50代からの女性のための人生相談・36

人生相談:同居の姑が好きになれない!感謝もされない

名取芳彦
回答者
元結不動・密蔵院住職
名取芳彦

公開日:2021.09.07

更新日:2024.02.22

「50代からの女性のための人生相談」は専門家がハルメク読者のお悩みに答えるQ&A連載。今回は56歳女性の同居中の嫁姑問題「姑が好きになれない」というお悩みに、仏教の教えをわかりやすく説いて「穏やかな心」へ導く住職・名取芳彦さんが回答します。

56歳女性の「同居の姑が好きになれない」というお悩み

夫の兄弟は母親をとても大切にしていて、好きにさせているので、本人もそれが当たり前だと思って好き放題しています。

そのために私たち家族が金銭的にも時間的にも制約を受けていても、当たり前だと思っているのか、夫の兄弟から「いつもありがとう」とか「迷惑かけてごめんね」などと言われたことなど一度もありません。昔ならではの嫁扱いなのでしょう。

だから余計に、そんな姑の世話をしたくないし、嫌いになってしまって仕方ないのです。また、そう思ってしまう自分が嫌になってしまいます。

(56歳女性・おはぎさん)

名取芳彦さんの回答:姑が嫌いでも愛する夫の母の視点を

嫌な姑も愛する夫の母という視点を

相談文の最後に「そう思ってしまう自分が嫌になってしまいます」とありますから、現状のままご自分の考えを少し変えて楽になりたいと思っていらっしゃるのでしょう。

今のところ、思い切って別居するつもりも、ご主人と別れるという強行手段に出るつもりはないという前提で、現状をどう我慢していくかのヒントをお伝えします。

嫁姑問題の一つの落とし所は、昔の都々逸(どどいつ)にある「たとえ姑が鬼でも蛇(じゃ)でも主(ぬし)を育てた親じゃもの」(※「主」は夫のこと)でしょう。

恋愛の結果として結婚したとしても、結婚してから夫婦らしい恋愛感情が生まれたとしても、現在自分が愛している夫を生み、育ててくれた人なのだから我慢するしかない、という意味です。

自分が大切にしている人や物があれば、それに関係する人や物にも大切に思う心を広げて覆ってしまおうという考え方です。お気に入りのバッグがあれば、それを作ったメーカーも好きになり、会社の社長にも親しみを感じるようなものです。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の逆バージョンですね(笑)。

人の本心は「わからないもの」として進む勇気が必要

人の本心は「わからないもの」として進む勇気が必要

ご主人の兄弟からおはぎさんに感謝の言葉も、ねぎらいの言葉もないことも、モヤモヤの原因の一つのようですね。

でも仮にご主人に相談して、兄弟から「ありがとう」や「迷惑かけるね」と言われても、おはぎさんは「主人に言われたらから言っているだけ」と思うでしょうから、やはりモヤモヤは晴れません(ご主人にボヤくくらいならいいですが)。

理想は、おはぎさんが直接義理の兄弟に、冗談っぽく「お礼の一つ、ねぎらいの言葉一つくらい私に言っても、罰は当たらないわよ」と言える関係でいることですが、文面から察するに、そのようなザックバランな関係ではないのでしょう。

ご兄弟がおはぎさんの苦労を当たり前と思っているのか、感謝しているのに言わないだけなのか、それは本人に聞かない限りわかりません。

でも、少なくとも、おはぎさんはご自分と似た苦労をしている人に共感できる、やさしく素敵な人になれた事実に変わりはありません。人の本心は「わからないもの」として、進む勇気を持てればいいですね。

ずっと先になって「ありがとう」と言われる場合もある

「ありがとう」を期待しない

私の母は嫁という立場で、5年間自宅で寝たきりの姑の世話をしていました。

祖母が亡くなった時、父の弟が「お義姉(ねえ)さん、長い間面倒をみてくれてありがとうございました」と言ってくれたそうです。お葬式が終わった後、母は私に「あのひと言で、それまでの苦労やモヤモヤが全部なくなった」と教えてくれました。

おはぎさんも「それまで我慢して待ちましょう」などと酷なことは申し上げませんが、「この先、そういうこともあるかもしれない」と思えば、モヤモヤ解消の一助になります。

相談の文面に「昔ながらの嫁」とありますが、私のお寺がある地域は、東京とは言いながら、いまだに「嫁」という感覚が色濃く残っています。

姑が生きているうちは70歳を過ぎても「嫁」です。しかし、姑が亡くなると呼び名が「姐(ねえ)さん」に格上げされます。嫁の苦労の総仕上げとして、姑のお葬式を出すことで得られる名誉ある称号です。

こうした呼び方をされなくても、周りの人はその功績をしっかり認め、一目置いてくれているものです。おはぎさんも、今は「姐さん」になるための修行期間なのかもしれません。

やりたくないことは「ご恩返し」の気持ちで取り組むこと

やりたくないことは「ご恩返し」の気持ちで取り組むこと

私は50歳を過ぎた頃から、やりたくないことをするとき、この年まで育ててくれた世間や人さまに対するご恩返しの真似事のつもりでやることにしました。

できないことをするのではありません。この年まで生きてきたおかげでできるようになったことを使って、世間や人の役に立てるなら、やらせてもらおうという心意気です。

このように考えることで、感謝の言葉も期待せずに、楽な気持ちで取り組めるようになりました。おはぎさんも、ご恩返しのつもりで接すれば、お姑さんも笑顔で感謝の心を返してくれると思います。

そんなことをしてくれる姑ではないと思ったら、お風呂に入ったときや洗濯物を干すときに「たとえ姑が鬼でも蛇でも~♪」と、お姑さんにそれとなく聞こえるように、ひと節(ふし)唸ってみてはいかがでしょう。

我慢は目標がないとできません。そこでまず、嫌なお姑さんや、理解のないご主人や義理の兄弟への不満を持ちながら暮らしていくに値する目標を設定することをおすすめめします。

回答者プロフィール:名取芳彦さん

名取芳彦さん

なとり・ほうげん 1958(昭和33)年、東京都生まれ。元結不動・密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。写仏、ご詠歌、法話・読経、講演などを通し幅広い布教活動を行う。日常を仏教で“加減乗除”する切り口は好評。『感性をみがく練習』(幻冬舎刊)『心が晴れる智恵』(清流出版)など、著書多数。

構成=竹下沙弥香(ハルメクWEB)

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