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- 自分流に生きる勇気がもらえる!岸惠子さんの名言集
日本を代表する名女優、岸惠子さん。ジャーナリスト、作家としての顔も持つ岸さんは、91歳の今も、精力的に表現・発信し続けています。2020年87歳のインタビューから、人生に迷ったとき「自分流に生きる勇気」をくれる珠玉の名言をどうぞ。
意外な一言「私の人生負け続き」
「私は2020年8月に88歳になりました。本当に長いこと生きてしまって、今さら“生きる”ということを語るのも照れくさいのですが、私はいつも一生懸命生きてきたつもりです。ごまかしのない自分の生き方をしてきたと思うし、それはコロナがあろうとなかろうと同じことです。
何年も何年も負けを重ねて、苦労を重ねていくうちに、私は負けてもめげない力、そして負けた中から何かを学び取る力をつかみとっていたんです。つまり、負けても負けたままではいない、“負けて勝ちをとる”技をどこかで拾っていたんですね。それで気が付いたら、したたかに強い女になっていました」
これは、2020年8月に雑誌「ハルメク」でインタビューをしたときの岸惠子さんの言葉です。スポットライトを浴びて輝かしく歩んできた岸惠子さんの「負け」という意外なひと言に驚きます。
フランスで結婚・出産・離婚…岸惠子さんの人生
岸惠子さんは1932年8月横浜に生まれ、19歳で女優デビューしました。21歳のときに主演した映画「君の名は」が大ヒット。一世を風靡した「真知子巻き」をご存じの方も多いのではないでしょうか。
スター女優となった岸さんは24歳のとき、フランス人監督で医師でもある11歳年上のイヴ・シァンピさんと結婚します。日本人の外国への個人旅行がまだ禁止されていた当時、岸さんは一人、プロペラ機で50時間かけてフランスに渡りました。のちに41歳で離婚しますが、それ以降も40年以上にわたり、異国の地パリで一人娘と共に暮らしました。
フランスで過ごした日々のことを、岸さんは次のように語っています。
「日本とはまったく歴史も文化も精神も違う、とにかく成熟した大人の国だったわけです。私は、カルチャーショックなんて簡単な言葉では言い尽くせないほどの非常に強いショックを受けました。
そして、長いこと鎖国をしていた東海の島国で育った女は、ヨーロッパで国境をせめぎ合って生きてきた、したたかに強い人たちの中では、やはり負けてしまうんですね。負けの中には、無防備だったための「失敗」もあります。
パリで結婚、出産、離婚を経験する中で、こんなことがあった、あんなことがあったというのは、とてもしゃべり切れませんけど、とにかく私は負け続きでした」(雑誌「ハルメク」2020年11月号より)
フランスで暮らした40年余りの間にさまざまな国を訪ね、キャスターとしてジャーナリストとして作家として、世界に発信する仕事をしたことも、岸さんにこう言わしめているように思います。
そしてまた、、自然体でまっすぐな心が言葉に表れていて、はっとさせられます。
私たちは50歳を過ぎて人生後半を意識するとき、さまざまな不安を抱き始めます。岸惠子さんの言葉には、時に共感でき、時に励まされるものが数多くあります。それは不安を認めながら前に進むための「人生を自分流で生きる心得」です。雑誌「ハルメク(旧いきいき)」のインタビューで登場した岸さんの数々の言葉を通して、人生のヒントを探っていきましょう。
「苦労話として思い出すより、蓄積されて今日の自分になったと思う方がいい」
最初は、困難や苦労をどう乗り越えるかに対する、岸惠子さんの言葉です。
「夫と別れてから約30年もの間、一人で生きてきましたが、いろいろなことがありながらも少しずつそれらが自分の中に蓄積されていき、今日の自分になったのだと思う方が、苦労話として思い出すよりもずっと精神的にいいのではないかと思っています。だから、過去のことをぐちぐち言わない」(2005年4月号「いきいき<現ハルメク>」より)
1999年、日本に帰国して一人暮らしとなった岸惠子さんが、フランスで離婚後にシングルマザーとして暮らした頃を振り返って語った言葉です。さらに、こうも重ねます。
「苦しいことにめげて倒れそうになっていると、もっと大きな苦しみが怒涛のように押し寄せてくるもので、そうすると昨日までの苦しみが『なんだ、あれぐらいのこと』と思えるようになります。人生の困難とは、きっとそんなふうに乗り越えるものなのだと思います」
今の自分を肯定しながら、悪い時も後で振り返れば大したことはないから……と、背中をたたかれるような言葉です。
「人生の終盤に虹が立つような華やぎがあってもいいんじゃない?」
続いては、「シニア世代」と世間が決めつける概念やイメージとの向き合い方。
岸惠子さんは2013年に、小説『わりなき恋』を発表しました。60代の女性主人公が50代の男性と恋に落ちる大人の恋の物語は話題となり、28万部のベストセラーに。『わりなき恋』で描きたかったことについて、こう語りました。
『高齢者の問題となると一気に孤独死や人間の残骸かと思われるような映像ばかりが出てくる。そういう現実はあるにしても、それではあまりにも暗すぎる。人生の終盤に虹が立つような華やぎがあってもいいんじゃない? 男も女も年齢とともに体も精神も変わっていくものです。そうした中で、若さから遠ざかった人たちにもそれなりの情熱があるはずだ。それを書いてみようと、思いました』(2013年7月号「いきいき<現ハルメク>」より)
岸さんは、続けて「50だからといって何かを諦めるなんてもったいないことです」、「平凡な日常の中にも、ふっと非日常なことが起こることがある。それをパッとつかんでしまえばいい。もしかしてそれが災いをもたらすかもしれないけれど、それもありでしょう」とも語ります。
「もう〇歳だから」などを理由にして、つい諦めていたことはないだろうか……。日々の小さなことが、これからも人生の新しい扉を開く可能性がある、そう思うと一日一日がいとおしく思えてきます。
>>岸惠子さんの激励!「50代、60代これからが華という時代」より
「私は若く見えているんじゃなくて、気持ちが若く老いて見えないだけ」
岸惠子さんは、よく「若く見える」と声を掛けられるそうですが、それを好意的には受け取れないと話します。見た目を「若い」と言われて喜ばない理由とは何なのでしょうか?
