初心者でも大丈夫! 韓国の旅(釜山へ行こう編)
2021.07.102022年04月01日
2度の上海暮らしから得たもの
近くて遠かった中国が本当に近くなった
夫の仕事の関係で中国へ行くことがなければ、隣国とはいえ、私にとって中国は近くて遠い国だったと思います。2回の上海暮らしは、とても貴重な経験となりました。
ノスタルジックな上海
一回目の上海(1994年~1999年)
まだまだ開発初期の頃。毎日どこかが一瞬のうちに壊され、あっという間に新しいビルやマンションが建ってしまうというミラクルのような日々でした。
昨日あったはずの建物、道が次の日にには跡形もなくなっている、タクシーに乗って目的地につくまで、ぐるぐる遠回りされることが日常茶飯事でした。高速道路もその頃から建設され始めました。
里弄(リーロン・日本の長屋のような建物)が街のあちこちに存在し、その細い道を洗濯物が所狭しと干されているおなじみの光景は圧巻そのものでした。
その頃の中国人にとって、パジャマは就寝時に着るもの、というより部屋着=近所のお出かけ着。可愛い花柄のパジャマで、普通に街のスーパーで買い物をしているおばさんたちがたくさん見かけられました。
一般家庭では、自宅にクーラーがついている家は少なく、真夏の暑い夜には上半身裸のおじさんたちが、自宅の前の道路に長椅子を置いて寝ている姿もごく普通でした。
そんなちょっとクスリ! とほほ笑んでしまう日常が、街のあちこちに見られたのが懐かしく思い出されます。暮らしていくのに不自由はたくさんありましたが、中国の人々は、皆のどかで、温かく私たち日本人を迎え入れてくれたように感じました。
最先端の街 上海
2回目の上海(2016年~2019年)
上海万博を境に、上海はとてつもないスピードで進化したようでした。
懐かしい上海を心描いていた私は、その変わりように、ただただ驚くばかりでした。もはや、東京、大阪を超える立派なビル群、マンション群。1路線だった地下鉄も16路線に増え、車を使うしかなかった昔に比べ、どこへ行くのも地下鉄が便利な街に変わっていました。
日常生活も、東京で暮らすよりも便利なことがたくさんありました。一番感心したのは、携帯さえ持っていればお財布は必要なく、道端の老人がやっているような露天商でさえも携帯決済ができるほど、老若男女、ほとんどの中国人が携帯を使いこなしていました。
街のショップ、レストランでも、店員さんは英語を使いこなし、中国語を話せなくてもまったく困りません。上海の人々はインターナショナル化が進み、若者の多くはおしゃれで、セレブ感もたっぷり!
ブランドに身をつつみ、高級そうなゴルフセットとともに、外車でさっそうとゴルフ練習場にやってくる親子は、ほぼ上海人でした(笑)。また外資系ホテルのアフタヌーンティーを楽しんでいるのも、多くは上海マダムたち!
そんな便利なはずの上海でしたが、昔の上海が懐かしく居心地が良かったように思えたのはなぜでしょうか?
海外で暮らすということ
2度の上海駐在は、私の人生に大きく影響を与えてくれた経験でした。日本の生活は便利で快適で安全で、そして日本人ならではの考え方や習慣は、当然のようにしっくりくるものですが、あらためて外から日本や日本の生活を見直してみると、日本と中国のそれぞれの良い所、悪い所が感じられるようになりました。
おそらく、欧米や他のアジアの国々に暮らした経験がある方は、同じように感じられているのでは……と思います。
私はアジア圏しか知りませんが、そこで知り合った外国人、また日本人でも遠くのさまざまな国を転々としている方と知り合うことも多く、そんな方たちは、皆一様に前向きでパワフルで、そして明るく素敵でした。
今は、コロナや、ヨーロッパの政情不安などで、気軽に海外を飛び回る状況には残念ながらありませんが、機会があれば、まだ知らない世界を見てみたい! 体験してみたい! 欲は尽きません。
60を過ぎた私が、いくつになっても輝いていたい! と思える原動力は、そんな方々からお裾分けしてもらったのかもしれませんね!
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