8年目のプチ同居を終えて

これからは、持続可能で有意義な生活を その5

公開日:2019.09.10

海外から里帰りする娘母子たちとのプチ同居が、毎年夏の恒例になっているharumatiさん。あっという間に過ぎていった同居生活――。ひと息つきながら、この1か月を振り返ります。

harumatiさん 秋空
空の様子も心なしか秋めいて

娘母子との日々を振り返り、感慨に耽る

前回の記事「これからは、持続可能で有意義な生活を その4」で 書いたように、8月2日、長女母子が1カ月間のプチ同居を終えてアメリカへ引き上げ、世間より一足もふた足も早く夏休みを終えた我が家。シーツや枕カバー、タオルケット、タオル類を洗い、布団を干したり、掃除機を掛けたりしながら(実行するのはすべて夫なのですが)、私は感慨に耽(ふけ)ります。

孫の体験入学用に夫が作った勉強机。主が去り、夏の日差しがやけにまぶしい

 

入浴の時遊んでいたガラスや陶器の動物たち。孫が帰った後の風呂場に大きい順に並べて残されていた

 

夫が2人の孫用にと作った勉強机がサンルームに残され、差し込む真夏の光に照らされている。お風呂で孫たちが遊んでいたガラスや陶器の動物たちがお行儀よく並べられ残されている。庭の鉢では、一緒に川遊びをしたお友達からもらった白メダカが気持ち良さそうに泳いでいる。それらを見ながら、毎日食後に、トランプやおはじきでゲーム大会をしたこと――私が参加しやすいようにとさり気なく配置を工夫してくれた。出かける時――私の杖をおどけた調子で恭(うやうや)しく差し出してくれた。一緒に食事に出かけた時――店のドアを開けて私が入るまで持っていてくれた。

そんな小さな出来事が、次々に浮かびます。

今年もプチ同居が終わったことを友人や兄姉に告げると、それを聞いての反応は2種類。

1つ目……「1か月もようやったねえ」……確かにリハビリが欠かせない身で、普段とは違う賑やかさや生活リズムでのくらしが1カ月続くのは、心身共に負担が大きかった。2つ目……「寂しいでしょ?1年に1回しか会えないなんて」……言われてみればその通り。脳出血を発症するまでは、毎年のようにこちらからもアメリカへ出掛けて行き、年に2回は会っていたのでした。

準備期間からプチ同居気分

プチ同居の準備は、毎年2月頃、飛行機のチケットを取るところから始まります。娘からチケットが取れたという連絡が入ると、日本の学校が夏休みに入ったら、どこでどのように過ごそうかと提案をしたり、希望を聞いたり……、相談がまとまると、3か月前から予約が取れる「キッチン付アコモデーション」の予約を取ります。

去年は軽井沢、その前は琵琶湖畔、そしてその前は富士山麓etc. 毎年、日本へ来るメンバーや、組み合わせが変わるので、ちょっと複雑です。並行して体験入学のお願いの文書を作り、年度が変わり次第、夫と私とで学校へ体験入学受け入れのお願いに行きます。これらが、4月~5月のこと。

このように約5か月かけて準備をするのですが、その間に、1年間で大きくなったであろう孫たちの姿を想像しながら、プレゼント用の服や、ログハウスの庭で手持ち花火を楽しむ時用(アメリカでは、打ち上げ花火のイベントは夏に限らずあるのですが、自分の家の庭での花火は禁止されているそうです)の甚平を買ったり……。

欠かせないのが、ウェルカム雑誌。ご多聞に漏れず、日本の漫画は孫たちにも大人気。ポケモン、妖怪ウォッチ、ウルトラマン、ドラえもんetc.6月の中旬ともなると、生協の注文書に目を光らせ、和食に飢えている娘の好きそうなもの、アメリカでは手に入りにくそうなものを、どんどん注文していきます。3本柱の残り二本、ボランティア活動のことも、旅のことも忘れて没頭します。だから、1年間に1回しか会えないながら、5か月間は娘や孫たちと一緒にいる気分なのです。

とは言え、脳出血を発症してからの2年間は、頭がボンヤリしていて、これまでのようにワクワクしながら準備したり、迎えたりすることはできませんでした。プチ同居が始まってからも、普段とは違う賑やかさや、生活リズムにしんどくなってしまうことも。大所帯の食事の用意や片付けをほとんど手伝うこともできず、頑張ってくれている夫を痛々しい思いで見ながら、気が滅入ってしまうことも。

Sustainable and meaningful living教訓その5

お友達の家で川遊びをした後いただいてきたメダカが、庭の瓶の中で元気に泳いでいる

 

でも、今年は違いました。ハルメクWEBの記事を書き始めてから1年。私の頭はグングン鮮明になってきて、ふだんの生活スタイルもずいぶん改善していました。今年のプチ同居は、久しぶりにワクワク感を持って、新たに息子にも加わってもらって、孫たちの成長した姿を想像しながら計画を進めることができました。

娘たちにも私たち夫婦ができることは減ってきていることを伝え、要望も伝えました。

1、これまでの様には送り迎えができないので、うまく町営バス(無料)や公共交通機関を使ってほしいこと。

2、二家族みんなが我が家に泊まるのは無理があること(私は複雑な状況に対応しにくくなっている)。

3、上手に外食を取り入れ、無理をしないことetc.
 

この日のシェフは夫

 

この日のシェフは長女

 

この日のシェフは息子

 

その結果実現したことの1つが日替わりシェフ。男女関係なく我が家は全員が料理を作れます。我が家で唯一専業主婦経験がある長女の、残り物のやりくりの上手なこと! メニューに行き詰まりがちなランチに大活躍。夕食には、それぞれの個性豊かなメニューが並びました。

Sustainable and meaningful living最後の教訓は「心を開いて話し合うこと」

何らかの齟齬が生じても、家族なのだから分かり合えるはずと信じて、率直に実情を伝えることによって、これからも形を変えつつプチ同居を続けていけると確信が持てた今年の夏でした。

2年遅れとなった船旅の説明会の案内状が届きました。次回からは、不自由ながらも元気に参加したい54日間オセアニアへの船旅について、準備段階からリアルタイムで書いていきたいと思います。
 

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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