「私にだってしわは売りたいほどあるし、年を経て失ったもの、衰えたものもちゃんと認識しています。ただ、めげないように、へこたれないように生きてきたんです。今までの私の人生、というか現在進行形でも、艱難辛苦(かんなんしんく)は並大抵のものではなく、でも必ず、どこかから湧き出てくる力があって自分で処理してきました。(中略)だから、私は若く見えているんじゃなくて、気持ちが若く、老いて見えないだけなんです。
それを『いつも若く見えますね! 秘訣は何ですか?』なんて言われると、“そんな簡単なものじゃないよ”と、ついたんかを切りたくなります」(2020年5月号「ハルメク」より)
見た目の若さに執着するのではなく、ひたむきに生きることが、輝くエネルギーの根源なのだというメッセージが胸に響きます。「湧き出てくる力」は岸さんに限ったことではなくて、私たちも持っているはず、と思えてきます。
「友達は女が一人、男が一人居れば十分ということです」
岸惠子さんの一日は、書斎で過ごす執筆時間がほとんどなのだそうです。朝食も自分で用意し、夕食もたいてい一人で食べています。いろいろなことを考えたり、何かを読んだりしながら自由に一人で食べるのが好きだから、と話します。「一人」を上手に楽しんでいる様子が伝わってきます。
「友達は、女に一人、男に一人、そして離れて暮らす家族がいればいい。そう思っていれば気が楽ですよ。
人間は、生まれてくるときも、死ぬ時も一人でしょう。だから“結局は一人”という自分と向き合って暮らしていく方が私はいいと思うし、それが心地いいんです。
孤独をネガティブにとらえてしまったらおしまいです。人に頼らず、自分の生活をきちっと営んでいけること、それが孤独ということです」(2019年4月号「ハルメク」より)
人生後半は、ある意味「孤独」とどう付き合っていくかが課題になるもの。岸さんは、孤独の先にある「自由」を、自分らしくすがすがしく生きていきたい、と話します。捉え方一つで、孤独は、自由で自分らしい、あたたかな時間になり得ます。
日本を代表する映画女優・岸惠子さんの出演作品
今一度、女優・作家として岸惠子さんの作品を楽しみせんか? 歴史に名を残した映画監督に愛された岸惠子さん。日本とフランスを行き来しながら撮影した作品たちを振り返りましょう。
1953年「君の名は」大庭英雄監督
岸惠子さんを大スターにした、日本の恋愛ドラマを代表する作品です。第二次世界大戦・東京大空襲下で命を助け合った真知子(岸惠子)と春樹(佐田啓二)。半年後の再開を約束して別れるも、再開できないまま真知子は他の男と結婚をしてしまう。この映画をきっかけに、長いストールを頭に巻いたスタイル「真知子巻き」が大流行しました。
1957年「雪国」豊田四郎監督
川端康成の日本情緒豊かな文芸作品を映画化。東京に妻子のいる画家・島村(池部良)と家族を養うため芸者になった駒子(岸惠子)の悲恋の物語です。駒子を演じることが悲願だった岸さんは、6か月にわたる撮影期間がこれまでの映画人生の中でもっとも幸せだったと回想しています。
1960年「おとうと」市川崑監督
幸田文さんの自伝的小説を、市川崑監督が映画化。大正時代を背景にした家族の物語。作家の父と継母と暮らすげん(岸惠子)と3歳年下の弟・碧郎(川口浩)。体が不自由な継母に代わり家事や弟の世話をするげんだが、弟は人生を踏み外してしまう。健気で芯が強いヒロインを演じ、ブルーリボン賞主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞を受賞。
1972年「約束」斎藤耕一監督
共演した俳優・萩原健一の出世作となった、昭和ロマンス映画の名作。自らが殺害した夫の墓参りのため仮出所した女囚・松宮瑩子(岸恵子)は、刑務所に戻る夜行列車の中で一人の男(萩原健一)と出会う。愛し合うようになった二人は、2年後に再会を約束するが……。
1974年「ザ・ヤクザ」シドニー・ポラック監督
第二次世界大戦後間もない日本を舞台にした、異色の任侠ハリウッド映画。任侠の世界から足を洗った男(高倉健)と、アメリカ人の男(ロバート・ミッチャム)が力を合わせ巨大な暴力団組織に立ち向かう。高倉健さんの本格ハリウッド進出作品になった作品。岸さんはアメリカ人と恋に落ちながらも、復員した夫(高倉健)のために恋を諦める女性を演じています。
2001年「かあちゃん」市川崑監督
