ピーマンで笑われる
2022.09.29私の海外旅行デビューはハワイ
私の初めての海外旅行は、30年ほど前のハワイでした。「日本人移民が多いハワイの日本語は広島弁だ」と聞いたことがあります。本当かどうかかはわかりませんが、現地では広島弁を耳にすることはありませんでした。その昔、広島の農家の次男三男の多くが移民として向かったのがハワイだったそうですから、うなずける話ではあるのです。
このハワイ旅行は、当時私が勤めていた企業の招待ツアーでした。初めての成田空港、初めての海外フライト、と初めてづくしで緊張の1週間でしたが、なんとか「ハワイの休日」を満喫できました。
夕方ホテルの庭を散歩しようと庭に出てみたら人だかりを見つけ、覗いてみると、なんとカラオケコーナー。当時日本ではカラオケが大流行で、日本文化の海外定着の早さを目の当たりにしました。
早朝、ホテル近くのワイキキビーチの散歩に出ると、旅先でも日常の習慣を崩さないでジョギングする人が多いのを知りました。
定番のホノルル市内の観光のほか、ホテルのプールで半日ゆったりと過ごす外国人バカンスの真似事もしました。
時期はイースター休暇中でしたので、パンチボウルの丘のお墓はそれぞれお花が供えられていて、日本の彼岸行事と同じだと思ったのを覚えています。バスの車窓から見た果てしなく広がるパイナップル畑も印象に残っています。
2度目の海外旅行はは1996年暮で、アメリカの大学院に留学していた娘の招待で、アメリカを旅行しました。ラスベガスのきらびやかな人工都市に驚嘆し、半袖で過ごしたラスベガスから北上して小雪舞うグランドキャニオンで夕日と朝日を拝み、地球の雄大さに感動。モントレーではラッコの愛らしさに癒されました。
3度目の海外もまた招待旅行、1997年秋、ある企業の懸賞を当てた娘とドジャーズの試合の観戦ツアーでした。ドジャー・スタジアムで野茂選手の応援をし、デスバレー国立公園や、ロサンゼルスのディズニーランド、ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドもめぐりました。
その後、招待旅行の恩恵にあずかることありませんが、アメリカは広い国、まだまだ見たい所行きたい所がたくさんあります。私の体力年齢と戸籍年齢を天秤にかけながら、ガイドブックや新聞折り込みチラシ、旅行社の宣伝チラシなどを見入って、旅行の計画を考えています。