随筆家・山本ふみこの「だから、好きな先輩」35

活動家、ウィニー・マンデラ「目標を見失わない姿勢」

公開日:2023.10.14

「ハルメク」でエッセイ講座を担当する随筆家・山本ふみこさんが、心に残った先輩女性を紹介する連載企画。今回は、活動家の「ウィニー・マンデラ」さん。ウィニーはネルソン・マンデラの妻で、抑圧の中でも自分の目標を見失わない志を持った女性です。

活動家、ウィニー・マンデラ「目標を見失わない姿勢」
イラスト=サイトウマサミツ

好きな先輩「ウィニー・マンデラ」さん

1936-2018年 活動家
南アフリカ生まれ。58年、反アパルトヘイト運動を率いるネルソン・マンデラと結婚。27年間投獄されていた夫を支え、自身も運動を牽引。90年に夫が釈放され4年後大統領となるも、96年に離婚。

「マイノリティ」問題を学び始めた日

「マイノリティ」問題を学び始めた日

ウィニー・マンデラ。

その名前は、日本人にとっては馴染みの薄いものかもしれません。けれども、ネルソン・マンデラの名は、聞いたことがあるでしょう。彼は南アフリカ共和国(以下、南ア)の人種隔離政策(アパルトヘイト)を廃止させた人物です。

ウィニーはネルソンの妻だった女であり、自身も反アパルトヘイトの闘士であります。

アパルトヘイトにわたしが関心を持ったのは、30歳のとき。当時、同い年のジャーナリストの友人が南アに通って、取材をつづけていたからです。

会うたびに熱っぽく語って聞かせてくれる友人を持たなかったら、わたしはいまも、アパルトヘイトという名の人種差別について、それに対する南ア黒人の怒りと悲しみ、たたかう姿を見逃していたかもしれません。

このときわたしは「マイノリティ(社会的少数者)」の問題について学びはじめていたのではなかったでしょうか。

アパルトヘイトの特殊性は、差別が国家の方針として行われたところです。

それは人口の圧倒的多数を占める黒人を抑圧、隔離する仕組みでした(「マイノリティ」とは数の問題ではなく、社会において権利や機会を制限されることを指すわけです)。

ウィニー・マンデラの生涯はアパルトヘイトとのたたかいそのものでした。活動禁止令によってがんじがらめにされながら長い歳月を過ごし、何度も逮捕され、投獄時には尋問と拷問が待ちかまえていました。

結婚し、ふたりの子どもをもうけた夫のネルソンも、反アパルトヘイト運動により反逆罪に問われ、27年ものあいだ刑務所に収容されていたため、ともに暮らしたのは6年余りだったのです。

絶望やあきらめはなく、目標を見失わない姿

絶望やあきらめはなく、目標を見失わない姿

2018年4月に死去するまで活動をつづけたウィニーは、釈放後に南ア第8代大統領となった(1994年)夫が求めた、白人と黒人の和解と共生を受け容れることができませんでした。やがてふたりは離婚することになりますが、つながりの途切れることはなかったそうです。

「直面する問題があまりにも大きいので、わたし個人がどうなるか、などとは考えていられません」

絶望やあきらめもなく、目標を見失わないウィニーの姿勢は、このところやけにわたしにもの思いをさせています。

随筆家:山本ふみこ(やまもと・ふみこ)

随筆家:山本ふみこ(やまもと・ふみこ)
撮影=安部まゆみ

1958(昭和33)年、北海道生まれ。出版社勤務を経て独立。ハルメク365では、ラジオエッセイのほか、動画「おしゃべりな本棚」、エッセイ講座の講師として活躍。

※この記事は雑誌「ハルメク」2019年4月号を再編集し、掲載しています。
 

山本ふみこ

出版社勤務を経て独立。特技は何気ない日々の中に面白みを見つけること。雑誌「ハルメク」の連載やエッセー講座でも活躍。

マイページに保存

\ この記事をみんなに伝えよう /

いまあなたにおすすめ

注目の記事 注目の記事