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2022.01.012020年11月06日
『おらおらでひとりいぐも』著者にインタビュー
63歳で芥川賞を受賞した主婦、若竹千佐子さん
若竹千佐子(わかたけ・ちさこ)さんはデビュー作『おらおらでひとりいぐも』で芥川賞を受賞。55歳で突然夫を亡くし、小説講座に通い8年。「いつか小説家になる」のは子どもの頃からの「ぴかぴかした夢」だったそう。夢が、63歳でついに花開きました。
若竹千佐子さんのプロフィール
芥川賞授賞会見で。受賞後の気持ちは、「人生の終盤でこんな晴れがましいことがあるなんて、信じられない。千佐子、いがったな」。写真提供=文藝春秋
わかたけ・ちさこ
1954(昭和29)年、岩手県遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒業。55歳のとき、脳梗塞で夫を亡くし、息子の後押しで小説講座に通い始めた。8年の時を経て『おらおらでひとりいぐも』を執筆。2017年、第54回文藝賞を史上最年長となる63歳で受賞。18年、第158回芥川賞受賞。
『おらおらでひとりいぐも』の心にしみる一節
『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子著、河出書房新社刊
――老いとその先にあるものは、いかな桃子さんであっても全く未知の領分、そして知らないごどが分がるのが一番おもしぇいごどなのであり、これを十分に探求しつつ味わい尽くすのが、この先最も興味津々なことなのだ。
――子供も育て上げたし。亭主も見送ったし。もう桃子さんが世間から必要とされる役割はすべて終えた。(中略)もう自分は何の生産性もない、いてもいなくてもいい存在、であるならこちらからだって生きる上での規範がすっぽ抜けたっていい、桃子さんの考える桃子さんのしきたりでいい。おらはおらに従う。───『おらおらでひとりいぐも』より
主人公・桃子さんに込めた思い
1月初旬、2017年末からの坐骨神経痛から回復途中だったため、杖をついて取材現場に現れた若竹さん。今※は千葉で、娘さんと二人で暮らしています。(※取材当時)
「これまでは足腰の痛みがどんなにつらいものなのかわからないまま、『おらおらでひとりいぐも』の主人公・桃子(ももこ)さんに、けがをした足で歩かせる場面を書いていました。今では、かわいそうなことをしたなあ、こんなに大変なことだったんだなあ……と身をもってわかります」と笑います。
「どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如なんじょにすべがぁ」などという東北弁が印象的な本作。タイトルの「おらおらでひとりいぐも(私は私で一人で行きます)」は、宮澤賢治(みやざわ・けんじ)の詩「永訣の朝」の一節です。
「東北弁は、飾り気のない正直な自分、自分の思いだけに素直に向き合える言葉なんです。夫も遠野の人でしたから、日常会話も自然と東北弁でした」
そんな東北弁を使って自問自答する主人公・桃子さんは、若竹さんより年上の74歳。夫を亡くして一人で暮らしています。この年齢にした理由は、「これから自分が向かっていく“老い”というものは、どういうものだろう? だから老年を生きる女性を書きたい」という若竹さんの思いからきています。
「『おらおらでひとりいぐも』はもちろん、これまで私はけっこうおばあさんを主人公にした小説を書いてきて、長編は3作目になります。おばあさんて、案外自由だな、魅力的だなと思って。親の役割、妻の役割というものも、人によって年代は違えど徐々になくなっていって。体は衰えても、精神的にはとっても自由。自分のために自由に生きられる時間に、どんなことを考えて、どうやって生きていくんだろうと。私自身のこれからのことへの興味もあり、積極的に老いを楽しむような老年というものを書いてみたかったんです」
というのも、自ら60代を迎え、「老いの時間は、思っていたより長い」と実感したからだと言います。
