随筆家・山本ふみこさんと旅する、田辺聖子さんの文学

2022年11月24日

恋愛小説、エッセー、古典の現代語訳、評伝……

随筆家・山本ふみこさんと旅する、田辺聖子さんの文学

2019年6月6日に亡くなった、作家・田辺聖子さん。享年91。恋愛小説、エッセー、古典の現代語訳など、幅広い著作を貫くのは「深いことを軽く、やさしく、面白く」の姿勢でした。そんな田辺文学の世界について、随筆家・山本ふみこさんがつづります。

随筆家・山本ふみこさんのプロフィール

Ⓒ onishi
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山本ふみこさん
やまもと・ふみこ 1958(昭和33)年北海道生まれ。出版社勤務を経て独立。特技は日々の中におもしろみを見つけること。趣味は山歩き、歌舞伎や宝塚の観劇、将棋。『家のしごと』(ミシマ社刊)、『忘れてはいけないことを、書きつけました』(清流出版刊)など著書多数。ハルメク「エッセー講座」講師も務める。

田辺聖子さんの略歴

Ⓒ shimokoshi
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1928(昭和3)年、大阪市内で写真館を営む一家の長女として誕生した田辺聖子。幼い頃から本を読み漁り、12歳で淀之水高等女学校に入学後、早くも小説を書き始めます。

16歳で樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科に入学。翌年、大阪大空襲で実家の写真館が焼失し、さらに父が亡くなったため、卒業後は家計を助けるため金物問屋で働きます。一方で小説を書き続け、29歳で『花狩』が婦人雑誌の懸賞小説に入選、翌年、作家デビュー。『感傷旅行センチメンタル・ジャーニィ』で芥川賞を受賞したのは36歳でした。

その後は小説、エッセー、評伝など多種多様な作品を発表。女流文学賞、吉川英治文学賞、泉鏡花文学賞などを受賞し、59歳で直木賞初の女性選考委員に。80歳で文化勲章を受章しました。

私生活では、38歳で医師の川野純夫氏と結婚。夫は「カモカのおっちゃん」の愛称で作品にたびたび登場し、2002年に死去しました。

「おせいさん」の愛称で親しまれた田辺聖子さんの思い出

山本さんの愛読書『篭にりんご テーブルにお茶…』(撮影=中川まり子)
山本さんの愛読書『篭にりんご テーブルにお茶…』(撮影=中川まり子)

こんにちは、山本ふみこです。

私は自宅に「こころを寄せる場所」というコーナーをつくっています。写真立てにおさめた熊谷守一(くまがい・もりかず)の絵(幼くして亡くなったお嬢さんに供えた卵が3つ描かれた「玉子仏前」)、灯明とお水、線香立てを置いて、あの世へ旅立った皆さんをひとまとめにして、祀っているのです。

父も母も、親類も誰もひとまとめというところが、いい。と、わたしは考えております。

6月6日、田辺聖子旅立ちのときには「おかあちゃま、大変です。おせいさんがそちらへ行かれましたよ」と大急ぎで知らせました。

そうです。おせいさん=田辺聖子の世界にわたしを案内したのは母でした。母の書架には、おせいさんの本がずらーりとならんでいました。

何かで落ちこんでいた若き日のわたしに、「ひにちぐすりが救ってくれる」と母がことばをくれました。どんな辛さも、苦しみも、時が解決してくれる、という意味です。

「おせいさんの本で覚えたことばなのよ」と母は云い、そこからわたしも読者になったというわけでした。

小説、随筆のほか、古典への造詣の深いおせいさんによる『新源氏物語』『田辺聖子の古事記』など、わたしも宝物をたくさん持っています。

なかでもひときわ読みこんでボロボロになった文庫があるのですよ。それが、『篭にりんご テーブルにお茶…』(角川文庫)。この本は、20歳代のわたしのお守りでした。

目次の一部を書いてみましょう。

男に甘える
子供をもたぬたのしみ
挫折のたのしみ
中途はんぱのたのしみ
旅のたのしみ

これを読まずにきたというあなた、ほおおっとなったのではありませんか? 

茶色く灼けたページを繰りながら、つくづく思ったことでした。この本から、おせいさんから、恋のこと、夫婦のおもしろみ、人生の味わい方をおそわったんだなあ、わたしは、と。

「子供にたえず興味をもつ、ということもまた、たのしいではないか。私は、そういう人生は、子供をもたぬたのしみの一つでもあると思うのだ。子供をもたぬたのしみを、若い女性に教えるのは、これまた、オトナの仕事であろうと思う」(子供をもたぬたのしみ)

久しぶりにここを読んだわたし、「こころを寄せる場所」の前に立ち、「おせいさん、素敵!」と叫びましたとさ。

 

山本ふみこさんが選んだ、深くて軽やかな田辺聖子のことば

膨大な田辺聖子作品の中から、山本ふみこさんに特に好きなくだりを選んでもらいました。人生のおもしろさ、ほろ苦さが、じわじわと伝わってくることばの数々。あなたのこころに触れるものはありますか?
 

