを増して車全体をたたき続け、辺りはさらに暗くなった。大きな怪物に飲み込まれたかのようだった。しかし、車が守ってくれているので最初の恐怖は収まっていた。黒い雲がなぜあんなに怖かったのだろう。
黒雲と雨は、来た時と同じように信じられない速さでサーッと通り過ぎて行った。
このとき、私はこれまで自分のことを見誤っていたことに気づいた。何があっても家族を守る、身近にいる人を助けるのが私、と思い込んでいた。しかし全く予想外の動きをしている自分に驚いた。突然の出来事で、わが身を守るのに必死だったのだ。
この日は、おいしいコーヒーを逃したうえに、「逃げ足がはやかったなぁ」と夫に言われ続けた。
山本ふみこさんからひとこと
すっかり読者になりきっていました。何気ないたのしみを何気なく綴って、読ませる——これがもっともむずかしく、そして価値ある創作世界だと思います。結びの3行にクスッとさせたりして、いい感じ。コーヒーが飲みたくなりました。
通信制 山本ふみこさんのエッセー講座とは
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回出されるテーマについて書き、講師で随筆家の山本ふみこさんから添削やアドバイスを受けられます。講座の受講期間は半年間。
次回の参加者の募集は、2020年12月10日(木)に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始予定。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから。
青木奈緖さんと山本ふみこさんの対談イベントの参加者募集中!
山本ふみこさんと、明治の文豪・幸田露伴から続く作家の家で育ったエッセイストの青木奈緖さん。ハルメクのエッセー講座の講師を務めるお二人が書くことの魅力を語る対談を12月6日(日)にオンラインで開催します。
二人が書くことをおすすめする理由や、作家が自らの書き方について話し合う珍しいトークもあります。自分でも書きたいと思っているけれど、きっかけがなかった方も必見。詳しくはこちらをご覧ください。
■エッセー作品一覧■
- 山本ふみこさんが選んだ5つのエッセー第2回
- エッセー作品「雨雲レーダー」中村富子さん
- エッセー作品「黒い雲」仁科あかねさん
- エッセー作品「白く光るもの」丹羽由実さん
- エッセー作品「雲、雲、雲」原田彰子さん
- エッセー作品「逃げ足」三澤千惠子さん