夫との結婚が転機でした

12回の転勤人生(8)福島県いわき市 今も続く趣味

公開日:2019.01.21

更新日:2019.04.01

北は福島県、南は福岡県まで。夫の転勤に伴って各地へお引っ越し。その回数はなんと12回! 各地での思い出や、遭遇したエピソード、今も続く仲間との出会いなどを振り返ります。今回は福島県いわき市でのお話です。

草刈りに追われる4年間

今までは西日本の中で転勤していましたが、次は東日本、福島県いわき市です。

荷造りは慣れましたが困ったことがありました。静岡県の富士川を境に電流に50ヘルツと60ヘルツの違いがあるのです。この境界をフォツサマグナと言うそうです。

今では両ヘルツ共通で使えるかもしれませんが、当時は違いましたから。モーターを使用する電化製品は使えないかもしれないので、洗濯機はあらかじめメーカーに依頼し、調整してもらってから引っ越しました。面倒くさかったですね。

歌手の北島三郎さんが「はるばる来たぜ函館へ」と歌っていますが、今回の転勤は同じ心境です。勿来関(なこそのせき)を超えてはるばる東北のいわき市まで来たのですから。以前は常磐炭鉱があったので地下は穴だらけではないかと思い、大地震があったら陥没しないか心配でした。

いわき市では社宅が利用できなかったので、替わりに手配してもらった家は、広い敷地に建つ2階建てでした。トイレも二つ付いており、長男・長女が自立してしまった後、夫婦だけの暮らしには広すぎて掃除も大変です。周辺の空き地には葛が伸び放題にはえていて、臭いカメムシもいました。なんせ敷地は200坪ほど。やっと草刈が終わったかと思ったら、先に終わらせたところから新たに生えるものですから、いくらやっても終わりません。4年間草刈りに振り回されました。

初めての人間にも気さくな人たち

引越し後は、とりあえず世話役のお宅に挨拶に伺いました。挨拶ですから、普通は玄関先で終わるものでしょう? ここではいきなり部屋に通され、サンマの刺身(当時はサンマを刺身で食べるなんてありませんでした)がふるまわれたのです。初めての人間にもこうやって接してくれることにビックリしました。近隣宅への挨拶の仕方を助言してもらい、10数軒ほど挨拶に回りました。隣家は3世代同居の大家族でした。優しいおばあちゃんがおられて、度々作ったおかずを持ってきてくれました。よそ者扱いではなく受け入れてくれ、とても嬉しかったです。春先には前方に広がる梨畑に白い花が一面に咲きとてもきれいでした。

この時の世話役さんは現在、長崎に住んでいます。2011年の東日本大震災で心細くなり息子の住む長崎に移り住んだのです。人生いつ何が起こるか分かりませんね。

現在も続く趣味、仲間との出会い

18年在籍した「友の会」を退会し、空いた時間でいわき市ではいろんな習い事を始めました。どんなことをしたかというと……
文化センターで
〇ハーブの栽培とそれを利用したサシェ(匂い袋)などの小物づくり
〇涙型の目が特徴の米山京子さんの人形作り
何体も作るうちに上達し、ドレスを縫って着せ手作り品の店に置かせてもらったのですが、外国人に気に入られ、日本土産としてアメリカに渡ったそうです。
〇押し花
先生宅は小名浜にあり東日本大震災で被災し、息子さんの住むアメリカに避難していたそうです。この時に習った押し花は趣味として、今も押し花栞を作っています。
○粘土
チューリップの粘土を付けたプランターケースを作ったり。
 

いわき市で作ったプランターケース
いわき市で作ったプランターケース



いわき市には、湯本のスパリゾートハワイアンズのフラダンスショーや、三春の滝桜、美空ひばりさんの歌「みだれ髪」の舞台 塩屋埼灯台もあります(記念石碑の前に立つと曲が流れます)。しかし、両親はさすがに遠すぎて遊びに来ませんでした。
 

塩屋崎灯台
塩屋崎灯台



いわきの地では、3人の友人と出会い、2017年に鹿児島旅行をしました。いまや住んでいる場所も長崎、日光、いわき、大阪とバラバラですが、性格もバランスが取れているのでしょうね。とても仲のいい4人組です。過ぎた時の空白を埋める思いで夜遅くまでおしゃべりをしました。鹿児島空港で別れる時には又の再会を約して、それぞれの家族が待つ地へ帰っていきました。

離れた友人との旅行
※イメージ



東北での生活は終わり、次は関西です。大阪府高石市へ移り住みます。

 

のりたの母

倉敷市生まれ。23歳で結婚し夫の転勤に伴い、引っ越すこと12回! 住まいを転々とする中でも、習い事をしながら趣味を広げました。そして、かけがえのない友にも出会うのです。 転勤順に思い出をたどってみます。

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