「さつまいもの天ぷら」横山利子さん
2024.09.302022年03月29日
山本ふみこさんのエッセー講座 第7期第1回
「ホカホカのモツ煮込みとやかん」花村むつみさん
随筆家の山本ふみこさんを講師に迎えて開催するハルメクのエッセー講座。2月に始まった教室コースの作品から、山本さんが選んだエッセーをご紹介します。テーマは「日曜日」。花村むつみさんの作品「ホカホカのモツ煮込みとやかん」と山本さんの講評です。
ホカホカのモツ煮込みとやかん
京浜急行の梅屋敷駅ちかくで、ひとり暮らしを始めました。
梅屋敷は歌川広重の浮世絵に描かれるほどの名所旧跡だったそうですが、今は、春になると梅の香りでいっぱいになるような小さな公園です。
とてもよいお天気の日に、ひとりで不動産屋さんを訪ねました。
連れて行かれた部屋の窓を開けると、庭に一本の大きな木が見えて、玄関に向かって、さぁ~っと風が通りぬけました。六畳一間に小さなキッチンがついた間取りでした。ロフトがあって、天井が高くて、トイレとお風呂が独立していて、おおきな収納戸棚もありました。
考えていたよりも家賃が高かったけれど(当時のお給料の半分ほど)、ボーナスもあるし、やりくりをすれば、どうにか暮らすことができると思いました。
アパートは、果物屋さんの細い脇道を入った奥まったところにありました。
玄関が向かい合わせになって真ん中に通路があり、隣の部屋とは接することのない不思議な作りのアパートでした。
大きなオートバイクが置いてあったけれど、いちどもお隣さんの顔をみたことは無かったなぁ。
大学も仕事も結婚も(これは随分あとの話ですが)、ぜんぶ最初の出会いで決めました。
ピンときたら、即断即決です。そのときの直観を信じて、何かを決めるために根拠はいらないという生き方です。
ホカホカのモツ煮込みのお鍋がグツグツ煮えていて、ビニル袋を広げてお玉ですくってくれるお肉屋さん、「ちょこっと作ると美味しくないけどたくさん作ると美味しいよね」といった、タケノコ・蕗・南瓜などの煮物や、鶏肉が入った筑前煮、しっぽがカリカリしている揚げたてのかれいなどが並ぶお惣菜屋さん、色鮮やかでパリっとした新鮮な野菜がところ狭しと置かれている八百屋さん、威勢のよい掛け声が響きわたるねじり鉢巻きした魚屋さん、ラーメンの麺とうどんの玉だけ売っている直売所、店先に竹ぼうきやまな板が重ねられた、大きな店構えの荒物屋さん。
食べたいものや暮らしに必要なものがすぐに何でも揃う「梅屋敷商店街」は、いつ訪ねても掘り出し物がいっぱいの魅力的な場所でした。
当時、勤めていた会社が株式を上場する計画を立てていたので、朝早くから夜遅くまで、わたしはたくさんの人のなかで懸命に働いていました。
夕食だって、商店街で調達したものと美味しいフランスパンと少しのワインとチーズがあれば、それだけで満足でした。
お休みになる土曜日ごとに、次の1週間分の食事とお弁当のために、食材のまとめ買いをして冷蔵庫に収めることを繰り返します。
そして、日曜日は、自分の気に入るものが見つかるまで、ひたすら商店街を歩きました。
自分のイメージ通りのやかんに出会えなければ、お鍋でお湯を沸かしてお茶を飲みました。テレビも電子レンジも持たない、ラジオを聞きながら家事をするような、質素で静かな暮らしでした。
それでも、必要なものはすべて持っていると思っていました。
2日くらい寝なくても大丈夫なくらい元気で、健康に恵まれて、充実した仕事をしていたので、毎日が楽しくてしかたありませんでした。
今は、毎日、朝から夜まで夫のおしゃべりを聞きながらのふたり暮らしです。
でも、こころのうんと深いところには、昔のような自由なひとり暮らしにあこがれるわたしがひっそりと住み続けています。
山本ふみこさんからひとこと
旅する感覚で綴られた作品です。
物語を読むような気持ちになりました。読みながら、作家「花村むつみ」のひととなりもわかってきます。
「今は、毎日、朝から夜まで夫のおしゃべりを聴きながらのふたり暮らしです。でこ、こころのうんと深いところには、昔のような自由なひとり暮らしにあこがれるわたしがひっそりと住み続けています」
これを読んで、今の幸せが伝わるから不思議ですね。
山本ふみこさんのエッセー講座(教室コース)とは
随筆家の山本ふみこさんにエッセーの書き方を教わる人気の講座です。
参加者は半年間、月に一度、東京の会場に集い、仲間と共に学びます。月1本のペースで書いたエッセーに、山本さんから添削やアドバイスを受けられます。
次回の参加者の募集は、2022年6月に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始します。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから