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2021.11.102022年02月17日
介護が身近に感じる世代の女性にぜひ読んでほしい
作者はケアマネ、傑作の“介護文学”『ミシンと金魚』
コラムニストの矢部万紀子さん(61歳)による、月2回のカルチャー連載です。今回はケアマネージャーとしても働く著者・永井みみさんの『ミシンと金魚』を取り上げます。特に親の介護や老いをリアルに感じ始めている方に、手に取ってほしい作品です。
介護がテーマの文学「介護文学」が来る
「これからは介護文学が来るよ」。文芸評論家の斎藤美奈子さんからそう聞いたのは2014年でした。坂口恭平さんの『徘徊タクシー』(新潮社刊)が面白かった、これから介護は、文学の潮流になる。そんな話だったと記憶しています。
「介護文学」の厳密な定義は聞きませんでした。でも「介護というのは、文学に昇華できる」ということは、肌感覚で理解できました。自分にも80代に差し掛かる両親がいて、その衰えを実感しては「老いとは、人とは、何だろう」などと考えることが増えていたからです。
それから8年。両親は健在ながら衰えは進み、娘として「介護」と関わることも増えてきました。そんな時、新聞広告で知ったのが『ミシンと金魚』(集英社刊)。<認知症を患う“あたし”が語り始める、壮絶な「女の一生」>。そんなふうに紹介されていました。1965年生まれの永井みみさんがケアマネージャーとして働きながら書き、第45回すばる文学賞を受賞した作品だとありました。すぐに読みました。介護文学の傑作だ、と思いました。
ケアマネージャーの著者が描く認知症患者「カケイさん」
主人公はカケイさんです。冒頭は病院の待合室。雑誌の「コロナ禍でミュージカル観客激減」という記事を読んだカケイさんは、昔に見た見世物小屋のことなどを語り出します。これは彼女の頭の中の言葉かな、と思っていると、「ちょっとしずかにしましょうか。と、みっちゃんが言った」という記述が出てきます。みっちゃんは、デイサービス「ほほえみ」のヘルパーです。カケイさんは頭の中で思うことを、声に出しているようです。
担当医は抗躁剤を処方しようとします。だが、みっちゃんは断ります。以前にその薬を処方された時、カケイさんはベッドと壁の隙間に挟まれて出られなくなった、それは「ご家族様対応」の日だったが十数時間放置され、みっちゃんが到着した時、カケイさんは全身が軟便にまみれていた、薬の説明書の注意事項に「下痢」とあったが、髪の毛に便がつくと拭いても洗っても何日も匂いがとれないのだ。そこまで一気に語ってからの決め台詞。
「先生。カケイさんが先生のお母さまだったとして、それでも先生はおなじ薬を処方されますか?」。
ここまでで、作者の立ち位置がわかりました。まずは、介護職の知見をいかすこと。髪の毛の匂いのことなど、素人が全く知らないことで、小説全体に迫力を与えます。次にヘルパーという仕事をしている人が、誇り高く働いている姿を描くこと。みっちゃんの正々堂々とした意見開陳には、胸がすくような気持ちになりました。
介護の現場はいつも人手不足だと聞きます。大変な割に報われないのが原因だと。それは賃金の問題もあるでしょうが、利用者との関係も理由になっているのかな、と想像していました。だから、永井みみさんが「みっちゃん」のようなヘルパーを描いていることに感動しました。報酬の問題がありながら、利用者の幸せを願って働いている人がいる、介護はそれにふさわしい仕事である。そういう永井みみさんに、胸が熱くなりました。
もう一つ、作者の立ち位置ではっきりしているのが、認知症の高齢者を尊厳を持って見ているということです。「介護文学」と斎藤さんが語っていた『徘徊タクシー』も、「徘徊=迷惑」ととらえず、認知症患者の頭の中には確かな地図があるのだと捉える作品でした。
『ミシンと金魚』のカケイさんは、何度も同じことを聞いたりします。が、一方で周りがしっかり見えているのです。皮肉な視点も負けん気も、全く失っていません。その上、相手の様子を見ながらうまく立ち回ろうともします。もちろん小説ですから、誇張もあるでしょう。が、カケイさんを「困った人」でなく「長い人生を生きてきた女性」として描いている人がケアマネでもあるという事実が、宝物のように感じられました。
女性同士の連帯とやさしさ、そしていたわり
この小説で私がいちばん心ひかれたのは、シスターフッドがとても温かく描かれているところです。
冒頭のシーン、病院帰りにみっちゃんは、「内緒ですよ」とカケイさんにジュースを買います。そこでみっちゃんは、夫との離婚調停のことを語ります。夫は子どもを置いていけと言うが、それは慰謝料を払いたくないからで、このままだと裁判になるが、弁護士を雇うお金がないので子どもを取られてしまう、と。
カケイさんは、一言、こう言います。「チャンスを待て」。何か言ってやりたくて、かっこいいことを言おうとしたら、こうなった。それがカケイさんの自己分析です。みっちゃんは、カケイさんの手をとって泣きます。
ステキなシスターフッドのシーンでした。女性は女性同士、それだけで通じ合うものがあります。なぜなら、「男性でない」からです。世の中で羽振りを利かせているのは、やっぱり男性だから、女性はいろいろ大変なのです。だから、わかりあえることがたくさんあります。介護者と介護される側の連帯。「介護」を入口に、こんな温かなシーンに出会えるとは。「介護文学」とは、なんて豊かなものでしょうか。
カケイさんの人生は、とても厳しいものです。毎日薪で殴る継母に育てられ、小学校にはほとんど行けず、字は新聞で覚えました。唯一優しかった祖母から「女は手に職を」と言われ、ミシンで生計を立てるようになります。腕は抜群なのに、少ない手間賃。それは親玉にだまされていたのだと、長く気付かずにいました。
カケイさんの息子の妻、兄の愛人だった女性も登場します。お上品とは無縁の2人ですが、カケイさんとの関係はやはりシスターフッドなのです。お上品とは無縁の2人ですが、カケイさんの関係はやはりシスターフッドなのです。
作者の死生観が反映されたラストには涙が
物語の後半、カケイさんの人生に起きたある出来事が明らかになります。そこからのカケイさんの語りはどんどん濃密に、熱くなっていきます。カケイさんは、すべてのヘルパーさんを「みっちゃん」と呼んでいます。その理由がわかります。『ミシンと金魚』というタイトルが、何十倍もの力で語りかけてきます。
永井みみさんは、すばる文学賞授賞式で、コロナに感染して「死の縁をさまよった」と語っていました。その体験をもとにカケイさんを描き直したそうです。永井みみさんの死生観が反映されたラストに涙がとまりませんでした。
私自身61歳になり、両親は日に日に老いていっています。そのことを思わない日はありません。同時に、格差の広がるばかりのこの社会で大切なものは何だろうと考えることも増えました。人と人がつながる、どこかで支え合う。そんなことが心に染みる度合いが前より上がっているのは、自分も老いてきているからかもしれません。「介護文学」はきっとますます増えるでしょう。『ミシンと金魚』は傑作だと思います。
矢部 万紀子
1961年生まれ。83年朝日新聞社に入社。「アエラ」、経済部、「週刊朝日」などで記者をし書籍編集部長。2011年から「いきいき(現ハルメク)」編集長をつとめ、17年からフリーランスに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』(幻冬舎新書)
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