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- ホスピスケア先駆者の看護師 石垣靖子さん
日本のホスピス・緩和ケアの発展に携わってきた、看護師・石垣康子さん。現場を退いた今も「医療の本質はやさしさ」と看護師に伝えています。
80年代からホスピスケアを担ってきた“導師”のような存在
札幌から特急電車で30分ほどの北海道美唄市。
講演会が開かれる会場に、さっそうと現れたのは、白髪を上品にまとめ、美しいペールピンクのジャケットを羽織った石垣靖子さんです。石垣さんは、ホスピス・緩和ケアが日本で広がり始めた80年代から、東札幌病院の看護部長として患者さん一人一人に寄り添う一方で、副院長も担ってきた看護師です。
この日、「看護における倫理」というテーマの講演会を聴きに集まったのは、美唄市で働く看護師約100名。この地域に限らず、全国の看護師にとっても石垣さんは〝導師〟のような存在です。
「倫理というと難しく感じるかもしれませんが、患者さんを一人の人間として尊重するということなのです。人それぞれ名前を持っていて、今まで生きてきた歴史と価値観がありましょう? 私たちの役割はその人の人生を知り、意思や希望を汲み取り、日常生活を整える手伝いをすることなのです。死が迫っている人でもペイシェント(患者)としてではなく、パーソンとして遇するのです」と、一人一人の目を見ながら、医療者が持つべき価値観について語りかけます。
講演会を主催した、北海道せき損センターの楢舘民恵さんは、自身が看護部長に就いたときにまず、石垣さんの話をスタッフが聴く機会をつくりたいと考えたそうです。
「先生のお話は心が清らかになると言いますか、日々の業務に追われる中でおろそかになりがちな、『人を大事にする』という看護の初心に帰れるんです」
石垣さんは詩を朗読するような語り口で、患者さんとどのように関わるべきかを事例とともに紐解いていきます。話している間は一度も座らない、およそ3時間の講演会。「必要とされる限り、どこにでも行きます」という思いから、講演会のために全国を行脚しています。
「理念は壁にかけておくものではなく、実践していくもの。『思いやり』や、『やさしさ』は、大事だと誰しもわかることですが、頭で考えてもできるものじゃないでしょう。だから、相手の立場に身を置く訓練を積まないと。倫理の勉強を続けて30年ですが、私だって今もビギナー。自分が権威だと思いたくないし、そう思ったら医療者としておしまいでしょうね」
死と向き合えない日々を経て迎えた、人生の転換点
「自分で生計を立てられるようにしたい」と、21歳で看護師になった石垣さん。北海道大学の付属病院の外科で働いていましたが、死に直面する場に立ち会うと恐怖心から体が震え出し、その場から逃げ出したい衝動に駆られていたそう。火事の現場や真っ赤な夕焼けを見たときにも、なぜか同じような恐怖心に襲われたといいます。
「私は弱虫で、ナースとして失格だと何度も思っていましたね」
理由がわからないままだった石垣さんは、40代のはじめに「人生脚本の書き直し」という、ワークショップを受けます。そこで「10歳までの出来事で最も恐ろしかったことは?」と質問され、記憶の奥底から飛び出したのは、6歳のときの故郷・樺太からの引き揚げ体験でした。
「ソ連の樺太攻撃の直前、小さな漁船に乗って故郷をあとにしました。ふと目を覚ますと、辺り一面は火の海。空も島も、周りの海も炎に包まれていました」
「これが、死ぬってことなのだ」と子どもながらに思った当時のことを、鮮明に思い出しました。「その体験を書きながら、封印していた自分がいじらしくて、愛おしくて泣けて泣けてしょうがなくて。『6歳の頃の靖子ちゃん、かわいそうだったね』と、自分に言い聞かせました」
死の恐怖に直面した自らの記憶と向き合い、「ナースとして真剣に人の生き死にに寄り添いたい」と考えるようになった石垣さん。ホスピス・緩和ケアや臨床倫理に取り組む、先進的な東札幌病院に移りました。そして「医療の本質はやさしさ」という理念のもと、出会いと別れを積み重ねた実践が、今の活動に続いています。とはいえ、自分の死に対しての恐怖心は消えたわけではないと言います。
「長くホスピスケアに携わっていますが、達観したわけではないの。死は百人百様、誰にとっても初めての体験でしょう? 体がなくなるのは怖いことですし、私、暗闇が嫌いなの。お日様が欲しい。死ぬとき人は暗闇の中に行くと空海は言うけれど、臨死体験などを聞くと光の中に行ったと言いますし、実際はどうなんでしょうね」
相手の立場に身を置ける人は、自分のことを肯定できる人
超高齢社会の今、「現場での悩みは増えている」と石垣さん。安全性や効率を重視して患者さんを拘束する「抑制」の問題や、高齢者や精神障害者の虐待件数が過去最多になったことを挙げます。
「原因の一つは、職員が大事にされていないのだと思います。大事にされていたら、どうしてそんなことをしましょうか」
相手の立場に身を置き、尊重できる人間になるためには、「まずは自分が大事だという肯定感が大切」と石垣さん。胸に刻むのは、「You matter because you are you(あなたはあなたであるから大事なのです)」という、ホスピス運動の創始者シシリー・ソンダースの言葉です。
「がんばっても、他人にはなれないのだから。そこは腹をくくって自分を認めなきゃ。そうすると、自分が愛おしくなる。一日一回は『がんばったね』と自分に言ってね。自己肯定の声を言い聞かせると、そうだそうだって、脳が勝手に認めるの」
石垣さんは4年前に最愛の夫を肺がんで亡くし、一人暮らしをしています。仕事場でもある部屋には、大好きな猫のグッズや花が飾られており、日頃から暮らしを大切に整えていることがうかがえます。「家を空けても、花は絶やさないの」と話す石垣さんの手には、可憐な花のネイルアートも施されています。
「命は桜のように儚いもの。だから、生きているだけでも愛。今、ここに存在するだけでも尊いことなのです」
多くの死に行く人を看てきた石垣さんですが、「やっぱり家族は特別ね」と、夫が亡くなる前のことを振り返ります。
「『いい人生だった。ありがとう。もう一度生まれ変わっても同じ人生を歩みたい』と人生を肯定する彼の言葉に、生きる力が湧きました。私はずっと夫や多くの患者さんに寄り添ってきたつもりでしたが、そのとき気付いたんです。寄り添っていただいていたのは、私だったのだと」
いしがき・やすこ
1938(昭和13)年、樺太生まれ。北海道大学医学部附属病院(現・北海道大学病院)で、臨床看護師、北大看護学校教務主任、北大病院看護部副部長を経験し、その後ホスピス・緩和ケアを標榜する医療法人東札幌病院で臨床に携わる。「医療の本質はやさしさ」の理念のもと、患者・家族そしてスタッフとともに、ホスピス・緩和ケアおよび臨床倫理について学び続けてきた。現在は北海道医療大学名誉教授。日本看護管理学会監事。1992年、エイボン女性大賞。2013年、日本がん看護学会学会賞受賞、著書に、『ホスピスのこころ:最期まで人間らしく生きるために』(大和書房刊)など。"
取材・文=竹上久恵(ハルメク編集部)撮影=キッチンミノル
※この記事は、「ハルメク」2017年12月号に掲載された『知恵ある人を訪ねて 石垣靖子さん』を再編集し、掲載しています。
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