岸田ひろ実 いつか美しくなる、今

取り戻せない過去を諦める勇気と“今”を諦めない努力

公開日:2020/03/09

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夫の突然死、知的障害のある長男の出産、下半身まひで車いすユーザーに。それでも心折れることなく、しなやかに生きてきた岸田ひろ実さん。今回は東京2020オリンピック大会の聖火ランナーに選ばれた岸田さんが、意気込みについて語ります。

岸田ひろ実さん

2020年5月、聖火ランナーとして走ります!

聖火ランナーとして走ります

東京2020聖火ランナーに、選んでもらいました。走る場所は大阪です。大阪は、私が生まれたときから、結婚するまで住んでいた懐かしい街です。でもそれは、歩いていた頃の記憶でもあります。家族と、友人と、同僚と、足で歩いていた街を、今度は車いすで走ることは、なんだか感慨深く思います。

歩けなくなって望んだのは、“死”だった

歩けなくなって望んだのは、“死”だった

2008年大動脈解離の後遺症で歩くことができなくなったとき、私の時間は止まったと思いました。

亡くなった夫の代わりに私が子どもたちを守らなければいけないのに、一人で何もできない私が、子どもたちにできることなんて何もない。

「歩けないなら死んだ方がマシ」と願った瞬間、私は、前へ進む気力を失いました。

でもそれは、人生を諦めているようで、実際は諦めていなかったのです。当時の私は気付かなかったのですが、諦めるというのは、どうにもならない過去を悔やむのやめ、新しい未来を歩むということです。

私は諦めたフリをして「歩けないなんて」「もう人生に楽しいことなんて」と、一人で悔やんで悲しみ続けていたのです。

その事実に気付かせてくれたのは、娘でした。娘は「死にたい」と打ち明けた私に言いました。

「歩いても歩けなくても、ママはママ。変わらず私を支えてくれているから、あと少しだけ一緒に生きてほしい。それでもだめだと思ったら、一緒に死のう」

私は母として「働かなければならない」「娘を守らなければならない」と思い込んでいたのですが、実際は違ったのです。

歩けない私の言葉や表情を、娘は糧にして、私のいない家で息子と共に待ってくれていました。

「〜しなければならない」という使命感は、もしかしたら、ほとんどはただの思い込みなのかもしれません。私を信じて生きてくれている娘の想いを、私の思い込みで、無駄にしてしまうところでした。

そこでようやく私は、本当の意味で、諦めることができたのです。自分の力でどうにもならないことを、悔やまないようにしました。

歩けなくてもいいんだ。がんばらなくてもいいんだ。諦めてから、ようやく前向きになりました。

取り戻せない自分の過去を諦めたら、外に目が向いた

取り戻せない自分の過去を諦めたら、外に目が向いた

「歩けなくてもできることって何だろう?」と考え始め、私はどんどん外に出てみることにしました。

歩いていた頃は気付かなかったことに、たくさん気付けるようになりました。また、お見舞いに来てくれる友人たちがこぞって「岸田さんと話していると元気になる」と言ってくれたので、思い切って心理学の勉強を始めました。

やがて「歩けなくてもできることって何だろう?」という疑問は、「歩けない私だからできることって何だろう?」に変わり、私は今、バリアフリーのコンサルタント・講師として働いています。

私と同じように、歩けなくなって絶望を感じている人や、家族に障害があってつらい想いをしている人に、少しずつ、希望を感じてもらうような活動ができています。

あのとき諦めていなければ、過去の自分にすがりついて、まったく新しいことはできていなかったかもしれません。

思い返せば、「共に死のう、でもあと1年だけがんばって、家族3人で一緒に生きてみよう」という前向きな諦めから「あと1年」を繰り返し、夢や希望を諦めない12年が過ぎ、今が幸せだと思えるようになりました。

足で歩くことはできなくても、心で前に進むことは、できたのです。

私が走ってきた人生を、思い込みや後悔すらも糧に変え、聖火の道を笑顔で、繋いでいきたいと思います。


撮影(風景)=山下コウ太

 

■もっと知りたい■

 

岸田 ひろ実

きしだ・ひろみ 1968(昭和43)年大阪市生まれ。日本ユニバーサルマナー協会理事。株式会社ミライロで講師を務める。27歳、知的障害のある長男の出産、37歳夫の突然死、40歳、病気の後遺症で車いすの生活に。自身の経験から、人生の困難や障害との向き合い方を伝える。

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