麻雀はコミュニケーションの「必須科目」!?

70歳をすぎて健康麻雀にはまる!

公開日:2019.02.01

更新日:2019.01.28

高齢化が進む住宅団地の活性化のため「ふれあい健康麻雀会」を設立! 少々アングラなイメージがある麻雀ですが、果たしてどうなるのでしょうか?

発起人の一人として、「ふれあい健康麻雀会」を発足!

私の住む広島市はデルタ地帯で、高度成長経済期の昭和40年代には、デルタの周辺の丘が次々と住宅団地に生まれ変わり、市の周辺には169個の大小さまざまな住宅団地ができました。 そして時は流れ、少子高齢化時代になると、市の周辺の住宅団地に移り住んだかつての企業戦士たちも高齢者と呼ばれるようになりました。

デルタの広島市

 

そこで広島市は、高齢化が急速に進む住宅団地の活性化を図るため、「住宅団地活性化研究会」を立ち上げました。大学の研究者、既に対策を講じている大型団地(3か所)の代表、宅地建物取引業界、スーパーマーケット協会、社会福祉協議会、バス協会、タクシー協会などが研究会のメンバーとなって討議を重ね、広島市は福祉政策の一環として「‘まるごと元気’地域コミュニティ活性化補助金交付事業」を推進することになりました。そして、平成28年2月、私も発起人の一人となってその事業に応募し、「ふれあい健康麻雀会」が発足しました。

麻雀=煙モウモウ・徹マン・賭け事!?

「麻雀」というと、煙モウモウ・徹マン・賭け事、というイメージですが、「賭けない・吸わない・飲まない」の 「三無い」で楽しむ「健康麻雀」は、厚生省が毎年開催する「ねんりんピック」の一種目にもなっているそうです。「ふれあい健康麻雀会」は、リタイアした企業戦士のお父さんたちになんとか「地域デビュー」してもらい、地域近隣のコミュニケーションの活性化の一助に、という願いから誕生しました。

将来は介護施設に入所することを考えている私にとって麻雀は「必須科目」になりますので、これを機会に覚えたいという思いもありました。まずは、発起人になる人集め。私が町内会長をしていた時の副会長、近くの NPO法人の麻雀会に参加している町内会役員の経験者、ルールに詳しい超ベテラン、と5名が発起人となって町内に呼びかけました。次に、牌とマットの購入、定期的に開催できるように集会所の使用申請(月2回)、ルールの整備(ローカルルールが多い、と聞いたので)、名札や点数表の作成など、準備に奔走しました。

これがきかっけでコミュニケーションも円滑に

開催初日には、市や区地域起こし推進課の方が4名来て下さり、長く楽しく続く会であってほ

しいと皆で願いながら、華々しくオープ二ングセレモニーまで催しました。

4卓で始めた「健康麻雀会」は、時には3卓、時には5卓となり、「チイー」「ポン」「参りましたぁ」と、笑い声が飛び交いながら楽しい雰囲気です。今まで名前は知っていたけど初めてお顔と一致した、顔は知っていたけど初めてお名前がわかった、道端で立ち話もはずむようになった、などの声が聞かれるようになりました。

 

テレビ局が取材に来ました

 

内緒ですが、男性参加者の奥さんたちからは、この会の設立はとても感謝されています。麻雀経験のない女性参加者は特別指導講座を受けていた時期もありましたが、今は、「昔取った杵柄」の男性たちと普通に卓を囲んでいます。女性たちは、負けて当然、平気の平左の構えです。地元紙の中国新聞のコミュニティ版や地元のテレビ局も取材に来てくれました。

 

一方で、悩みも尽きません。参加者はみな高齢者で、怪我をしたり、腰痛で座っているのがしんどい、ということで休みがちになる人もいます。マンネリ化を防ぐためにどうしたらよいかという工夫も課題です。

最初は長テーブルをこのように並べてマット置きました。最初は感心されてよかったのですが足が痛い、窮屈という意見が出ました。
発起人の一人がこのような卓を作ってくれました。皆びっくり。
特許とればよい、と評判上々。
卓の裏はまるでジグゾーパズル
かくして快適な(?)麻雀ルームが完成しました

 

麻雀6サークルでの大会を実現!

私の住む団地は約3,500戸、麻雀サークルが6か所ありますので、全サークルで大会を開催した

らどうか、と思い立ち、全サークルを訪問行脚して、各代表者の賛成を得ました。初めてのこと

なので、数回の運営検討会を重ねて、平成30年6月に第1回大会を60名の参加者で開催し、

また同年10月には他のサークルとの交流麻雀会も開催しました。

第1回健康マージャン大会(中央のピンクカーディガンが私。開催にあたっての趣旨を説明。水色の男性はルール説明係り)

 

そんなこんなですっかり「健康麻雀」活動に夢中になっている私は、70歳を過ぎて初めて牌を見、初めて牌を触ったのです。当然というのか、才能がないのか、いつも皆さんのカモになっています。でも、「口三味線」で応酬して、いつかは、賭博師のようなワザを体得したいと思いながら、日々、にぎやかに卓を囲んでいます。

とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

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