「若い頃は、老いの時間はおまけみたいなものだと思っていたけれど、実際になってみたら子ども時代より長くてびっくりします(笑)。60歳で定年退職して90歳まで生きたとしたら、30年。何の指針もなく、何となくなし崩しで生きるには長過ぎますね。目標というか、取り組む心構えのようなものがあってもいいと思うんです」
そんなふうに考えるようになったのは、若竹さんが55歳のとき、夫の和美(かずみ)さんが脳梗塞で突然亡くなり、「私自身、一人で老いる時代を生きるようになったから」だと言います。若竹さん夫婦は、「他に友達を必要としないくらい」仲が良かったため、「これからも二人でいればいい、くらいのつもりでいたのに、片割れが急に亡くなって、この先の長い年月を一人でどうやって生きていけばいいんだろうと。目の前が真っ暗になりました」。
自宅に引きこもっていた若竹さんに対し、長男が「どこにいても寂しいんだから外に出ろ」とすすめたのが、小説講座でした。「その講座では、受講生同士で書いたものを見せ合って、遠慮せず言いたい放題、批評し合う。小説家を目指す仲間ができたし、悲しみを癒やす時間にもなりました」
夫亡き後の、孤独の背中合わせの喜びは自分の心と友達になること
夫を亡くして1年、2年とたち、若竹さんは、一人の時間も「意外と心地いい」と感じるようになります。「それまでは、スーパーで夫の好きな食べ物を見つけて料理を作ろうとしては、ああ、いないんだ……と落ち込んだり。体が引きちぎられるような悲しみがあったんです。でも、悲しみは悲しみだけではなく、必ず背中合わせにそれだけではないものを私にもたらしてくれると気付きました」
例えば、夫がいるときは18時には夕飯を作らなくちゃと気にしていたのが、一人になったら好きなように本を読める――。「同じことの表と裏ですよね。でもこれは一進一退があって、仲よく散歩をするご夫婦を見掛ければ、胸が苦しくなることもありました。ただ、一人でいると自分と対話するのが楽しいというか、自分の心が友達みたいな気持ちになってくるんです」
物語の中で、桃子さんは、「人はどんな人生であれ、孤独である」と話します。若竹さんも、「どんなに夫と仲が良くても飽き足りないというか。私も夫の孤独を何となく知っていたし、夫も私の寂しさを何となくわかっていた。二人でいても埋められないものがあるんだな」と振り返ります。桃子さんは、夫の周造(しゅうぞう)を亡くした後、「おらは見つけてしまったのす。喜んでいる、自分の心を」と語っています。
夫や子がいることで目をそらしていた自分と向き合う
「一人になって喜んでいる自分がいる」ということは、若竹さん自身も夫を亡くして悲しみにくれる一方で、感じたことでした。「それを認めるのが大変だったんですけどね。女の人には、娘の時代、妻の時代、一人老いる時代という三段階があるでしょう。今思うと、夫や子どもがいるということで、意外と目をそらされているんです。本当の自分と向き合うことに。誰かのためにやらなくちゃいけないことがたくさんあるから。それがなくなって初めて本当の自分と向き合える。私の場合は、やっぱり、“表現したい”人だったんだっていうのがわかったんですよね」
あれこれ考えてわかりたい、表現したい……。その思いは、誰に強制されたり教わったりしなくても「私自身が生まれながらに持ってきたものだな……と素直に認められるようになった」と言います。
若竹さんが、「小説家になりたい」という思いを抱き始めたのは、小学校低学年の頃。学級文庫の本を読みきってしまい、担任の先生が特別に高学年向けの図書室に入れてくれるようになりました。
「暗い部屋ですが、静かで、本がたくさんあって、大好きな場所でした。いつかこの棚に自分の本が並んでいたらいいなと思ったんです。でも、まさかそれでご飯を食べられるなんて思っていなくて、遠くのぴかぴかした夢でしたよね」
そんな夢を、50年以上かけてかなえた若竹さん。途中、教員採用試験を5回連続で失敗するなど挫折も経験。そんな日々でも、「小説を書きたい」と家族には公言していたそう。
