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- ベラ・チャスラフスカ「自分を信じ裏切らない」精神
「ハルメク」でエッセイ講座を担当する随筆家・山本ふみこさんが、心に残った先輩女性を紹介する連載企画。今回は、体操選手の「ベラ・チャスラフスカ」さんです。体操選手としての輝かしい人生の裏で彼女が貫いた「自分の良心に背かない」生き方とは……。
好きな先輩「ベラ・チャスラフスカ」さん
1942-2016年 体操選手
プラハ出身。1964年東京、68年メキシコ五輪で計7個の金メダルを獲得。68年の「プラハの春」を支持し、政府の監視下に置かれて不遇な時期を過ごす。89年の共産党政権崩壊後はスポーツ発展に尽力した。
「体操の名花」と称された美しい体操選手
1964年の東京五輪のとき、わたしは6歳でした。記憶のなかで微笑んでいるのはチャスラフスカ選手です。
ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア・当時)。女子体操選手。輝く金髪。うつくしい笑顔と容姿。真っ赤なレオタード。世界トップレベルの実力と魅惑的な演技……。
個人総合をはじめ3個の金メダルを獲得したチャスラフスカは日本人を魅了しました。熱狂と呼べるほどに。
つづく1968年メキシコ五輪のときも、世界がチャスラフスカを待ち焦がれていました。ところが……。
開催2か月前、彼女の母国チェコスロバキアの首都プラハはソ連を中心とする20万にも及ぶワルシャワ条約機構軍に侵攻されたのです。
当時の民主化運動(プラハの春)はソ連とのあいだに緊張関係を生みました。知識人が立ち上がり、民主化への決起を呼びかけたのが「二千語宣言(労働者、農民、科学者、芸術家、および全ての人びとのための二千語宣言)」です。
「二千語宣言」への署名がその後のチャスラフスカの人生を大きく変えたのでした。
軍事侵攻以来、練習の環境もつくれませんでしたが、ともかくメキシコ入りを果たしたチャスラフスカは4個の金メダルを獲得したのです。
「自分の良心に背くことの恐怖」
メキシコから帰国し英雄だったのは一瞬のことで、たちまち絶望の淵に突き落とされます。けれどどんなに脅迫されてもチャスラフスカは「二千語宣言」を撤回せず、20年ものあいだ苦悩の道を歩むのです。掃除婦として働いた日日もあります。
1968年8月の軍事侵攻の日から1989年11月の民主化革命の日(ベルリンの壁崩壊から8日後)まで、その信念を貫きました。
チャスラフスカに、自分を支えたのは「勇気」よりも、むしろ、自分の良心に背くことの「恐怖」だということばがあります。自分自身を信じ、決して裏切らないという精神は、チャスラフスカから一時(いっとき)も離れませんでした。
オリンピックはスポーツ分野の祭典にとどまりません。世界に向かって平和を問いかけ、平和を築き上げるための信念を呼びかける機会なのだと思います。
ベラ・チャスラフスカ、あなたはその道を、頑固なまでに示してくれました。
随筆家:山本ふみこ(やまもと・ふみこ)
1958(昭和33)年、北海道生まれ。出版社勤務を経て独立。ハルメク365では、ラジオエッセイのほか、動画「おしゃべりな本棚」、エッセイ講座の講師として活躍。
※この記事は雑誌「ハルメク」2018年10月号を再編集し、掲載しています。
参考文献:『桜色の魂 チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか』長田渚左著/集英社刊
>>「ベラ・チャスラフスカ」さんのエッセイ作成時の裏話を音声で聞くにはコチラから
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