美肌の湯で癒やされ、冬の蟹尽くしを堪能する出雲・玉造の温泉旅
2024.12.202023年07月19日
ちょっといいところ
秘湯金湯館、伊藤博文や森村誠一に愛でられし宿(後)
「金湯館」本館に泊った翌朝、3代目であるおばあちゃまに会いました。旅館の歴史を教えてもらい、ますます金湯館が守っていくべき秘湯であることを確信しました。部屋に鍵がなく電波も届かない宿で、素敵なお湯と山の幸を堪能する贅沢! 再訪を誓いました。
森村誠一『人間の証明』について
※「秘湯金湯館、伊藤博文や森村誠一に愛でられし宿」、前編はこちら。
金湯館は、森村誠一の『人間の証明』でも有名な宿です。小説にも実名で登場します。
彼は学生時代山登りで宿泊し、昼用に頼んだ「おにぎり弁当」の包み紙に西條八十の「ぼくの帽子」(のちに「帽子」と改題)という詩が印刷されてあり、それにインスピレーションを得て『人間の証明』を書いたそうです。
――母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?――(西條八十 「ぼくの帽子」より)
このフレーズは、1977年の映画『人間の証明』で一世を風靡しましたね。
現在でもお願いすると、同じ包み紙に包んだお弁当を用意してくれるそうです。
3代目おばあちゃまに会う
翌朝温泉に行くと、現在のご主人(4代目)のお母様で86歳になる綺麗なおばあちゃまにばったりお会いしました。
色白できめの細かいつるつるのお顔は、この湯が美人の湯であることを証明しているかのようでした。とてもお話上手で、金湯館の歴史を詳しく語ってくれました。
明治の大水害で40軒あった別荘や旅館が流されて、唯一残ったのが金湯館だということ。
山の上の一軒宿なので、4~5時間かけて登って来た人を無下に追い帰すわけにもいかず、2代目の頃には8畳に25人泊めたこともあったこと。
専用林道のゲートの傍に霧積館(『人間の証明』に登場します)という別館があって、以前はそちらにお湯の3分の1を送っていたけれど、現在は専用駐車場になっている、などなど。
どうやって伊藤博文たちはここに来たのか?
私はこちらに来てずっと不思議に思っていたことを聞いてみました。
車でも45分たっぷりかかる険しい山道を、伊藤博文たち45名はどうやって登って来たのか? という疑問です。明治政府の重鎮たちが、4~5時間も山登りをしてきたとは考えられません。
その答えは、彼らは横川駅までは列車を使い、そして駅前で「お馬やお駕籠、人力車」を雇い金湯館まで来たということです。にわかに歴史を感じました。
そして今回泊った1号室10畳2間と隣の2間、合計4部屋ぶち抜きで明治憲法の草案を作ったとのこと。秘密裏にことを進めるのに、秘湯は最適だったようです。
歴史にあぐらをかいてという人も
部屋にはトイレはおろか、鍵や金庫、冷蔵庫などもありません。ドコモ以外は電波も入らないので、ほとんどスマホは使えません。食事処もないので、部屋に持ってくるまでに天ぷらなども冷めてしまいます。
家族経営の秘湯であることをよく理解せずに来る人からは「歴史にあぐらをかいて」とクレームを受けることもあるそうです。
それを聞いて、私はこのタイムスリップを体感できるような旅館を楽しめない方は、最初から現代的で何もかもが整った旅館に行った方が良いと思いました。
私にとって金湯館で過ごした時間は、素晴らしい温泉と豊かな自然にのみ向き合う贅沢で、なにものにも代えがたいものでした。機会がありましたら、家族や秘湯好きな友達たちと再訪したい宿でした。
おわり
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