夫との結婚が転機でした

12回の転勤人生(12)藤井寺市・岩国市そして定年

公開日:2019.02.24

北は福島県、南は福岡県まで。夫の転勤に伴って各地へお引っ越し。その回数はなんと12回! 各地での思い出や、遭遇したエピソード、今も続く仲間との出会いなどを振り返ります。今回は藤井寺市と岩国市のお話です。

散歩した天皇陵

今度の社宅は、以前近鉄球場があった近くでした。周辺には女子短期大学があり、古い街並みと若い活気が混ざっていました。駅前を離れると静かな住宅街になります。古い歴史を感じさせる市でひっそりと木々に囲まれた天皇陵古墳がありました。陵は厳かにそこに存在している感じでした。宮内庁の管轄で近づくことはできませんが周辺をよく散歩しました。

兵児帯で作ったワンピースをもらう

ある時、ギャラリーできものリメイクの催しがありました。興味があり見に出かけSさんに出会いました。作品を出展しており、その感性と腕前に素晴らしさを感じ、意気投合しました。その後 折に触れ私に似合いそうな着物柄を選んで洋服に仕立て直して届けてくれました。

兵児帯で作ったワンピースは一点ものです。帯から洋服が出来るなんてびっくりです。中古の着物を手に入れ、ほどき、洗い張りをしてアイロンがけしてから縫うのです。大変な手間で私には無理です。できません。

岩国市へ転勤 定年後を考える

岩国
岩国

 

2004年11月に夫は57歳になり、三年後に誕生日を迎えると定年でした。そうなると社宅を出なければならないので、家が必要になります。まだもう一回転勤があるとは思いましたが、この頃から家を買うことを考え始めました。

2005年1月頃に新大阪駅近くに新築マンションが建つという情報を入手したので、モデルルームを見に行き購入を決めました。ずっと古い社宅を転々としていたのでモデルルームのきれいさにうっとりしたのです。他の物件を見ることもなく即決でした。

2月の終わりに、予期していた通り山口県岩国市への転勤辞令が出ました。マンションを購入していましたし、最後の転勤と思い相談の上、夫は単身赴任することにしました。今まで家の事などしてこなかった夫。今後私に万一のことがあっても家事ができるようになれば、という意図もありました。三年間の期限付きです。

新大阪で、定年後の暮らしを見据えて

思い起こせば、子どもが小さい時には面倒でも転校手続きをして連れて引っ越しました。家庭の基本は夫婦にあると思うからです。大学に入学後、いずれ子は親を超えて自立するので、下宿させました。

私は新大阪に残り、定年後の生活がスムーズにいくように家の中を整えました。何回もの転勤で傷付いた家具の買い替えをし、高齢になってからの火の元の安全を考え、ガス器具から炎の出ない電磁調理器に変えました。

岩国は幸い新幹線で乗り換えなく行き来出来る距離だったので好都合でした。2か月ごとくらいに夫を訪ね、行き届かない掃除をしたり食料品を備蓄したりします。せっかくの機会なので観光地巡りもしました。木造のアーチ橋の錦帯橋を渡ったり、山陰の小京都と呼ばれる城下町の風情が残っている津和野にも行きました。白壁の塀で囲まれた家にはミカンや八朔がたわわに実っていました。掘割には錦鯉がたくさん泳いでいる情緒ある町でした。

そしていよいよ定年です。3年間の転勤が終わった夫と、定年後の暮らしが始まります。
 

のりたの母

倉敷市生まれ。23歳で結婚し夫の転勤に伴い、引っ越すこと12回! 住まいを転々とする中でも、習い事をしながら趣味を広げました。そして、かけがえのない友にも出会うのです。 転勤順に思い出をたどってみます。

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