「さつまいもの天ぷら」横山利子さん
2024.09.302021年08月02日
通信制 青木奈緖さんのエッセー講座第2期第3回
エッセー作品「父の置き土産」熊谷智恵子さん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。熊谷智恵子さんの作品「父の置き土産」と青木さんの講評です。
父の置き土産
子供の頃から私には、人が物を食べている光景を目にすると、何故かしらとても可哀想に思えて悲しくなるという癖がある。
特に年配の人に対してその傾向が強く、楽しそうにお花見弁当を広げていたり、食堂でオムライスを前にしたお年寄りを見ただけで、ご本人は別に不幸そうでもないのに、理由もなく哀れんで勝手に気持ちがふさいでしまう。
父とは晩年いろいろあったが、食べているところは憎めなかった。
父は食いしん坊で、食べ方も上品とは程遠く、むしゃむしゃと夢中で食べる。
お酒を飲んでも飲まなくても、調子に乗って熱くなるところがあり、そんな時は突然びっくりするような大声で笑ったりして、幼い私をハラハラさせたものだ。
思春期には、自分の父親をどんな人間だと解釈すればいいのかわからずに悩むようになった。
父には、物語に登場する父親像のような尊敬すべきところは見当たらない。
信念を語ったり、人としての正しい行いを説くこともなければ、母を大切にしている様子もない。
ドラマのような不幸もないけれど、ただ本能のままに生きているようにも見えて、つかみどころが無さすぎた。
父の人生が終わりに近づいた頃のことである。
夜遅く、私は父の部屋でスーパーのお惣菜を何パックも見つけてびっくりした。
食事は家族と一緒にしているのに、何でこんなものを買い込んでいるのだ。
「お父さん、全部今日までじゃない!何でこんなに買ったの!食べきれないのにもったいないじゃない!どうするんな!」
私は悲しいやら情けないやらで逆上し、頭を噴火させながら責めたてた。
「うん、うん、食べる、食べるんな、食べるから。ちえちゃんは食べんか。」
「食べるわけないじゃん!」
私の剣幕に父はうろたえて、立ったまま手づかみで口に詰め込み始めた。
一体どうしてしまったんだ、これではまるでボケ老人ではないか。
情けなさで私は泣きながら怒り続けた。
怒りながら、頭のどこか片隅で、そうか、こういうことだったんだなあと、思い当たるような気がしていた。
どうして昔から、人が食べているのを見ると可哀想に思えたのか。
今、見ているものが、その答えなのではないか。
例えば、目の前のご馳走を取り上げられたら、その瞬間は、老人でも幼な子と同じ表情を浮かべるのではないかと思ったりする。そんな表情は間が抜けているが、だからこそ、愛しい、可哀想なものではないだろうか。
食べている人の姿は、人間というものが、存在しているただそれだけで、可哀想な悲しいものだと教えている。その姿を見せていったこと。
何も立派なことは教えてくれなかった父が残していった、私への置き土産なのかも知れない。
青木奈緖さんからひとこと
食べることは、私たちにとってあまりに当たり前過ぎて注視することはあまりないのですが、人が食べ物を摂取する姿というのは根源的で、必死で、哀れなものです。そういう瞬間が、例えば親が年を重ねていくうちに見えてしまうことがあります。
この作品は多くの方が深いところで共感を覚える作品ではないでしょうか。それと同時に、自分が食べる姿はどう見えているのだろうと急に不安になりますね。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。講座の受講期間は半年間。
第3期の募集は終了しました。次回第4期の参加者の募集は、2022年1月に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始します。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから
■エッセー作品一覧■
- 青木奈緖さんが選んだ3つのエッセー第2期#1
- 青木奈緖さんが選んだ4つのエッセー第2期#2
- 青木奈緖さんが選んだ3つのエッセー第2期#3
- エッセー作品「母を想う」加地由佳さん
- エッセー作品「父の置き土産」熊谷智恵子さん
- エッセー作品「残照を受けて」古河順子さん