『残花亭日暦』(角川文庫)

そしてフト思った。人は往々にして、(ああ、もう死んだほうがマシや)と嘆(たん)じたりするが、なるほど、死は安らぎなのだ、ということを発見する。〝神さん〟に、〈ハイ、そこまで〉といわれるのは、〈苦役解放〉であろう。
 
いまの私なら、〈ハイ、そこまで〉の声がかかると、〈待ってました〉と躍りあがるかもしれない。そして彼自身も〈ハイ、そこまで〉といわれたら、〈やれやれ〉というかもしれない。現世はすべて苦役であろう。
 嬉しいことも得意なことも、順風・幸運、みな一種の苦役かもしれない。しかし、彼といた時間の〝苦役〟の、なんてたのしかったこと。
 

『私的生活』(講談社文庫)

今まで、私の人生は、思い出の仕入れのために費された人生だったかもしれない、なんて考える。
 

『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』(文藝春秋刊)

『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』(文藝春秋刊)
『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』(文藝春秋刊)

「ねえ、ヒロシ……愛ってなんなの?愛ってほんとにある、と思う?

……あたしたち、人生のほんのささやかな部分、――セクシュアルな欲望や、美貌の嗜好や、共通の関心や、階級的利害や同類意識をもつこと、老後の打算なんかのことを、愛と錯覚していたのではないかしら……。あッ、それとも愛とはもともとそんなものかしら? それとも、ほんとうの愛はそんなのじゃないけれど、現代ではそんなものが、愛の王座をうばって取って代ったのかしら?」
 

『苺をつぶしながら』(講談社文庫)

しかしワッと泣く女は、泣いてみせる相手がいるからワッと泣くのだ。キスは一人でできないのと一緒で、泣いてみせる相手がいる女は、ワッと泣くのである。泣く相手がいても、ワッと泣くのは趣味に合わない私は、まして一人ぐらしだと、この恥さらしに一人で耐えないといけない。ワッと泣けないのである。
 

「いろんな発見」

* 「いろんな発見」は『ひよこのひとりごと』(文藝春秋刊/中公文庫)所収

その自信が、六十歳の声をきいたときから、ぼちぼち、ゆらぎはじめる。
 虚心に、他人(ひと)を見、自分を見るようになれる。
……みとめたくないが、〈他人はエライ〉のだ、と気付く。本音をいうと、みとめたくないのだが、六十というトシと世間智が、承知しない。
ついにカブトをぬぎ、内心、いまいましいが、〈他人はエライ〉と、目を開かされる。
(中略)
 他人はエライが、自分もエライのだ。よく戦ってきたじゃないか。満身創痍(まんしんそうい)の身で戦場を馳駆(ちく)し、生き延びた。
〈自分もエライんだ〉と思わなきゃ、長生きしてる甲斐もないじゃないか。
 

「ほとけの心は妻ごころ」

* 「ほとけの心は妻ごころ」は『ほとけの心は妻ごころ』(角川文庫)所収

 甘えるな。返事なんかするものか。やさしくすればつけあがり、した手に出れば増長し、いいかげんにしろ、というのだ。女の怒りは男とちがう。怒っていても満腹したらすぐ直るような単純なものとちがうのだ。
「おいッ、何を怒ってんねん、いつまでも……」
 夫はいらいらして、暗闇の中で髪をかきむしるような声になった。自分が怒らせといて。

そういうとき、私は、ほんとうは、寸鉄、人を刺すコトバをギュッと夫にいってしめ上げたいのである。しかし、私にはやっぱり、できなかった。とうとう、根負けして、「何も怒ってませんよ……
 

「姥あきれ」

* 「姥あきれ」は『姥ざかり』(新潮文庫)所収

無信心無信仰の私でも、何かしら大きな超越者のごときものがいたはるのやないかしらんと思うことがある。
仏サンか神サンか観音サンか菩薩サンか、それは分らない。モヤモヤしているから私は、仮りに、ひそかに自分一人で、「モヤモヤさん」となづけている。(中略)

このモヤモヤさんは、決して人間に安らぎをもたらしてはくれない。
 あべこべに闘争心をかきたてる。
 何となればモヤモヤさんは人の足をすくうのがうまいからである。
(中略)
 モヤモヤさんに対抗するには、こちらも心身を鍛えに鍛え、向うが突然とびかかって来ても、

(えいっ!)
(おうっ!)

