枝元なほみさん 病気を受け入れて見つけた新たな使命
2024.11.262018年12月19日
お金も体力もいらない。ペン1本、紙1枚あればいい
カッコつけず今を詠む。俳人・内田美紗さん
俳句写真集『鉄砲百合の射程距離』で注目される内田美紗さんに聞いた「俳句を詠むこと」「一人で生きること」。日々を生きる実感を17音でスパッと切り取る81歳の俳人は「みんなと同じはつまらない」と微笑みます。
俳句写真集『鉄砲百合の射程距離』で注目される俳人・内田美紗さん
秋の暮通天閣に跨がれて
昼寝覚(ひるねざめ)この世の水をラッパ飲み
待たれゐる死やかすかなるバナナの香
内田美紗さんが俳句を始めたのは、40代の終わり頃。「三月の甘納豆のうふふふふ」など遊び心ある句で知られる俳人、坪内稔典さんの本を友人から借りたことがきっかけでした。「こんな俳句があるんだ」と惹きこまれ、句会に参加。本格的に作句を始めた頃に詠んだ句は、内田さんの代表作の一つになっています。
秋晴や父母なきことにおどろきぬ
「きれいな秋晴れで、ふと、もう両親はいないんだな、私の上には傘がないんだなと思ったんです。その実感を素直に詠んだ句。今見ると、『おどろきぬ』なんてストレートな言葉はどうかと思いますけど。初めて句会で褒められて、その気になってしまったの」と笑います。
ほどなく、坪内さんが主宰する俳句グループ「船団の会」に入会した内田さんは、めきめきと頭角を現していきました。
ミック・ジャガーの小さなおしり竜の玉
これは60代後半の句。「竜の玉」は冬の季語で、ジャノヒゲの実のこと。生垣や公園などで青々とした葉の間に、小さくて丸い青紫色の実を見たことがありませんか? あの実から、ミック・ジャガーの小さなお尻を思い浮かべる。そんな年齢を感じさせないポップさも、内田さんの句の持ち味です。
「昔の思い出だとか、孫がかわいいとか、そういう句を私は詠みたくないんです。だって、昔はこうだったと懐かしんでも、あっそうって感じで、それきりでしょう。それに孫がかわいいことは、詠まなくてもわかっているんですから。私にとって俳句は、今を詠むもの。今の自分が感じたこと、体験したことを膨らませていく。例えば、ものすごく楽しいけれど、ふっと悲しい。ものすごく寂しいけれど、ふっと楽しい。そういう瞬間を17音でスパッと詠むのが、俳句の楽しみです」
お金も体力もいらない。ペン1本、紙1枚あればいい
取材当日、内田さんは園田学園女子大学(兵庫県尼崎市)で公開講座「俳句を楽しむ」の講師を務めていました。中高年を対象に10年以上続く講座で、開催は月2回。この日、最初のお題は「トマト」でした。「トマトは今や年中食べられるから、季節感を出すのが難しいわね」。そう言いながら、内田さんも投句します。
「こうした講座や句会に出るときは、事前に俳句を作ってくるわけです。会によっては、その場で20句くらい作ることもあります。だから、否応なく脳みそをうんうん使うことになる。それは大変ですけど、俳句をやっていてよかったなと思うことです。それにすごくお金がかかるとか、体力を使うということがないでしょう。ペン1本、紙1枚あればいい。だから長く続けられるんだと思います」
普段はどこで俳句を作っているのですか? と内田さんに尋ねると、「台所のテーブルで」と答えが返ってきました。
「私は一人暮らしで、他に誰もいませんから。俳句を作るのも、ごはんを食べるのも、本を読むのも、テレビを見るのも、手紙を書くのも、ずっと台所のテーブルです。忘れ物をしないように、A句会の資料はここ、B句会の資料はここと置いているので、小さなテーブルのさらに狭いスペースしか使えないんですよ(笑)」
自分の言葉で何かを言いたい
内田さんは20代前半で結婚。演劇関係の仕事をしていた夫は収入が不安定で、内田さんもずっと働いていました。
「若い頃は、大阪にある放送局の嘱託でアナウンサーをしたり、テレビコマーシャルに出たりしていました。でも当時のコマーシャルのコピーって、だいたい男の人が書いていて、おしょうゆや洗剤のコピーなのに、まるで生活感がないの。だったら自分で書こうと、コピーの学校で勉強して、中小プロダクションでコピーライターをしていました。生活もかかっていたから、一生懸命働きましたね」
でも、夢中で働きながら次第に思うようになるのです。物を売るためのコピーではなく、自分の言葉で何かを言いたい、と。そんなときに出合ったのが、俳句だったと振り返ります。
「だから俳句では、カッコつけたり、心にもないことを詠んだりしたくない。今の自分がすべてですね」
夫を亡くしたのは50代後半。心臓の手術後、容態が急変し、突然の死でした。「夫には申し訳ないけれど、当時は私もまだ若かったし、仕事もしていたから、何とか立ち直ることができました。もし今なら、立ち直れないかもしれない。ただ、私たちの世代は戦争だとかイヤなことをいっぱい体験していて、人生そう思い通りにいかないとわかっていますから。そう思っていれば、すごく気楽です」
一人暮らし歴は20年以上。普段心がけているのは、外に出ること。句会の他に、お寺へ坐禅をしに行ったり、ジャズバーや繁華街の飲み屋に通ったり、競馬場や競艇場に出掛けたり(!)しているそう。
「いろんな体験をしてみたいというウレシガリ。句作の刺激にもなりますし」
立秋の競艇場へ水を見に
俳句を始めて35年余り。今春、内田さんの句と弟で写真家の森山大道さんの写真を組み合わせた『鉄砲百合の射程距離』(大竹昭子編、月曜社)が刊行されました。本人は、そんなことない、と言いますが、今や俳壇以外からも注目される俳人です。
「マイノリティであることは勲章。一人で好きにしたいの」という、一本筋の通った暮らし。内田さんの俳句には、それが余さず生かされているのです。
うちだ・みさ
1936(昭和11)年、兵庫県生まれ。父の転勤に伴い各地を転々とし、京都の高校を卒業。東京で演劇を学んだ後、大阪で俳優、アナウンサー、コピーライターとして働く。83年、坪内稔典氏の著作に触発され、俳句を始める。85年、「船団の会」入会。その句法は「演じる俳句」(坪内氏)と評される。句集に『浦島草』『誕生日』『魚眼石』『内田美紗句集 現代俳句文庫 58』。今春、内田さんの俳句と森山大道さんの写真を作家の大竹昭子さんが編んだ俳句写真集『鉄砲百合の射程距離』が月曜社から刊行された。
取材・文=五十嵐香奈(ハルメク編集部)撮影=キッチンミノル
※この記事は「ハルメク」2017年10月号に掲載された『知恵ある人を訪ねて 俳人 内田美紗さん』を再編集、掲載しています。