「種種雑多な世界」水木うららさん
2024.11.302023年04月25日
通信制 青木奈緖さんのエッセー講座第5期第6回
エッセー作品「チェス」ふじいみつこさん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。ふじいみつこさんの作品「チェス」と青木さんの講評です。
チェス
不思議な夢を見た。
10年程前に逝った愛犬チェスが夢に出てきて、その感触を呼び覚ましたのだ。
毛触りや匂いまで鮮明で、私は夢のなかで「ごめん、お前も大事な家族だったんだね」と謝っていた。
チェスは雄のコーギー犬で、ひと頃はテレビのコマーシャルにもよく出ていた人気の犬種だった。
私はアメリカの絵本画家、ターシャ・テューダーの本でコーギー犬を知り、中学生になった娘の誕生祝いに飼うことにした。
息子と娘が選んだのは、兄弟たちの中でも一番小さくて弱々しい感じのする子犬で、それがチェスだった。
案じた通りチェスはよく病気をして、動物病院に通った。
でも皆で可愛がり愛くるしく育った。
息子や娘は、得意げに芸をする犬の動画を見て、お母さんの育て方が甘いからチェスは何にも覚えないと嘆いた。
私は、「お母さんが育てたようにあんた達が育ったから、チェスもそれ以上にはならない。あんた達と一緒だ」と言い返した。
息子も娘もこの一言に妙に納得したのか、それ以上言わなくなった。
それでもチェスと私は気が合って家族の誰よりも特別な関係になった。
おじいさんが散歩に連れ出そうとすると、私がいる時は「いやだよ、お母さんと行きたいよ」と私の眼を見て必死で訴え体中でいやいやをした。
私は小さな声で「行っておいで、また後からね」と言うと、本当にうなだれてついて行くのだった。
私と一緒に広いあぜ道で散歩をする際首輪を外してやると、しっぽのないおしりを器用に動かして、チェスは喜びを表現した。
ターシャ・テューダーが本のなかで、「こんな可愛らしい生き物がこの世の中にいるかしら」と言っていたが、短い足で私を追いかけて来る姿を見る度に、私もこの言葉をかみしめた。
娘が嫁いだ年から、チェスは動けなくなった。
短い足特有の犬の病気だった。
それでも柔らかくした餌を食べ穏やかに日々を過ごしていた。
その年の5月、息子の留学先のオランダに何日か行くことになり、その間チェスを動物病院で預かってもらうことにした。
出発の前の晩、チェスにそのことを告げると、何度も私の腕をなめて甘えた。
何時にもない甘え方で私はふっと別れを予感した。
オランダに着いて何日かした明け方、夢を見た。
チェスが元気に立って何やら囲いをのぞき込んでいる。
「チェス」と呼ぶと、振り向いて笑った。
囲いの中は、見えなかったが赤ん坊がいるようだった。
目が覚めて、「あぁチェスが死んだのだ」と胸騒ぎがした。
その日の昼過ぎ、娘からのメールでチェスの死を知った。
添付されたチェスの顔は花に囲まれて安らかだった。
帰国して間もなく、娘から妊娠を告げられた。
「知ってる。チェスが教えてくれた」
と言うと、皆呆れた顔をした。でも本当の事だ。
チェスはあの朝、自分の死と赤ん坊の誕生を確かに私に知らせてくれた。
青木奈緖さんからひとこと
著者が語るチェスの思い出に、ターシャ・テューダーの絵本で描かれるコーギー犬が重なり、とてもいきいきとした作品です。著者にとってはいつまでも色褪せない思い出であることがよくわかります。
「家族のエッセー」として愛犬、愛猫、その他の動物のことを書かれる方は常にいらっしゃいます。ことばが直接通じない相手だけに、どの作品にもひときわ思いがこもっているようです。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。講座の受講期間は半年間。
2023年3月からは、第6期がスタートしました(受講募集期間は終了しています)。5月からは、青木先生が選んだ作品と解説動画をハルメク365でお楽しみいただけます(毎月25日更新予定)。
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