でも、「若い頃は何も仕上げていないのに、褒められたいと結果ばかり求めて、そういう気持ちがあるから途中で投げ出して書き上げられなかった。でも続けているうちに、小説を書くことそのものが面白いって思うようになって。今は途中でどんな表現にしようかとつまずいても、若い頃のように諦めるという選択肢がなくなって。『おらおらでひとりいぐも』を集中して執筆した1年半は、楽しくて仕方がなかった。28歳から55歳までの結婚生活の間、考えたり読んだりしたことも、小説として形にならなくても、無駄にはなっていない。好きなことをするのは、何歳からでも遅くはない。いつからでも出発できるんですね」
あんだけのものを乗り越えた東北のこれからが楽しみです
2018年の3月で東日本大震災から7年。遠野が故郷の若竹さんに当時のことを伺うと、「夫が亡くなって2年後にあの震災が起きたので、我がことのように気持ちがわかりましたよね。家庭や仕事、地域が崩壊してしまったんだから、私の悲しみなんかの比じゃないんだけれども。でも身近な人が死ぬ悲しみは、それはもう体験しないとわかんないことだから。先日、津波の被害にあった高校の同窓生が、私の本の感想を手紙でくださいました。みんな苦労しているんだな。そんな中、私の本を読んでくれて、ありがたいな……と思いました」
一方、東北の子どもたちについては、「子どものときにつらい思いを味わったら、おのずとそこから生まれるものも、すごく深いものができてくるんじゃないかと思うんです。若いときにそんなつらい体験をした人たちが小説や絵を描いたりすれば、すごいものが出来上がるような気がして。逆にこれから東北、楽しみじゃないかと私は思うんです。あんだけのものを乗り越えて生きてきたからにはね、そのまま平凡には生きていかれないような気がしていて。あと10年、20年、30年先どうなるか楽しみですよね。同じ東北の人として、ね」
そんな若竹さんは、芥川賞を受賞後、引っ張りだこの毎日。「芥川賞は、天にも昇るような気持ちでした。でも、一番うれしかったのは、文藝賞の最終選考に残ったという電話をいただいたとき。それまでは応募してもかすりもしなかったので、あっ、やっと見つけてもらえたと思って。受賞したときよりも、うれしかったですね」と笑います。「今後は、生きていく等身大の自分を横目で参考にしつつ、全然違う新しい人間を書きたい。新しく創造してみたいと思います」
若竹千佐子さんの人生年表
若竹さんの娘時代
1954(昭和29年)
岩手県遠野市で生まれる。子どもの頃から本が大好きで、小学校低学年のとき、担任教師から特別に高学年向けの図書室に入る許可をもらう。
1976(昭和51年)
岩手大学教育学部卒業後、臨時採用教員として働きながら、教員採用試験を受け続ける。
1981(昭和56年)
5年連続で教員採用試験に失敗。向田邦子さんが飛行機事故で亡くなったニュースに悲しくなり、「教師は諦めて脚本の勉強をしよう」と上京。数か月後、父からの「いい男だぞ」という紹介で夫とお見合い。
妻の時代
1982(昭和57年)
出会って5か月後、すぐに意気投合し、電光石火で5月に結婚。遠野で結婚生活を始める。翌年、息子が誕生。
1984(昭和59年)
30歳で夫と息子と神奈川県・相模原で暮らし始める。4年後、娘が生まれる。都心近郊の住宅地で子育て中心の生活を送る。
2002(平成14年)
息子が20歳の成人式を迎える。
一人の時代
2009(平成21年)
55歳のとき、夫が脳梗塞で死去。悲しみで自宅にこもっていたら、息子に「どこにいても寂しいんだから、外に出ろ」と言われ、小説講座に通い始める。
2017(平成29年)
『おらおらでひとりいぐも』を書き上げ、史上最年長で第54回文藝賞を受賞。
2018(平成30年)
1月、第158回芥川賞受賞。
取材・文=野田有香(ハルメク編集部)、撮影=中西裕人
※この記事は、2018年3月号「ハルメク」に掲載したものを再編集しています。
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『おらおらでひとりいぐも』が映画化されました。