介護のヒント(家庭編)
2022.10.162022年04月30日
車椅子でボケていた母が元に戻った!
ボケていた母が元気に!その理由とは?奇跡の軌跡
車椅子で反応も鈍い母が、半年後にスタスタ歩き家事をこなしと戻ったのです、なぜ?
車椅子の母が元に戻った
家に引きこもって反応も鈍く、家事もしなくなった母の介護にSOSを出してきた父。遠距離介護は、私のマンションの隣の部屋への引っ越しで、近距離介護として第2章が始まりました。
認知症の人は環境を変えるとかえって悪くなると聞いていたので不安でしたが、とにかく隣の部屋なので何かあってもひとまず安心です。
ところが驚くべきことが起きました。なんと半年後母は杖も使わず、すたすた歩き、買い物をし、料理もこなしすっかり元に戻ったのです。
誰もが奇跡と思いました。
実は隠れ脳梗塞はあったものの認知症でもなく、当時はただのボケっとした老人だったのでした。
何が良かったのか
今考えると、住環境とおしゃべりだと思っています。
まず住環境。広さは団地時代と同じくらいですが、間仕切りがなくワンルームのLDKと段差のない室内で動線もスムーズ。たっぷり日差しが入るし、隙間風もなく、ペアガラスでエアコン要らず、内廊下で静か。ベランダも広いので、イスを出して日向ぼっこや花火鑑賞もできました。
何より風呂掃除をしなくてすむことは父にとっては大きく(前章参照)、またゴミがいつでも捨てられるのでストレスも無くなりました。団地時代は、朝早く分別ごみや資源ごみなど毎日のように階段を上り下りしていましたから。母もエレベーターがあるので、車イスでいつでも外に出かけられるようになりました。
また、デイサービスはリハビリに特化した通所を選んだことで、要支援になった父も一緒に通いました。理学療法士など若いスタッフに囲まれて会話も弾み、徐々におしゃべりになり、「あの人同じ田舎なんだって」とか記憶もよくなりました。
このおしゃべりというのは脳に(特に女性には)良いようで、それがきっかけで自立を促す気持ちになったような気がします。
マンション内の温泉浴場は井戸端会議場になり、最初は付き添っていましたがすぐにフロ友ができて、一時はフラダンスを教えたりもしていました。
水墨画を続けたいと言う父にもちょうど近くに教室を見つけ、それぞれ新しい土地で居場所が確保できました。
とはいえまだまだ気が抜けない
母はすっかり元に戻り、以前のような生活に戻りました。とはいえ、父も母も救急搬送の時もあり、母は脳血管障害の方の認知症がわかり、持病の心臓病の他に脳にも気を付けないといけない事態になりました。
父も膵臓炎で入院するなどハラハラの日々もありましたが、隣に住んでいることでいざという時に世話ができたので、やはり呼び寄せて隣同士に住んだことはよかったと思っています。
救急搬送の度に私のスケジュールはぐちゃぐちゃになるので、もう仕事や友人との約束は一切しない覚悟をし、介護に専念することにしました。
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