 と応戦できるように元気いっぱいでいなくてはならぬ。また、モヤモヤさんに裏を掻かれぬよう、あらゆる場合の戦況を幾通りも予想して、手を打っておかねばならぬ。
 

『不機嫌な恋人』(角川書店刊/講談社文庫)

秋の夜の冷気に、水は冷え切っていた。口うつしに小侍従に少将は含ませようとする。
「あらまあ……」と小侍従は笑ったので、ひとしずく、水はこぼれて彼女の白いおとがいから敷物へ伝わった。少将はかまわず含ませつづける。

 すずやかな水だと小侍従は思った。ずっとあとになって、(あのときの水……)と思うような一瞬を、いま、過ごしているのだと思った。

 

「愛の罐詰」

* 「愛の罐詰」は『孤独な夜のココア』(新潮文庫)所収

先生の顔は私にはやはり、どきっとする、なつかしい切ないものをもたらしたが、むろん、あの昔の、純粋な結晶のような思いとは質がちがう。あの恋は、私の心の中では、愛の罐詰にされていた。
 しかし、それは、空気の罐詰といっしょで、あけてみても、何も見えず、何の音もしないものかもしれなかった。ただ何かが詰っている、そしてそれは罐詰になっている、ということしか、わからないのだった。

 

田辺聖子さんと古典

Ⓒ shimokoshi
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多彩な田辺作品の中でも、古典を読み解いたエッセーや現代語訳は、幼い頃から“本の虫”だった田辺さんの真骨頂。古典の世界を私たちに身近なものにしてくれます。
 

「憂うくつらき夜を嘆き明石の人の巻」

* 「憂うくつらき夜を嘆き明石の人の巻」は『新源氏物語(上)』(新潮文庫)所収

「ならぬ。これはただ、いささかの物の報むくいなのだ。——この地で身を捨てるなどと考えてはならぬぞ。私は位にあったとき、過失はなかった。しかし知らぬ間に犯した罪の、つぐないをするためいそがしくて、この世を顧みるひまはなかったのだが、そなたが痛々しく不幸に沈んでいるのを見るに忍びず、海に入り、渚なぎさに上って、やっとここへ来たのだ。(中略)」
(中略)
なんという、かわらぬ深いご慈愛よ。
 源氏は夢の中で、もっと父院と言葉を交せなかったのが、なごり惜しかった。
(父君……いま一度、お姿をお見せ下さい)

美男に生れついた、お父とっつぁんが時の帝みかど、という勿もっ体たいない境遇を、ありがたいとは思ってもみない。それは当然かもしれないが、本当はみな、「神サン」のさせるわざなのだ。
 

「夜あかし潮汲みの巻」

 *「夜あかし潮汲みの巻」は『私本・源氏物語』(文春文庫)所収

この自分(わたくし)、ヒゲの伴男(ともお)などにいわせると、毎朝起きるごとに、「神サン、ありがとうございます」といって神サンに感謝しなければいけないところだ。
よって、ウチの大将あたりが、昇進したときのお祝いに、客が次々と来て、「おめでとうございます」といったりしている、それも自分にいわせるなら、「神サンによう可愛がられましたなあ」と挨拶するべきなのだ。

田辺聖子文学館に行きませんか?

大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科教授で、田辺聖子文学館の副館長を務める中周子(なか・しゅうこ)さんに、在りし日の田辺聖子さんについて伺いました。田辺さんは、「指輪をするように古典を楽しむ」人だったと振り返ります。

Ⓒ onishi
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田辺作品というと大阪弁が注目されがちですが、それだけではありません。紫式部も西鶴も一茶も、田辺先生は古典文学を全部取り込んで、作品の中で多彩な文体や語彙を駆使されています。先生の書庫を見たとき、「これだ!」と思いました。研究者も読まないような本や資料が山積みでしたから。

先生が『源氏物語』の現代語訳を連載し始めたのは1974年。それまで原典に忠実でなければいけないとされていた『源氏物語』を、先生は全部バラバラにして再構築して訳された。それは深く原典を理解していたからできたことで、当時はとても画期的でした。

晩年にお会いした先生は、いつも指輪とネックレスをちゃんとして、おしゃれをされていました。先生にとって、本を読むことや古典に親しむこともまた、おしゃれだったのだと思います。きれいな指輪をするみたいに、愛する古典を読む――そうして心を楽しませていたのではないでしょうか。

大阪樟蔭女子大学 田辺聖子文学館

住所/東大阪市菱屋西4-2-26 大阪樟蔭女子大学図書館内
開館時間/9時~16時30分
休館日/日曜・祝日、大学の休業日
入場料/無料
お問い合わせ/06-7506-9334
※新型コロナウイルスの感染拡大防止で急な休館があります。お出掛けの際は公式サイトをチェックください

撮影=霜越春樹、大西二士男 構成=五十嵐香奈(ハルメク編集部)
※この記事は、雑誌「ハルメク」2019年10月号に掲載した記事を再編集しています。


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