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- エッセー作品「来ぬ人を」中込佳子さん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。中込佳子さんの作品「来ぬ人を」と青木さんの講評です。
来ぬ人を
あと10日生きていたら85歳の誕生日を迎えたであろう母。
でもそうはいかなかった。
早いもので見送ってから、 もう20年も経ってしまった。
病室でついさっきまで眠っているとばかり思っていたのに、突然こう言って私を驚かせた。
「ねえ中納言なんだった?」
「えっ」
私は2人の歌人も思い出していたが、それには答えず「権中納言もあるよね」と返した。
「そう権中納言もあるわ」
私はその時少し別の事を思い出していた。
正月よく兄の友達も含めて百人一首で遊んだのだが、その友達のひとりが、ある時
「クイズクイズ、中納言と権中納言の違いはなあんだ」
と私に問うた。高校時代の話だ。
その時の事を母に話すと「あの人らしいわね」と。
彼は何かと言うとクイズを私に出題した。
ところで母にどの歌が一番好きかと聞くと
「沢山あるので解らないわ」
そこでしばらく会話がとぎれた。
ややあって「来ぬ人を」と母。
「ああ定家ね」と私。
「そう定家だわ」
その先の会話は再び止まった。
実はそれこそ母が父の来院を「つる首」の思いで待っていた証しだった。
鈍感な私は直ぐには気付かなかったが、父は自身も介護を受け乍(なが)ら終わると必ず母の病院に送ってもらっていた。
私が病院に行くと決まって母はこう尋ねた。
「お父さんは?」
私も決まって同じ返事をした。
「まだこれよ」と、両手を合わせて左の頬に当て少し首を傾けて目をつむる。
要は赤ちゃんのおねんねポーズ。
母は面白そうに笑い「本当にお父さんよく寝るわね。私の倍は寝ているわ」
父は折角病院に来ても2人には一向に会話が成立しない。
片や声が小さい。
片や耳が遠い。
「えっ?」と何度もくり返す父。
通訳がいるねと私。
側で見ているとひどく可笑しい。
やがて父は「何言うてるのかさっぱり解らん」と言って廊下に出る。
病室の椅子は小さく固いので「尻が痛い」と父。
待合室の長い椅子に横になり午睡する。病室に戻り又廊下で午睡。
それを数回くり返す。
そして程なく私は帰京する。
翌月同じ様に病院に行ったが、その時母はほとんど口を利かず寝ていた。
そしてその数日後に亡くなった。
思えば母との最後の会話は「来ぬ人を」だった。
友人から「最後まで女学生だったわね」と言われた母。
こんな別れも悪くないと思った。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ
権中納言定家
青木奈緖さんからひとこと
お母様の静かなご最期が、あざやかにしっとり描けています。病室で夢かうつつかのような状態で「来ぬ人を」を思い浮かべるお母様、そしてその後のご両親のやりとりは、著者にとっては忘れられない思い出でしょう。
作品の最後に1行あけて「来ぬ人を」を引用することで、余韻も生まれてより味わい深くなります。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。講座の受講期間は半年間。
2023年3月からは、第6期がスタートしました(受講募集期間は終了しています)。5月からは、青木先生が選んだ作品と解説動画をハルメク365でお楽しみいただけます(毎月25日更新予定)。
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