数え年で100歳を迎えた際の愛情いっぱいの言葉
瀬戸内寂聴さんが語る、生きることの意味と人間の幸福
瀬戸内寂聴さんが語る、生きることの意味と人間の幸福
更新日:2023年12月09日
公開日:2022年05月20日
「だって100だものね。仕方がない」「そうそう100だもの」
※インタビューは2021年4月に行いました。
この5月で数えで100歳になりました。もう、自分でもあきれますよ(笑)。こんなに長く生きるとは思わなかったですから。
私は今も食欲があるんです。何でもおいしくいただいて、お肉をよく食べます。食欲があるから生きているんだなと、この頃は思いますね。お酒も好きなので毎日晩酌をします。たくさんは飲みませんよ。一合とちょっとくらいを晩酌にいただくと、よく眠れます。
でも、さすがに体は年中しんどいですよ。私は昔から脚が丈夫で、若い編集者と取材に行くと、みんな疲れてのびてしまっても、私だけ全然平気なくらいでした。
ところが今は、 もう思うように歩けない。人間は脚から弱りますね。よく杖をついて廊下を歩いていて、板床の上にぶっ倒れたりしています。
最近は転ぶのも相当うまくなりました。何かあると、若いスタッフがかけつけてくれて、「だって100だものね。仕方がない」「そうそう100だもの」が合言葉になっています(笑)。
自分以外の誰かを愛することで、生きた実感を味わえる
これだけ長く生きてきて、死を目の前にしてあらためて思うのは、人は愛するために生まれてきたんだということです。どんなに苦しい思いをしても、やっぱり誰かを本気で愛せたら、それが一番幸せなんじゃないかしら。
愛することに年齢は関係ありません。私のところには70歳になって恋をしたという人がいっぱい相談に来ます。何も珍しいことではないですよ。日が燦燦(さんさん)と降り注ぐように、恋愛というのは降ってくるもの。だから防ぎようがないんです。
そういう男女の恋愛でなくても、いくつになっても愛はあった方がいいと思います。親と子の間でも、きょうだいの間でも、友人の間でもいいんです。
例えば、窓から庭の木々を眺めて「今日は気持ちのいい風が吹くわね」なんてことを一人でつぶやくより、誰かに言いたいでしょう。たとえその人がいなくても、心の中の面影に向かってつぶやくような、そういう相手がほしい。
とにかく自分以外の誰かを愛することを味わった方が、生きた、という感じがしますね。

誰かを愛しても愛し返されないことがあるし、愛するからこそのつらいこと、苦しいことが必ずあります。そして最後は悲しい別れが待っている。いくら相思相愛でも、一緒に死ぬことはまずないでしょう。心中でもしない限り、どちらかが先に死んで、どちらかが遺されます。
でもね、誰も愛さないでこの世を去るよりは、傷つき苦しんでも愛した方がいい。誰かを愛することで、つらい目に遭って自分が苦しんだら、今度は自分以外の人の苦しみや悲しみに同情できるでしょう。想像力が豊かになって、思いやりも湧く。だから優しくなれます。
もし誰も愛さず、苦しい目に遭ったこともない、悲しんだこともないなんていう人がいたら、その人の人生はやっぱりつまらないんじゃないかしら。
「愛」「生」「業」「無常」「老」などをテーマに、胸に響く寂聴さんの108個のメッセージを厳選した一冊です
生きることは、愛すること。そして愛することは、許すことです。
仏教には「渇愛」と「慈悲」があります。渇愛というのは、心が渇いて愛がほしいという状態。“これだけ愛してあげたから、返してちょうだい”という自己愛です。
一方、慈悲というのは、あげっぱなしの愛。“返してちょうだい”という気持ちのない、本当の愛です。
お釈迦さまは渇愛から抜け出して、慈悲を行いなさいと言っています。相手から返してもらおうと思うのをやめて、ただ思ってあげる……そういう愛があれば、私たちは悩みから解放されます。
こだわらない、畏れない。幸福になるとは、そういうこと
50歳で出家してから、私はとても身軽になって、心が自由になりました。
人の心というのはどうしても不自由で、自分と他人を比べてしまったり、こうするべき、これがほしい、こうあってほしいといった思いにとらわれてしまいがちです。けれど、他人を気にすることをやめて、自分に自信を持って、あれこれとらわれるものがなくなると、とても自由になるんです。
結局、人間が幸福になるとは、心にこだわりを持たなくなり、何ものも畏れなくなることなのだと思います。

出家をするというのは、死後について考える哲学に入っていくことです。これまで私は死について本気で考えてきました。でも結局のところ、あの世があるのかどうかはわかりません。死んでから報告を書いてくる人は誰もいませんから、極楽がある、地獄があるというのも、全部想像でしかないわけです。
だから、死がわからないのは私もみなさんと同じ。お坊さんだから特別なんてことはありません。できれば静かに死にたいなと思っているけれど、「死にたくない!」って大声で暴れるかもしれない(笑)。そのときになってみないとわかりませんよ。
ただ長く生きた分、たくさん愛することができたから、私は幸せな一生だと思っています。
瀬戸内寂聴
せとうち・じゃくちょう 1922(大正11)年、徳島県生まれ。東京女子大学卒業。63年『夏の終り』で女流文学賞受賞。73年、平泉中尊寺で得度。その後、『花に問え』で谷崎潤一郎賞、『白道』で芸術選奨文部大臣賞、『場所』で野間文芸賞など次々に受賞。98年、現代語訳『源氏物語』完結。2006年、文化勲章受章。近著に掌小説集『求愛』、長編小説『いのち』などがある。2021年11月9日逝去、享年99。
取材・文=五十嵐香奈(編集部) 撮影=大島拓也
※この記事は雑誌「ハルメク」2021年7月号を再編集、掲載しています。写真はすべて2018年に京都・嵯峨野にある寂庵でインタビューした際に撮影したものです。
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