いい人生はいい人間関係で築かれます

普通に暮らせるまで支えてくれた―こと・物・そして―

公開日:2019.05.17

40代でC型肝炎が発覚。22年間の闘病と新薬での完治後、明るい未来へ心を弾ませていた私に脳出血という次なる病がー。その時の体の状況や家族の支えなどを振り返ります。今回は最終回! 現在のリハビリと周りの人たちへの感謝をつづります。

他人事とは思えない出来事

つい先程、私をおののかせる訃報が入りました。2016年秋、ちょうど私と同じころ、脳梗塞に倒れ、毎日奥様と近所を散歩して二人三脚でリハビリに励んでおられた、私より少し若い男性が、奥様が買い物に出かけてちょっと留守にしている間に、自室のベッドの上で亡くなられていたとのこと。

脳出血であれ、脳梗塞であれ、脳血管系の病気に倒れた者は誰しも再発を恐れながら、家族の協力のもと、後遺症と向き合い、精いっぱい生きようと頑張っているのですが……。心からのご冥福と、残された奥様が自責の念にとらわれたりされないよう祈るばかりです。

ハルトモライターデビュー

何の前触れもなく突然の脳出血に襲われてから、間もなく2年半を迎えようとしています。

長い間、自分の身に起きていることがどういうことなのか、これからどうなっていくのかさえも考えられず、ただ、水の中をフワフワと漂っているような気分で、療法士さんの指示のままに、自分でも信じられないほどの素直さで、楽しくリハビリに取り組んでいました。

自分を取り戻したい! 自分の意志を持って、自分らしく生きたい! と強く思うようになったのは、2017年の秋ごろ―つまり発症から1年たったころでした。

2017年2月、退院して自宅での暮らしに戻った私は要介護2の状態でした。半年後、通院リハビリを卒業して、週2回の訪問リハビリと自主トレざんまいの日々。それらが効果を上げ、その年の秋の介護認定では要支援2になりました。

日常生活のほとんどすべての場面で、家族の手を借りることはなくなっていました。同じ家に居ながら「ちょっと来てください」と、メールで夫を呼んだり、「おとうさーん」と大声で助けを求めたりすることもすっかりなくなっていました。

が、聞こえてくる言葉や見るもの全てにリアリティが感じられず、水の中を漂うような感覚からは、まだ抜け出せないままでいました。自分でありながら自分でないような、なんとももどかしい感覚でした。

そんな感覚から抜け出すきっかけになったのは、2018年3月28日に届いたハルメクからのメール、ハルメクWEB読者ライター募集のお知らせでした。もともと文章を書くことが好きだった私は、これに応募。病気のことを思い出しながら書きつづる中で、思考が鮮明になるのではないかと思ったのです。

この思惑は大当たりでした。記事を書くために、過去の記録やメールを何度も読み返したりするうちに、消えていた記憶がどんどんよみがえってきました。文章にするために曖昧だった言葉の意味を調べたり、読み手に伝わりやすいようにと推敲を繰り返したりする内に、思考がどんどん鮮明になっていったのです。

私を助けてくれたさまざまな物たち

普通に暮らせるようになるために、たくさんの物にも助けられました。

洗面所用の椅子

退院するにあたってまず購入したのは、洗面所用の椅子でした。どうにか500m程度歩けるようになって退院したものの、麻痺した右半身が重くてバランスをとるのが難しく、体幹もしっかりしないために、じっと立っていることは困難でした。歯磨きするのも、入浴のための着替えも、立ったままではできませんでした。今でも、着替えはこの椅子なしにはできません。

ヨガマット

続いて購入したのは、ヨガマット。訪問リハビリも、自主トレも、これさえあれば、フローリングの床の上でも、どこも痛くならずに快適に行うことができるので、今も活用しています。

これらは、介護保険の対象とはならず、自費で購入。入院して1か月後には、打ち間違いは多いもののスマートフォンを自由に使いこなせるようになっていたので、ネットショッピングを活用しました。
 

入浴用の椅子

ケアーマネージャーさんの紹介で、初めて介護保険対象で購入できた入浴用の椅子。右半身麻痺の体は右のお尻にベアリングが入っているような感じで座りが悪く、この腰回りを包み込む形状が安心感を与えてくれました。又、回転式になっているので、立ったり座ったりの回数が減り、入浴が、ずいぶん楽になりました。

輪投げ お手玉 スマートフォン入れ

孫の遊び用にと作っていた輪投げも、自主トレに役立ちました。輪投げの台をダイニングのカウンターの上に置き、それに背を向けた形で椅子に座り、右手に輪を持って腕を大きく回して入れる――。肩の可動域が広がりました。

お手玉も退院してすぐの頃、毎日キャッチボールのように使いました。椅子に座ったまま下手投げしたり、上手投げしたり。麻痺している右腕を前に降り出し、感覚のない指をタイミングよく離す訓練になりました。何しろ、ゴミ箱にゴミを投げ入れることさえできなかったのですから。

白い皮のポーチは、スマートフォン入れ。歩数アプリを入れて、一日中斜め掛けにして歩数を記録。最初は、ひきこもらない生活の目安として1日500歩歩くことが目標でした。今も欠かさず着けていて、1日5000歩を目標にできるまでになりました。ネットショップで探してみても、使い勝手が良さそうなものがなかったので、DIYショップで、夫が皮の端切れを買ってきて手作りしてくれた、私のお気に入りです。
 

おまけでもらった手提げ袋

これは、通販で何かを買った時についてきたオマケの袋。これが優れ物。手に荷物を持って階段を上り下りすることが難しいので、何でもかんでもこの袋に入れ、健常側の左肩にかけて持ち運びます。入浴の際パジャマを入れて運ぶのに最適な大きさ。しかも、綿100%なので、洗濯ができ、清潔さを保てます。

夫が、ヒノキの間伐材で作ったポールハンガーに、スカーフ、ネックレスなどと共に掛けて、リビング横のサンルームに置いています。

いい人生はいい人間関係で築かれます

これは、ハーバード大学で75年間にわたって続けられてきた成人発達研究の、4代目の責任者 ロバート・ウォールディンガー教授の、スーパープレゼンテーション「テッド」での締めくくりの言葉です。この2年半を振り返っただけでも、私はこのことに深くうなずけます。

救急車で運ばれた日、「手術はしなくていい」と判断し、命を救ってくださった脳外科の先生。誠実に根気強くリハビリテーションに取り組んでくださった言語聴覚士さんや、療法士さんたち。「介護保険につながるまでは、医療保険でのリハビリテーションを続けますからね」と言って下さったリハビリテーション科の先生。私のニーズに応じて、デイサービスや通所リハビリテーションにつなげてくださったケアーマネージャーさん、訪問リハビリテーションの療法士さん。なんと多くの善意に私は支えられてきたのでしょうか。

そして、私らしく普通に暮らせるまで、思ったように言葉が出なくても受け入れてくれた英語サークルの友人たち、まともに歩けない私と一緒に例年通りの旅行を続けてくれた旧友たち。「ゆっくりでいいから、できることでいいから」と、ボランティアへの復帰を心待ちにしていてくれた仲間たち。

病前と同じように我が家を訪れ、夫や息子が作る食事を一緒に囲んでくれた友達。ハルメクWEBの記事を読み、感想を寄せてくれた兄弟たち。

そして、どんなときにも頼りにしていいんだと思わせてくれた夫、娘たち、息子。

私も言いたい「いい人生はいい人間関係で築かれます」と。

みんなからもらった手紙

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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