瀬戸内寂聴さん。寝たきり生活、がん手術を経験して
2022.10.012022年06月15日
寂聴さん生誕100年に映画公開・中村監督が語る#1
素顔の瀬戸内寂聴さん、17年密着して見えた恋愛観
昨年惜しまれながら亡くなった瀬戸内寂聴さん。生誕100年にあたる2022年5月に、17年間寂聴さんに密着してきた中村裕監督によるドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」が公開されました。寂聴さんの知られざる素顔とは。
笑う、語る、泣く、素顔の寂聴さんを撮る
寂庵の、身内だけが使う生活感のあるダイニングキッチン。そこで楽しそうにお酒を飲んで笑っている寂聴さん、お肉をほおばる健啖家の寂聴さん。次に書きたい作品の構想を語る寂聴さん。仕事の失敗の悔しさに顔を覆って泣く寂聴さん。
ドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」には、私たちが知らない「瀬戸内寂聴」がいます。監督の中村裕さんは、晩年の17年間、瀬戸内寂聴さんのすぐ近くで、表の顔も心の顔も、見て撮ってきました。
中村さんは映像、とりわけドキュメンタリー番組を数々作ってきたベテランディレクターで、出会った頃は40代半ば、寂聴さんは82歳。
「寂聴先生はとても活力にあふれていて、第一印象は怖いくらいでした。初めて仕事でご一緒させていただいてから割と早い段階で、僕の身の上話、結婚の失敗や恋愛の失敗などを根掘り葉掘り逆インタビューされまして、それが先生には面白かったようです」
それから中村監督は、寂聴さんから寂庵にたびたび呼ばれるようになります。寂聴さんといくつかの番組を製作したのち、「私が死ぬまでカメラを回して、何か作りなさい」と求められたのが2009年頃だったそう。
「恋愛は雷のようなもの。打たれた方がいい」
中村監督が見てきた寂聴さんを、いくつかのキーワードでひも解いていきたいと思います。
まず始めが、「好奇心」。
「寂聴先生は、好奇心の塊のような人でした。なんでもやってみないと気が済まないようなところがおありで、例えばケータイのメール。僕を相手にして練習してたんでしょう、イラストや絵文字やいろいろとデコレーションしたメールを送ってきて、驚きました」
世の中の動きにも敏感で、反戦や反原発の活動に参加するために京都からはせ参じることもたびたびありました。
そして「恋愛」。
「人間が一番成長するのは、本でも学問でもない、恋愛だ、というのが寂聴先生の信条でしたから、生涯恋愛は大事、とおっっしゃっていましたね。映画の中でも出てきますが、『恋愛は雷のようなもの、恋愛の雷は打たれた方がいい』の言葉も、先生らしくて。ただし誰かを不幸にして幸せになることはあり得ないと、付け加えることも忘れませんでしたね」
「恋愛に年齢は関係ない」とおっしゃっていた寂聴さんは、中村監督を「裕さん」と呼び、「晩年に裕さんがいてよかった」と映画の中でつぶやいています。二人の関係は、恋愛のそれだったのでしょうか。
「数年前に一度、僕の存在は何なのか、寂聴先生に聞いてみたことがあります。肉親みたいなものじゃない?とおっしゃったけれど、僕は肉親に何でもあけすけに話しませんから『男女の関係だと思っています』と申し上げました。ラブレターのようなものをいただいたこともあったので。そうしたら先生、『へえ、好きになってたんじゃない、その頃』と。まあ、結論は出ていないんですよ(笑)」
好きになってたんじゃない――。映画の中で、寂聴さんはとぼけた表情でそう語っていました。見る人によっては、その気持ちは今もあるのでは、ととれるかもしれません。
「ある種の愛情、を持ってくれていたことは確かなんです。僕によく『かわいそう、かわいそう』っておっしゃっていましてね。独身で、傍に愛する人がいないことが、寂聴先生にとっては“かわいそう”なのでしょう。『誰でもいいからいい人見つけなさいよ』『お坊さんがそんなこというもんじゃありません』『今のは小説家が言っているんです』なんて会話もしました。
そういえば、婚約しようと思っていた女性と別れたとき、寂聴先生は立派なこたつセットを贈ってくれました。あたため合う相手がいない、ぬくもりがないまま冬を越すのは不憫でならないようで。こたつセット、今も使わせてもらっています」
「好きなことをやりなさい」
3つ目のキーワードは「自己責任」。
中村監督が寂聴さんから掛けてもらって一番大事にしている言葉に、「好きなことをやりなさい」があります。
「好きなことをするというのは、裏返せば、自分ですべての責任を負うということであり、自分の才能を信じるということです。
寂聴先生ご自身は、時に常識から外れている言動や歴史や作品があって、むしろ世間の常識なんてどうでもいいと思っていらっしゃるところもあった。それができたのは、結局は自分で考えて、自分で決断して、行動するしかないのだ、ということが身に染みついていたからではないでしょうか。
愛の本質を自由に書き続けるために自分の性愛の部分を断ち切ろうと僧侶になる、バッシングされても作品を書く、反戦や反原発の活動に参加する、いつも先生は自分で自分の責任をその都度とってやってこられた……。それは、なかなかできないことだと思います」
波乱万丈といわれることの多い寂聴さんの99年の生涯。その背景には、強くてしなやかな信念があったのだとわかります。
後編は、最晩年の寂聴さんが映画を通して見せた「老いと孤独と死」についてお届けします。
映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」
2022年5月27日より全国ロードショー!
ドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」
監督:中村裕
出演:瀬戸内寂聴
配給:KADOKAWA、制作:スローハンド、協力:曼陀羅山 寂庵
(c)2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
中村裕(なかむら・ゆう)監督プロフィール
1982年、早稲田大学卒業、ライオン(株)を経て85年に映像制作会社オンザロードに入社。龍村仁監督に師事。94年、CXのNONFIX「先生ひどいやんか!大阪丸刈り狂想曲」でディレクターに。2000年からはスローハンドを中心にフリーディレクターとして活動し、TBS系列「情熱大陸」では爆笑問題篇、松井秀喜篇、上原ひろみ篇、立川談春篇など26本を担当。他に、フジテレビ金曜プレステージ「最強ドクターシリーズ」、テレビ東京「土曜スペシャル」、NHKスペシャル「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」など多数。
取材・文=前田まき(ハルメクWEB)
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