瀬戸内寂聴さん

2022年10月01日

2017年、95歳で語った生き方、終わり方

瀬戸内寂聴さん。寝たきり生活、がん手術を経験して

88歳から病気がちになり、90代になってがん手術を乗り越えた瀬戸内寂聴さん。2017年(※取材当時)に95歳を迎えた寂聴さんは「病を経験した日々は、老いや死、そして幸福とは何かを考えることの連続だった」と語りました。その死生観とは?

88歳で圧迫骨折、93歳でがんが見つかりました

私が住む京都・嵯峨野の冬はとても寒く、ときどき雪が降ります。でも、そんな寒さを感じないくらい、毎日忙しく過ごしています。

月に1度、寂庵(じゃくあん)で行われる法話では、150人ほどの前でお話をします。立ちっぱなしで1時間から2時間、語り続けています。

寂庵(じゃくあん)

こうして元気な私ですが、ここ数年、いくつかの病気を経験しました。88歳のとき、背骨の圧迫骨折で半年間、寝たきりの生活を送りました。その4年後には、突然また背中と腰に痛みが走り、腰椎圧迫骨折で入院しました。体の中をいろいろ調べましたら、胆のうがんも見つかりました。

そのとき私は93歳。普通、こんな年になったおばあさんは、手術はしないみたいです。放っておいても死は間近ですから。

でも私は、がんと一緒にいるのはまっぴらでした。ですから「すぐ取ってください!」とお医者様にお願いしたんです。すると「わかりました」と手術をしてくださることになって、胆のうごとすぐ取ってくださったんです。

結局がんを意識したのは、1日だけ(笑)。今振り返ると、あまりにもあっけない「がん告知」と短過ぎる「がん体験」でした。順調に回復し、今もなんともありません。

女性の人生には、2度、体の危機がある

95歳になって実感していることは、女性の長い人生には2度、体の危機があるということです。1回目は、いわゆる更年期の50歳前後です。その頃合いの女性は、ほとんどといっていいほど、心身を病むんですね。私が出家したのは51歳でしたから、今考えると、更年期の影響だったのかもしれません。

作家の有吉佐和子さんも、あんな明るくて売れっ子ですごく華やかだったんですけれど、ちょうどこの頃、病気がだんだん重くなって、亡くなったでしょう。ただ、50代の頃はお医者さんに行って、注射をしてもらったりすれば、たいていはよくなるものです。

そして2回目が、88歳。この年から「本当の老後」がやってきました。よく後期高齢者になる75歳からが老後とかいう話を聞きますね。でも、私の実感からして87歳までは、多少の不摂生をしても、まだまだ体が丈夫です。でも88歳からは、何が起きるかはわかりません。

死もいずれ確実にやってきます。でもお迎えのときは、自分でいつかはわかりません。お釈迦様は、こうして死を身近に感じながら生きていくことを、人間が抱える根源的な「苦」であると説かれました。このような根源的な哲学を突きつけられるのが、88歳以降だといえるのだと思います。

死後のことより、今をしっかり生きることが大切

みなさんは、死が気掛かりですか? 法話をしていますと、たびたび「死んだらどうなりますか?」という質問をされます。一番気になることなのかもしれません。

でも、私はいつも「まだ死んだことがないから、わからない」と、答えています。お釈迦様は、死後の世界について、何もおっしゃらなかったからです。大切なのは、今この世で悩み苦しんでいる人を救うことだからと。死後のことを答えてもしょうがないと思われていたようです。

今をしっかり生きる

死後の世界について、作家の里見弴(さとみ・とん)先生と対談をしたことがあります。里見先生は当時93歳で、今の私と同じくらいで、親しい友人たちも、次々に亡くなっていっていた頃のことでした。「人間、死んだらどうなるんですか?」という私の質問に、里見先生が即座に「無だ」とおっしゃいました。

三途(さんず)の川があるって、よく言われるでしょう? あれだって、あるのかどうかもわからないんです。川のこっちはこの世、あっちはあの世。あの世には、いいことがあるのよ、なんて言ったりしますけど、わからないです。

だから私、法話では三途の川をこんな笑い話にしているんです。「今はね、高齢者人口が増えて、渡し船じゃ入りきらないからフェリーよ」って。向こう岸には、前に死んだ人が並んでいて、「あら、遅かったわねー」なんて言ってくれて、その夜は歓迎パーティーを開いてくれる(笑)。そんなこと、あり得ないとは思いますけどね。

