池田澄子「17音に“今”の言葉で“今”を伝えたい」
2023.09.222023年09月14日
俳句を始めて四十数年…師匠の教えを守り続けて
池田澄子「優等生はつまらない 常に異端でありたい」
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」「ピーマン切って中を明るくしてあげた」これらは2023年87歳になる池田澄子さんの句です。口語体で軽やかなスタイルの俳句は幅広い世代から支持され、2021年、現代俳句大賞を受賞。池田さんの魅力に迫ります。
池田澄子(いけだ・すみこ)さんのプロフィール
俳人
1936(昭和11)年、神奈川県鎌倉市生まれ、新潟県育ち。30代の終わりに俳句に出合う。三橋敏雄に師事。句集に現代俳句協会賞を受賞した『空の庭』(88年、人間の科学社刊)、読売文学賞を受賞した『此処』(2020年、朔出版刊)、2023年6月刊の新句集『月と書く』(朔出版刊)他。エッセー集に『本当は逢いたし』(2021年、日本経済新聞出版本部刊)
口語体で軽やかなスタイルの俳句は作家の川上弘美さんもファンを公言。幅広い世代から支持されている。
推敲を重ねることで書きたかったことが見えてくる
歩きながら道の傍らに生息する植物に顔を近付けたり、大木を眺めたり。「ほら、つわぶきの綿毛。ここの道沿いにたくさん咲くんですよ」と池田さん。自然豊かな散歩道で、俳句の素材を見つけることもあると言います。ただし、句を作るのは家。
「初めからいい句は作れません。推敲を重ねることで書きたかったことが見えてくるんです」と池田さん。
「最初のうちは毎日句を書かないと不安でしたが、今は今日やろうと決めて、やり出すと一日中作っていますね。まとめてたくさん作ります。書いて直して書いて……一回で出来上がることはまずなくて、推敲を重ねます。そして、出来たらパソコンに打ちこんで。でもそこからさらに直したりもするので」
池田さんが俳句を始めて四十数年。「始めたときはこんなにずっと続けると思ってもいなかったんだけれどね。俳句にのめり込む前は木彫りをやっていたんです。彫刻刀を持って、ブローチのような小物からお盆や壁掛けのような大物も」
ご自宅には、かつての木彫りの作品がたくさん。茶托やお盆も、胸につけられたブローチもお手製のものでした。「俳句にしてよかったのは、物が残らないことね」と池田さん。
自分のことを「書かない」だから俳句は、面白い
池田さんが俳句に出合ったのは30代後半。「団地に住んでいる頃、俳句を長くやっている人がいて、まわりのみんなと作ってみようと。それで作った句を見せたら、『あなたの句は観念ね』と言われたんです。自分の思っていることが句に出ていると」
子どもの頃から書くことは好きで、ちょっとした文章や詩を書いていたという池田さん。「ただ、今まで書いていたものは自分の思っていることで、自己満足で終わる日記のようなもの。でも俳句は事象を書いていくということを知ってやりたくなったのです」
その後引っ越しをして、同居した義母の体が弱かったことから、あまり外へ出られず、近隣で俳句を学べる場所を探したところ、「近くに句誌の発行所があって、その結社に参加するようになりました」
その頃愛読していた雑誌「俳句研究」で、新興俳句無季派ともいわれる俳人「三橋敏雄(みつはし・としお)」の特集が組まれたのが昭和52(1977)年のこと。「こういう俳句を作る人がいるんだ、この人に習いたいと思ったんです。俳壇の中心にいる人ではなかったけれど、何かを感じたんですね」
ただ、彼は結社を主宰しているわけでなく、連絡を取る手段は手紙だけ。毎日思ってはいるけれども、実行に移せないままでいたと言います。「そうこうしているうちに、三橋敏雄特集の第2弾が刊行されたのです。昭和57年だから最初のときから4年半たっていたんですね」
いいか悪いかがわからない、そういう俳句を書きたくて
このままではこれで終わってしまうと思い、池田さんは意を決して手紙を書いたところ、「俳句は教わるものじゃない、自己啓発あるのみ。小生もそうやってきました。もし50句持ってきたら、なにか助言はできるかもしれません」との返事が来たと言います。
「それで50句持って、会いに行きました。それから先生が行っていた句会に通い始めるようになりました」。俳句の世界で優等生になってもつまらない、異端でいたい……三橋敏雄に師事し、師と同じ句会に通ったことが、池田さんのスタイルの決め手となりました。
「私は、いいか悪いかがわからない、そういう俳句を書きたい。俳句ってこういうものという大体の合格点はわかるんですが、はい100点ですというのはつまらないと思っています。ひょっとしたら俳句じゃないかもしれない、でも俳句だよね、というギリギリのところを攻めたいんです」
次回は、池田さんが語るこれから、そして池田澄子さんの「口語俳句」を読み解いていきます。
取材・文=三橋桃子(ハルメク編集部) 撮影=中西裕人
※この記事は「ハルメク」2022年4月号を再編集しています。