あれもやりたい、これもやりたい!

80代、まだまだ多忙-アメリカでの刺激的な日々

公開日:2018.08.27

更新日:2018.09.07

80代に入ってからも趣味・仕事に奔走する日々。アクティブになったのは、アメリカ旅行で性格が様変わりしたことがきかっけでした。それまでの自分とそれからの自分。そして今。40年前のアメリカでの異文化体験を回顧します。

ホームステイ先の娘さんたちと
        ホームステイ先の娘さんたちと。 

奥様使節入選まで

私の性格まで変え、その後の私の人生にも大きな影響を与えたアメリカ滞在。行くまでの経緯と、そこでどんなことをしたかを詳しく紹介します。

41歳になって子宮全摘手術をしました。抜糸後ベッドの上で書いた奥様使節(外資系企業ジョンソンが企画した、主婦や教師をアメリカに招くプロジェクト)応募課題作文「私と地域社会」を、締切り消印ギリギリに家人に投函してもらいました。その後20名に絞られ、「2分間の自己紹介」をという面接に。消極的で平凡な主婦にすぎない私は駄目だと思いましたが、実は面接後に設けられたビュッフェ形式の昼食が、本当の面接だったのだそうです。

次の日「奥様使節入選」と速達が届きました。家庭科の先生6名と主婦9名の一人として、アメリカ本社を中心とした2週間の海外旅行に行けることになったのです。飛び上がらんばかりの喜びでした。

今のように自由に海外旅行ができる時代ではなく、結団式で旅行社がパスポート申請等の手続きに来てくれました。やっとその日に、同居の義父母に2週間のアメリカ旅行の許可を願いました。その日、というのは、反対されることをわかっていたので、既成事実を作ってという狙いだったからです。(その前に主人と相談して「良い」と決めていました)。夫と子どもを置いて! と言われましたが、息子二人は高校生でしたし、主人は陰で応援してくれました(やっとその日、というのは、反対されることをわかっていたので、既成事実を作ってという狙いだったからです。その前に主人と相談して「そのタイミングが良い」と決めていました)。

アメリカ・ラシーンで7泊と5都市へ

嬉しいパプニングを経て「奥様使節」を企画したジョンソン社の本社があるアメリカ・ラシーンへ。5~6人で街を散策にと出た所で「高校生ならそこに動物園があるよ」と声をかけられ、24~44歳の主婦たちは「高校生ですって!」と大喜びしました。

本社と研究所、映画鑑賞、メディカルセンター、社員の女性宅、中学校、キャンプキンダー、老人ホーム、ショッピングセンター等々の見学をして、ホームエコノミストと夕食会、社員の家庭に分宿等々。

ミルウオーキーにも行きました。ゴルフカントリークラブで昼食後、パイオニア村とカバードブリッジ訪問、夜はホームエコノミストと夕食会やショッピング。

1泊後ワシントンへ。市内見学を2日間、次いでニューヨークへ。市内見学、ホームエコノミストと夕食会。ミュージカル「オズの魔法使い」鑑賞。移動中に「今1ドルが189円になりました」と情報が入り、みんなで歓声を上げました。

サンフランシスコとハワイでは、2泊して市内や大学見学などをした後、帰国。主婦であることを忘れて貪欲にアメリカを学びました。

 

ロブスター、ピザ、ステーキ……食べ物の大きいことに驚きました
ロブスター、ピザ、ステーキ……食べ物の大きいことに驚きました。

ピザ

 

 

ラシーンの街路樹が、原種の林檎でした
ラシーンの街路樹が、原種の林檎でした。

 

リサイクルセンター
リサイクルセンター。

 

ジョンソン本社内。有名建築家によるもの
ジョンソン本社内。有名建築家によるもの。

 

老人ホームで日本の歌を披露。歌は、私達が使節のテーマソングにしていた「花」
老人ホームで日本の歌を披露。歌は、私達が使節のテーマソングにしていた「花」。

人生観が変化

印象に残っているのは「老人ホームでお年寄りが生き生きとしていたこと」「リサイクルセンターがあって売り上げが地域の福祉に役立てられていること」「ボランティアが活動していること」でした。触発されて帰国後すぐ、YWCA(女性の社会参画や、人権や健康、環境が守られる世界を推進するNGO)の、海外からの留学生の助けをする「留学生の母親運動」に参加しました。みな様々に活躍の場を拡げました。

それまでの私は「海外旅行も宝石も一生縁のないもの」と思っていました。しかしこの経験が背中をポンと押し出してくれ、チャンスにも恵まれて結婚前の職場の同じ机に再就職という大転機をもたらしてくれました。

どんな所にも女性が進出し、仕事に自信を持って堂々と活躍している姿は魅力的で目を開かされました。久しぶりでダンスに興じたりお年寄りと歌ったり、食前酒で飲んでみたらお酒に強いことがわかったのも楽しい思い出です。

名実ともに大きな国アメリカ、すべてが夢のようでしたが、その後40年を経て今の私は大変身、わかっていても手をあげられなかった女の子は「いつも元気ね! にこにこして!」と、頼られる存在になっていました。

大胆なところが孫に遺伝!?

女孫の1人が大学2年で休学してニューヨークへ語学留学しました。1年後ニューヨークの大学へ行きたいと言い出し、自分でその大学へ電話で問い合わせてTOEICなど、幾つかの試験点数や条件をパスし、留学ビザの切れないうちにと3か月後に再渡米。ニューヨークの大学生です。その父親である長男は「意外に芯が強く大胆な所がある。おふくろに似ている」と言います???

再就職して定年まで勤めた後も、10回続いた「ジョンソン奥様使節の会」(同窓会のようなもので、年に何回か講師を招いて講演会、ゆかりのある場所へ研修旅行、コンサート、バザー等々を実施)や、モニターの仲間と作った会、同窓会等、今も会報編集や委員会活動で、手帳の空欄がどんどん埋まってきてしまいます。「誠実」という言葉が好きな私はこれからも何かに挑戦していくのでしょう。

今もパソコンのゲームを作ってみたいとか、まだまだやりたいことがあって困るほど。次はこれまでの海外旅行やパソコンに関する話をしたいと思っております。

中井 淑子

東京で生まれ育ち、田舎のある方が羨ましいです。恥ずかしがり屋、赤面症の目立ちたくない女の子でした。しかしアメリカを訪れたことをきっかけに積極性が花開き、今も趣味や仕事に多忙な毎日。これからやってみたいこともたくさん。自分を変えた出来事や趣味のことを綴っていく予定です。

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