でもその通りかもしれないし、行ってみないとわからない。なんとでも想像できるでしょう。結局、誰も知らない死後のことより、今という貴い瞬間をしっかり生きることが大切ということです。

書斎の机の上に、うつ伏して息絶えたい

私の場合、書いているときが、やっぱり生きていることを実感します。背骨が丸くなり、目も片目しか見えなくなり、ペンを持つ指の骨も曲がってしまいました。でも、最期の瞬間まで書いて、命を燃やしたい。もしかしたら、ペンを握ったまま、乱雑極める書斎の机の上にうつ伏して息絶えている。そんな憧れの死に様も、夢ではないかもしれません。

先だって、最後になるかもしれない小説を書き上げました。『いのち』という題名は、書く前から決めていました。今自分が考えていることと、仲が良かった河野多惠子さん、大庭みな子さんとの交流も書きました。

小説『いのち』
小説『いのち』には、河野多惠子、大庭みな子という2人の芥川賞作家の知られざる最期の姿も記されています。「2人はまた厳しいライバルでした。それも書きました。私だから書けたことかもしれません」

2人とも才能あふれる作家で、私より若いのに先に逝ってしまいました。もうこの世にいない。そう考えること自体、つらいとか、悲しいとか、そういう次元ではないんです。早くあちらへ行き、3人で一晩中しゃべり明かしたい。それくらい大好きな2人でした。

河野さんとは64年ものお付き合いがありました。まだ駆け出しの頃、ご両親から「仕送りを止める」と言われてしまった河野さんの大阪のご実家へ行き、「彼女は芥川賞を必ず取りますよ。続けてやってください」とご両親を説得したこともありました。その後、河野さんは本当に『蟹』で芥川賞を取りました。私たちは感性に加え笑いのツボが一緒で、よく長電話で笑い合っていました。

大庭さんは、私が40代半ばの頃に、『三匹の蟹』で芥川賞を受賞し、「天才現る」と評された作家です。その作品は詩情にあふれ、読後にはいつもおいしいごちそうを食べた後のような満足感がくる。私はそんな大庭作品のファンでした。作品は詩的なのに茶目っ気がある大庭さん。最期はベッドの上でご主人の口述筆記に頼り執筆を続けていました。2人とも波瀾万丈の人生でしたが、好きなことをやりきって、幸せだったと思います。

人として最高の行い「陰徳」を積んだ円地文子さんの言葉

私にとっての幸福はもちろん書くことではありますが、もう一つ、いろんな人とのつながりもあると思っています。普段は体力の許す限り、年齢や考え方の違う人たちと積極的にお話をするようにしています。誰だって自分と同じタイプの友人と一緒にいるのが心地よいものです。でも、自分と違うタイプの人との交わりを通して、人生という難題を乗り越えるための新たな視点が養われます。

瀬戸内寂聴

思い出すのは、円地文子(えんち・ふみこ)さんです。円地さんは、源氏物語の現代語訳を私より前に完成させた大ベテラン作家です。私とは全然タイプが違い、周囲の方のために黙って良行を重ねる「陰徳(いんとく)」も積まれる方でした。

あるとき、円地さんは私を呼んで「河野さんの手術費に使うよう計らってください」と、相当の金額を包んだものを私に手渡しました。「ただし、このことは決して人にしゃべらないこと」と、付け加えられたのです。当時、河野さんは自身の病気の手術代がなく困っていました。今振り返ると、円地さんの計らいは、私と河野さんしか知りません。河野さんはどれほど救われたことでしょう。

人間にとって、「陰徳」ほどハードルが高いものはありません。おしゃべりな私にはなかなかできないことです。でも、年を重ねたからでしょうか。私とはまるでタイプが違う円地さんの言葉が今、なぜか軽やかに心に響いてくるのです。

瀬戸内寂聴
せとうち・じゃくちょう 1922(大正11)年、徳島県生まれ。東京女子大学卒業。63年『夏の終り』で女流文学賞受賞。73年に平泉中尊寺で得度、法名寂聴となる(旧名晴美)。92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、2011年『風景』で泉鏡花文学賞受賞。98年『源氏物語』現代語訳を完訳。『釈迦』『死に支度』『わかれ』など著書多数。

取材・文=清水麻子 撮影=大島拓也 構成=五十嵐香奈(ハルメク編集部)
※この記事は雑誌「ハルメク」2018年1月号に掲載した記事を再編集しています。


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