市川崑監督のラブコールを受けて、10年ぶりに岸さんが映画出演した作品。飢饉によって困窮していた江戸末期に、貧乏長屋に暮らす気丈な母おかつ(岸惠子)と5人の子どもたち一家。実はおかつ一家はお金を貯めているという噂があり泥棒の勇吉がやって来る。しかし、その泥棒をおかつは家に招き入れる。この作品で岸さんは第25回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。海外でも高い評価を得た作品です。
2002年「たそがれ清兵衛」山田洋次監督
藤沢周平原作、日本映画史上に残る傑作時代劇。貧乏で日々家族の世話と内職にいそしむ下級武士・井口清兵衛(真田広之)は幼なじみ朋江(宮沢りえ)の危機を救ったことから、強さを知られてしまう。そして藩命で討ち手に選ばれてしまい……。ラストシーン、壮齢になった清兵衛の娘を演じる岸さんののモノローグは大ベテランの女優だからこそ。第26回日本アカデミー優秀助演女優賞を受賞。
作家としての岸惠子さん
『女優は女優らしく、物書きは物書きらしく、という時代もあったかもしれないけれど、今は自分の可能性が10あったら10、3持っていたら3、すべてを出し切ればいいと思うんです。私にとって演じることは同時に没頭できるものなんですね。可能性があると思うなら、積極的に試してみることが大切だと思います。年齢にこだわらずに』(2003年11月号「いきいき<現ハルメク>」より)
作家としても数多くのエッセイ作品と小説を生み出してきた岸さん。作品からは、どんな大変な出来事も楽しむ茶目っ気と、常に世界に目を向ける旺盛な好奇心、生き様が伝わってきます。
また夫の影響から、社会に目を向けるようになった岸さんのジャーナリストとして視点も、エッセイで学ぶことができます。多くの気付きと勇気を私たちに与えてくれる、エッセイ作品と小説をご紹介します。
1983年『巴里の空はあかね色』(新潮文庫刊)
フランス人監督と24歳で結婚、トップ女優の地位を捨てパリに住むことに。敬愛した夫とのつらい離婚、一人娘の子育てなど、岸さんが初めてプライベートなことをつづったエッセイです。日本文芸大賞エッセイ賞受賞作品。
1994年『ベラルーシの林檎』
当時のシャミール・イスラエル首相へのインタビュー、ベルリンの壁が崩れる前の東欧訪問など世界に目を向け、ジャーナリストととしても活躍した岸さんの姿が伝わってくるルポルタージュ・エッセイ。94年日本エッセイストクラブ賞受賞作品。
2003年『風が見ていた』上・下(新潮社刊)
60代から70代にかけて、8年がかりで書き上げた初めての長編小説。好奇心旺盛な主人公・衣子には岸さん自身を投影させたそう。結ばれなかった初恋の相手と身を焦がすほど愛した夫の狭間で、横浜からパリ、さらにアフリカへ旅をしながら恋について独自の夢を育む一人の女性の物語です。
2005年『私の人生ア・ラ・カルト』
「ドジばかりしてきた」という岸さんが女優、作家、ジャーナリスト、そして娘、妻、母として駆け抜けるように生きた半生を赤裸々につづったエッセイ。しんみりとする話の中にも、思わずクスリと笑える”ドジ”な岸さんが。気持ちが明るくなる一冊。朝日文庫から文庫版が2013年に発売されています。
2013年『わりなき恋』(幻冬舎刊)
4年の歳月をかけて世に送り出した大人の恋の物語。偶然の出会いから恋に落ちた、69歳の女性と58歳のラブストーリーは甘いだけではない現実の苦さ、性愛をも描いて話題になり28万部を超えるベストセラーになりました。まだ見ぬ世界へ身を投じ、真摯に生きてきた岸さんの人生が投影された物語でもあります。
2019年『孤独という道づれ』(幻冬舎刊)
無我夢中で走り続けてきた岸さんが、晩年という齢になった今の思いを歯切れよくつづったエッセー集。晩年の物忘れ、うっかり転んだ骨折もおどけとハッタリで描きます。
岸惠子さんの自伝
『岸惠子自伝: 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』(岩波書店刊)
2021年4月28日発売、最新刊の自伝です。タイトルは「何らかの犠牲を払わなければ目的を達することはできない」という意味持つフランスのことわざ。畳みかけるほどの艱難辛苦、自分の心のままに挑み続ける姿が、円熟の筆で紡ぎ出されます。
※この記事は2021年6月の記事を再編集して掲載しています。
■もっと知りたい■
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