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2018年08月28日
素朴な疑問
小学生のころ、将来は絶対に横綱の北の湖と結婚するといっていたあの子は、いまどうしてるかな~? ワタシは筋骨隆々で“イケメン”の千代の富士が大好きだったなあ。
そうそう、いま“相撲女子”、“スー女”と呼ばれる相撲ファンの女子が急増中なのよね。いつの時代も女子は強い男性に憧れるものなんですね。
ところで、大相撲は“女人禁制”となんとなくは分かっていたけど、あれね。京都府舞鶴市で市長さんが土俵で倒れたとき、医療関係者の女性が土俵に上がって応急処置をほどこしたことがあったじゃない。
そのとき、行司さんが、“女人禁制”を理由に土俵から降りるようにアナウンスしたわよね。SNSなどで大きな話題になったけど、生死がかかっているのに何を言っているの? とワタシも首を傾げたんだけど。
で、気になったので調べました。「なぜ、大相撲では女性が土俵に上がれないのか?」
早速、「相撲協会」の公式サイトを見てみました。関取のプロフィールや相撲部屋のことなど、ふんふん、面白いわ……。あっ、ごめんなさい。夢中になっちゃいました。
気を取り直してと……公式サイトには“女人禁制”の答えになるようなことは書いてないみたい。(がっかり)
そこで、図書館に行って相撲関係者が書いた大相撲のQ&Aの本などを探してみたんだけど……どこにも、「女性が土俵に上がれない理由」が書いてないんです。(再びがっかり)
こうなったら、相撲のルーツから調べるしかない!
すると、相撲の起源は「すまひ」と呼ばれる古代エジプト(約4000年前)や古代中国(約1800年前)の格闘技などを素材として誕生したとする説が見つかったんです。
奈良時代に入って、「相撲説(すまいのせつ)」と呼ばれ、7月の年中行事として天皇・皇族の前で取り組みが行われたそう。平安時代の末期には朝廷の「相撲説」は途絶えたとあるけど、鎌倉・室町幕府の将軍や大名が相撲観覧に興じたことで見事復活。
江戸時代に入ると、大名が有望な力士をスカウトして、大相撲の土俵に送り込むようになったんです。江戸時代に入ってから、今でいう大相撲の原型ができてきたんですね。
ただ、問題もあったようです。
町中での相撲は治安を乱すとよく禁止にされていたとか。そこで、関係者は年寄り仲間を作り、「朝廷年中行事の伝統と格式がある」ことを演出するために、「相撲故実」と呼ばれる虚偽を混ぜた儀礼作法を整えます。
このかいあって、江戸中期ころに相撲は興行としての仕組みができ、格式や伝統のある「神事」としての立場を得ていきます。
そして、なんと「女相撲」もでてきます。
雄略天皇(古墳時代)のころ、女中を「犢鼻褌(たふさぎ、とうさぎ)」と呼ばれるフンドシ姿にして相撲を取らせていたと記録があって、江戸時代にも女相撲の興行があったみたいです。(え~、びっくり!)
だから、“女人禁制”というのは根拠はなくて、江戸時代中期ごろに故意に作られた伝統なんじゃないかしら??
はっきりとはわからなかったけど、とにかく女性が土俵に上がれない確かな理由はないということはわかったわ(ウン)。
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イラスト:飛田冬子