「自分なりにやりきれた」と思える人生の過ごし方
2024.08.292024年08月19日
僧侶・枡野俊明さんと考える#2
人生後半にやりたいこと、できることを見つける知恵
禅の考え方をもとに、心穏やかに暮らすコツを著書や講演、メディアなど多くの場で語っている枡野俊明さん。前回は、世の中の情報に気を取られ過ぎると自分自身を見失ってしまう、というお話でした。第2回は「本当の自分に向き合う」ことについて伺います。
枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さんのプロフィール
ますの・しゅんみょう
1953(昭和28)年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学名誉教授。大学卒業後、大本山總持寺で修行。「禅の庭」の創作活動で、国内外から高い評価を得て、99年、芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。2006年には、『ニューズウィーク』日本版で「世界が尊敬する日本人100人」に選出。著書に『「幸福の種」はどこにある? 禅が教える人生の答え』(PHP文庫)など多数。
何かを好き、興味を持つ、それがすべての出発点
第2回は、私自身の話から始めさせていただきます。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私は神奈川県の禅寺の住職であり、庭園デザイナーでもあります。
私が、庭造りをしたいと初めて思ったのは小学校5年生のときです。私は今自分が住職をしている寺で生まれましたが、父が先代の住職だったとき、戦争で境内は荒れ果てていました。食料がない時代でしたから寺の庭も畑にされており、寺の中は、どこでも走り回っていいような状態でした。
そんなとき、両親に連れられて京都の龍安寺さんに行き、石庭を拝観したのです。今では大変有名なお寺とお庭ですが、当時はそれほど混雑しておらず、数人が静かに熱心に、石庭を眺めていらっしゃいました。
「こんなきれいなところがあるのか」と驚きました。そして「こういうのを禅寺というのか」とカルチャーショックを受け、「将来、うちの寺にもこういう庭を造らなければ」と子ども心に思いました。これが庭に興味を持った出発点です。
その頃はただ、自分が継ぐお寺にも何とかきれいな空間や庭、境内を造り、自分で整備していけるようになりたい。そういう単純な夢だったと思います。美しい庭というものがただ好きでした。
やりたいことは自問自答することで見えてくる
そして高校生ぐらいのときに、私の庭の師匠である斉藤勝雄(さいとう・かつお)先生との出会いがあり、弟子となりました。恩師の仕事を手伝いながら、自分の寺の庭造りしているうちに、知人から、ご自分のお寺だけじゃなくて、こちらの庭の設計もやってみてくださいと言われるようになったのです。
庭造りを自分なりに一生懸命やってみると、出来上がった庭をみなさんがすごくよいと評価してくださるのです。私は庭がただ好きなだけじゃなくて、ひょっとすると、才能があるのかもしれないと思えるようになりました。
評価などは気にせず、無我夢中でやっていたら、みなさんが喜んでくださるという経験ができた。それで、もし私に才能があるならば、これにもっと磨きをかけていけば、もっとみなさんに喜んでいただける、そんな気持ちを持てたのです。
第1回で、「余った人生などない」というお話をしました。とはいえ、仕事や子育てが一段落した今、みなさんの中には、これから自分が何をして人生を生きていけばいいのかわからない、夢中になれることが見つからない、という方も多いのではないでしょうか。
自分はこれから何をやったらいいのか、自分の一番やりたいことは何なのかを知るには自問自答するところから始まります。
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